ハーツ『ハピネス』(Sony / SMJ)

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hurts.jpg ペット・ショップ・ボーイズ、ティアーズ・フォー・フィアーズ、そしてヴィサージなど、様々なバンドと比べられているハーツだが、ハーツは紛れも無くハーツである。と、柄にもなく好きではない「である」口調を使ってみたけど、彼らの記念すべきファースト・アルバム『Happiness』では、ハーツのアイデンティティがこれでもかと主張されている。サマソニで見せてくれたステージングやヴィジュアルを見る限りだと、デコレーションされまくったつまらないポップ・アクトと思われるかも知れないけど、この『Happiness』は、不思議と人間味溢れるアルバムになっている。

 ハーツは「ポップ」というものに対して、誠実に向き合っている。それは、ハーツがポップ・ミュージックの力を信じているからだと思うのだけど、では、なぜ彼らにとっての「ポップ」が、ここまで個性的で、とことん過激な表現となっていったのか? それは、ハーツにとっての「ポップ」とは、「逃避先の世界」だからではないか? だからこそハーツは、どこまでも己に装置を配置していく。しかし、それでも人間的でピュアな部分が見え隠れするのは、その装置の使い方、そして、その装置そのものが、セオとアダムという二人の人間の根底から生まれたものだからだと思う。つまり、この『Happiness』はニュー・オーダー「Blue Monday」や、オアシス「Supersonic」と同じ系譜にある。もちろん、それぞれの事情は異なるし、音楽性も同じではないけど、「前に進むための逃避」という意味では、『Happiness』「Blue Monday」「Supersonic」は、共通するものがあると思う。

『Happiness』は、「理想的な現実」というのが描かれている。耽美に浸るわけでもなく、ドラスティックに現実を描写し、ひたすら自己と格闘しているわけでもない。それぞれの感情や思惑を行ったり来たりしている。それは、人から見れば「迷走」に見えるだろうけど、ハーツの「迷走」は前に進むための「迷走」であり、「ポップ・ミュージックを作る」というハッキリとしたヴィジョンが窺える。そして、この「迷走」が『Happiness』をなんとも不思議なアルバムにしている。「理想」を作り上げているのに、そこから滲み出ているのは、生きるうえでの「哀しさ」や「辛さ」だ。歌詞と曲調が相反していたり、「Wonderful Life」という曲がある一方で、「Devotion」という曲もある。つまり、『Happiness』というアルバムは「今の世界において、ポップ・ミュージックを作るということ自体が、戦いになってしまう」ということを、図らずも証明してしまっている。

「ポップ・ミュージック」を作ることによって生じる「儚さ」というのは、この世に音楽が誕生したときから、何度も表現されては、砕け散っていったもの。この「儚さ」というのは、世界が不穏な雰囲気に包まれるほど、必要とされるものだ。そして、『Happiness』には「儚さ」が十二分に詰まっている。この素晴らしいアルバムがたくさんの人に聴かれてほしいと願う一方で、「いったい世界は、いつになったらこの「儚さ」を必要としなくなるのだろうか?」と、少し悲観的な感情を抱いてしまう自分もいる。

(近藤真弥)

*日本盤は11月3日リリース予定です。【編集部追記】

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