ロイクソップ『シニア』(Wall of Sound / Pias / EMI)

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royksopp.jpg 「透明な沈黙」(青志社)という本は面白かった。透明標本とヴィトゲンシュタインという、あったようで無かった組み合わせ。「語ることのできないものについて人は沈黙しなければならない(Whereof we cannot speak, thereof we must be silent.)」というヴィトゲンシュタインの言葉通りに、沈黙を保つ透明標本越しに論理記号論がオーバーラップして、論理とは、「詩」の形式を取り得るのだ、と教えてくれた。

 既に前作の『Junior』の時点で約束されていた双子作と言っていいだろう『Senior』は透明性の高い沈黙を帯びている。タイトルからしても分かるとおり、前作と対照的な内容になっている。ダウン・ビートが主体に押し出され、アンビエント、チルアウト的な側面が押し出された音響の編み込み方に凝られた実験的でヒプノティックな作品になった上、前作にあった「Happy Up There」に代表されるユーフォリックな要素は減った、というか、全くと言っていいほど、無い。その分、「Tricky Two」に見受けられるクラフトワーク的な反復ビート、ブライアン・イーノの70年代の作風を想わせる「The Drug」、ボーズ・オブ・カナダのような白昼夢的なサウンドスケイプを描く「Forsaken Cowboy」、ふと不気味に人の声が混じるアンビエント曲「A Long,Long Way」など音楽的レイヤーはかなり緻密な形で生成されている。

 北欧はノルウェーからのエレクトロ・デュオとしてロイクソップが出てきた時、僕はそこまでのシンパシーも魅力も感じなかった。「Remind Me」のエレ・ポップの心地良さ、「Poor Leno」における柔らかく重ねられてゆくビートなど「よく出来ている」が故に、時にケミカル・ブラザーズが持つような「大味」的な部分も少し感じてしまったのもあるし、エレクトロニカといった音ではないし、ファースト・アルバムの『Melody A.M.』の持つ繊細さと眩みならば、エールの『Moon Safari』や『The Virgin Suicides』やスティービ・ライヒの諸作辺りに分が上がった、というのもある。ダンス・ミュージックでもアンビエントでもエレクトロニカでもない中途半端さに耐えられなかったのかもしれない。また、ロイクソップの電子音の連なりに浮かび上がる静謐さにはどうにも「色気」を感じなかった。例えば、ロイクソップの二人も敬愛するクラフトワークとは実はとても「色気のある音楽」であり、それはあの反復するマシン・ビートの無機性の中にふと立ち昇る人間味があるからだ。その意味で、彼等はまだマシン・ビートに徹するよりも、人間味の部分を先にサウンドに練り込んでしまったと言える。とはいえ、十二分に精巧には練られている冷ややかなサウンドの質感はしっかりダンスフロアーやベッドルーム・ミュージックに回収されていったのは喜ばしいことだった。

『Melody A.M.』がロング・セールスを続ける中でのセカンドの『Understanding』はデペッシュ・モードやニューオーダー好きが功を奏したのか、ダークながらより踊ることが出来る要素が増え、ヴォーカルの要素も多く入り込み、ゼロ7やグルーヴ・アルマダの間を行くようなポップな振り切り方をしたという点で、僕自身は評価出来た。ファーストにあった北欧的な繊細さ、というイメージが只管、売れ続けている(求められている)瀬で、このハンドルの切り返しはなかなか曲者ではないか、と思っていたら、昨年の『Junior』では一気にポップに弾けたのには驚いた。まるで、初期とは別のユニットになったかというくらい、躁的なヴァイヴに充ち溢れ、80年代的なシンセ・ポップ、エレ・ポップの要素を強烈に感じさせ、ペット・ショット・ボーイズ、『PLAY』時のモービーのような押しの強さがあった。だが、その為か散漫な内容になってしまい、アルバムとしての一貫性が少し損なわれている印象も否めなかったが、今回、その『Junior』と同時期に作られていたという『Senior』が持つアルバムとしての統一性の素晴らしさには唸らされる。

 ポップ・サイドは『Junior』に、そうではないものは『Senior』という切り分けしていたと言っているが、そんなレベルでは片付けられないこの『Senior』は彼等の徹底した美学を感じる。一点、残念なのは時折、伺える硬いエレ・ビートが打ち出された時に、少し全体の世界観を持ち崩すという所かもしれない。それを差し引いたとしても、沈黙を透明標本越しに語る今回の導線付けは大したものだと思う。よくある比喩の「映画のサウンドトラック的な」、という見方は的外れであり、ANOTHER GREEN WORLD(もう一つの緑の世界)を突き抜けてゆくエクスペリメンタルな部分を評価すべき作品になったと言える。

(松浦達)

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