マイルス・デイビス『ビッチェズ・ブリュー(レガシー・エディション)』(Sony Legacy / Sony Music)

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miles_davis.jpg スピノザは、多重言語内の中で「人間精神を構成する観念の対象は存在する身体である」と言った。敷衍して、彼が示す「自由意思」について考えてみると、能動性とは「外部」からの力の作用を受けず、人間が自分自身の力のみによってなす行為であり、受動性とはその反対に、外部の力に作用されてなす行為であると言い換えられ、能動には精神の能動もあり、身体の能動もあるが、精神の能動は理性と呼ばれ、身体の能動は伸びやかな「自然な運動」を指すとしたならば、反対に精神の受動は「パッション」と称されるような心の情動を指し示し、身体の受動は心の命令によって為される運動を指すと換言出来る。その「パッション」が強烈にこの『Bitches Brew』には感じる事が出来る。観念、精神的に潜航していく情熱のような何かとサブライムな逸脱の意思に支えられた自由。


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 1960年代のマイルスを現在の視点から見直すと、面白い発見が幾つもある。

『In Stockholm 1960』でのジョン・コルトレーンとのエゴの張り合いからジョン・コルトレーン以後のサックス奏者を探す中で、ハンク・モブレーに出会ったものの、『Someday My Prince Will Come』では2曲でジョン・コルトレーンが参加しているという流れ。ただ、この作品で「意味が大きかった」のがテオ・マセロの手腕だということ。ここで鮮やかに見せつけられるテープ編集の妙、オーヴァーダビングの技巧は既に「サンプリング」とか「リミックス」の先駆けと言ってもいいのかもしれない。

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 ちなみに、1962年にはUKではビートルズがデビューして、1964年にはUSにも上陸している。また、ボサノヴァの隆盛もあった。アントニオ・カルロス・ジョビンの流麗なレヴェルは軽快に、多くの人に響いた。マイルス自身、負けん気の強い人だったので、1960年代、前半はそういったものに目配せしていたが故に、と言おうか、メンバー探しの苦闘下で、半ば休止状態にあり、『At The Blackhawk』、『Miles Davis At Carnegie Hall』のライヴ・レコーディング作品、ジョビンのボサノヴァに正面から挑んでみせたギル・エヴァンスとの1963年の『Quiet Nights』はレコード会社の「無理強い」だったのもあったのか、化学反応は起こらず、内容は特筆すべき要素は無い。

 そのような中、ロック界では1966年にはビーチ・ボーイズのマッドな音響工作の果ての極北とも言える『Pet Sounds』、1967年にあのサイケデリックなコンセプト・アルバムの至高作『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』がリリースされ、1969年のウッドストックに「向けて」のラブ・アンド・ピースを標榜し、何よりもヒップなものがロックだという認識がユース・カルチャーに定着しつつあるという時代の中、マイルスは「黄金のクインテット」として、テナーサックスにウェイン・ショーター、ピアノにハービー・ハンコック、ベースにロン・カーター、ドラムにトニー・ウィリアムスといった風情で『Miles in Berlin』、『E.S.P.』、『Miles Smiles』、『Sorcerer』、『Nefertiti』と怒涛のレコーディング体勢に入ってゆく。ここらの作品は非常にアグレッシブで<非>ジャズ志向に根差している。また、1967年以降の作品には、愈よエレクトリック要素が強くなってくる。そして、クインテットでのスタイルを終わりにして、ジョー・ザヴィヌルが書いた「In A Silent Way」で或る意味の「沸点」を迎える。テオ・マセロの執拗なテープ編集により、解体と構築の狭間を行くサウンド・コンクレート。それはもはや、ジャズでもなく、ロックでもないものとも言え、同じ演奏パートが複数回出てくるにも関わらず、全くの違和を感じさせない。

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 ウッドストック・フェスティヴァルの開催の翌日から録音が開始され、3日間に渡るレコーディング・セッションはほぼノーカットでマスターテープにおさめられることになり、これを100分という内容に再構成したテオ・マセロと、マイルスの想像力と想像力のピークラインが巨大なキャンパスにぶちまけられたとも言えるパッションが溢れた作品が1969年の『Bitches Brew』になる。

 ドラムスを複数にして、パーカッションを加え、リズムをより多彩に複雑にすることにより、ロック的なリズム・パターンからポリリズミックなアフロ・ビートが行き交うアルバムになり、これがその後の「フュージョン」のベーシックな部分を担い、また、現代においても常に何かの際の参照点にされる作品だと言われるのはその美しいまでの渾沌だと言える。この「渾沌」は当時のビートルズ、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックスなどと「共振」していたとも思える部分があって、興味深く、ユース・カルチャーがロックにお株を奪われていた時代に、『Bitches Brew』が示した深い渾沌はジャズと呼ばれるジャンルさえも越境させたし、当時の旧いジャズ・ファンからは誹りも受けた。兎に角、時代より進み過ぎていたのか、ジャンルなんて括りなんてそもそも無視していたのか、よく分からないが、今年、40年目をセレブレイトしてか、再評価の波を受ける一端を担ってか、いや、現代的にもまだ通用するものとしてなのか、スペシャル・パッケージとしてリリースされた。

 このレガシー・エディションには「Spanish Key」、「John McLAUGHLIN」の初出となるオルタナ・テイク、「Spanish Key」、「Miles Runs The Voodoo Down」、「Great Expectations」、「Little Blue Frog」のシングル・エディット・ヴァージョンがボーナス・トラックとして追加されている。少し残念なのが、これは「Sanctuary」でこそ終わる「べき」作品だと個人的に想うだけに、そこにそれらを付け足した点は気になる。出来れば、別CDとしてセパレートして欲しかった。またプラス・アルファとして『Bitches Brew』発表後の1970年8月18日のマサチューセッツ州ボストン郊外のタングルウッド公演CDが付加されている。これは凄まじいライヴで、バンド離脱直前となるチック・コリアと、Wキーボードのもたらす昂揚感は特に痺れるものがある。更に、DVDには1969年11月4日デンマークのコペンハーゲンにおけるステージが入っており、ウェイン・ショーター、チック・コリア、デイヴ・ホランド、ジャック・ディジョネットという所謂、「ロスト・クインテット」と呼ばれる時期のアグレッシヴなパフォーマンスが収められている。約70分の演奏は、オリジナルのスタジオ録音を大きく編曲しているので、殆どフリーでまるで「曲」が「曲」なのかも分からないくらいのインプロが繰り広げられている。

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 この2010年に『Bitches Brew』が好事家やコレクターだけに回収されるのは勿体ない、と思う。僕自身としては、マイルス・デイヴィスとしては『Kind Of Blue』しか知らない、とか、名前だけで何となく敬遠していたと言える人たちやユースにこそ手に取って欲しいと希っているし、このダイナミクスの力学が働いた音像に触れる事によって、ジャンルの細分化の果てにムラ化が激しいロックやジャズといったものの境界線を跨ぐステージ・パスになるような気もしているだけに、「レガシー・エディション」といった、如何にもな「大人のコレクターズ・アイテム的名称」の部分は除いて、本テイクやオルタナ・テイクなどを楽しみ、DVDでの映像の格好良さに痺れるのは単純に良いと思う。例えば、「Spanish Key」など緻密な構成のままで17分を越えるスリリングな展開を見せるのは昨今のジャム・バンドやインスト・ロック・バンドを想わせる何かがあるし、昨今のトータスやフライング・ロータス等の持つビート・センスやプログレッシヴな面を別位相から照射している光が宿っていると思えてならない。

 まだ、この作品に対する明確な「回答」は出ていないが故に、その問題に向き合う為に、この不気味なまでの自由に向き合ってみるのは今こそ大事な気がする。「聖域(Sanctuary)」は踏み込まれる為に在る。

(松浦達)

*日本盤は11月17日リリース予定です。【編集部追記】

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