今は「誰の時代」なのか?―大江健三郎「われらの時代」を巡っての試考

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oe_kenzaburo.jpg 自分は、1979年という70年代にぎりぎりに引っかかった形で生まれた。
 
 その頃には、既にサバービア型のショッピング・モールの雛形は出来ていて、もう既に「爛れた裕福さ」に塗れてもいた。そして、少年期から青年期の間にバブルやポストモダンやらオルタナティヴ、サブ・カルチャー等が一気にきて、「物心(しっかり思考出来るようになったという意味で)」ついた時には、もう残骸しか転がっていなくて、その残骸を見回しながら、上の世代からは「君たちが未来を担っていくんだよ。」と云われて、「それはないよ。」と思ってもいた。要は、ブルドーザーで地均しが終わった土地で、何をすればいいのか。少なくとも、「われらの時代」ではない、と思っていた。
 
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 少し話は逸れるが、再評価の波にあるマルクスは「資本論」の中で、三つの階級を想定した。資本家、地主、労働者。「労働者」はそもそも労働力を商品化して、そして、その分産んだ差額利益を「資本家」へと還元し、しかし、資本家は総取りは出来ない訳で、一部をその土地の持ち主であるところの「地主」へと渡す。これは、「搾取」の構造に見えるものの、剰余価値を資本家に売り渡すという労働者の合意契約の下に成されている点と資本家と地主間の合意形成に基づき、資本や労働では自然は作れないという観点から「正しい」部分もあると言える。但し、階級論、社会論としてはこのマルクスの唱えたものはベターな訳だが、「国家」としての視座が完全に此処には欠落しているとしたならば、社会と国家は必ずバッティングする。利益の視角が全く違うからでもあり、社会側からの国家への厳重な監視、国家側の社会への適切な還元が行われない事には、亀裂が生まれ、国として共同体として回らなくなってしまい、社会内での「個」は疎外される。
 
 前農耕社会、農業社会、産業社会の歴史変遷の中で、国家と社会の分断構造に気付き難くなっているのもリアルな視座でもあり、そもそも国家は人間同士が組んだ共同体が(別・)共同体を排除し、制圧する過程で、生まれていき、社会は共同体間の交換を原則原理にしている。では、根源的な問題は何にあるのか、僕は高度ネットワーク化が張り巡らされたシステム論に依拠する部分はあるのかもしれないと思っている。だからこそ、「人間性(実存)を確かめるような動き」が起こりつつあるのも感じている。
 
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 大江健三郎の初期作品に出会ったときは衝撃を受けた。故・井上ひさし氏が指摘していたが、「奇妙な仕事」という作品では、百五匹の犬と「僕」と「女子大生」と「私大生」の三人が犬を処理する仕事のアルバイトを巡っての話。一日に50匹しか処理できないので、100匹が「次の日」に残ってしまう。それをして、「犬殺し」が餌をやろうとするのに対しての「明後日までには全部殺してしまうのに餌をやるなんて卑劣だ」と私立大生が言い、それに対して「後の100匹を飢えさせておくのか、そんな残酷なことは出来ない」という対立が始まる。この対立の行方に何があるのか分からない。しかし、確実に「次の日」があるならば、双方の言い分は正しく向き合う事になる。「次の日」がないならば、それは言葉の意味が隔離されてしまうだけのことだ。その「対立」は新しかった。
 
 初期の大江氏は「若者たちの味方」として「ぼく」や「われら」というタームをよく用いた。そして、シリアスなテーマにどんどん踏み込んでゆき、当時、熱狂的な読者達のシンパシーを得た。ただ、彼はその後、子供が生まれる事によって、また、伊丹十三氏の死を含めて作風も扱うモティーフも変わっていき、今はレイター・ワークとして伊丹氏の事を書いたり、最近では自分の父の死を描いた「水死」など「筆を止めないでいる」が、どうにも変わってしまった。
 
 僕にとっては、大江健三郎という作家は、「作品」レベルで言えば、やはり1950年代半ばから1960年代後半までのものになる。特に1950年代の瑞々しい煌きに満ちた文体に影響を受けた。その中で愛好するのは1959年のこの「われらの時代」でもあり、現代の閉塞感を別位相から照射しているとも言える作品と思う。50年前の小説世界でも人間の心理はそうブレる事はないのだ。
 
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 「われらの時代」の大まかなストーリーは、仏文科の学生の靖男が、外人相手の娼婦をしている頼子との共同生活(靖男がヒモをしている)の中で空虚な性行為を介しながら、深い思索の襞へ降りていく所作を繰り返している。そして、ジャズ・トリオ「不幸な若者たち‐アンラッキー・ヤングメン‐」で、ピアノを弾いている靖男の弟、滋が居て、物語の合間に都度、カットインされてくる。フランスと日本の文化の相互関係について書いた靖男の学術論文がコンクールで一席当選し、フランスに三年の留学する権利を与えられる。しかし、同時に頼子の妊娠や友人を通じてアラブ人と知り合い、政治的な柵の中で、懊悩する。「不幸な若者たち」はライト・サイドへの傾斜が激しくなり、手榴弾を使った度胸試しでメンバーの二人が爆死し、警察に追われた滋もアラブ人の部屋から落ち、亡くなる。結局、靖男はアラブの政治活動への支持をフランス大使館員に表明し、フランス留学の道が閉ざされる、というものだ。
 
 凡庸な「出口なき時代」における「出口など見えない若者たち」の群像劇かもしれない。著者自身、エッセイ集『厳粛な綱渡り』で、

「僕が最初に性的なるものを小説の重要な因子としてみちびいたのは、1959年の『われらの時代』においてだった。これは大半の批評家から色情狂の失敗作とみなされた。」
 
 と記している通り、この作品は文壇界からも評論家からもそれまでの彼の急な変化と性的なもの、政治的なものの聊か乱暴な扱い方にシビアな意見が多く取り交わされ、かなりの波紋を呼んだ。
 
 それでも、僕がこの作品を好きなのは、「時代を越境する力」を感じたのもあり、共通する若者の実存的「閉塞感」の連鎖状態が生み出す逆説的な仄かな希望を感じたからだ(これは、今は一部、阿部和重氏等にも受け継がれているような気がするが)。また、何処か喜劇要素もあるところにも感応した上で、何より「性的なるもの」の取り扱いが素晴らしいと思ったからだった。
 
 兎に角、「性的な何か」を媒介として「核心に近いもの」をディスクローズさせようとする試みは、個人的に好きになれない。いや、表現が向き合うべきものはそんな行き止まり的なもので無い筈で、寧ろ、この作品の「あとがき」で著者自身が書かれている「ぼく自身にとって性的なるものは、外にむかってひらき、外の段階へ発展する、ひとつの突破口であって、それはそれ自体としては美的価値をもつ《存在》ではない。別の《存在》へいたるためのパイプとしての《反・存在》として小説の要素となっているものであって、ぼくはぼく自身の目的へ到るためにそれをつうじて出発する。」という意見に同意を持つ。
 
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 「われらの時代」の最後は、偏在する自殺の機会にみはられながらわれらは生きていくのだ、これが"われらの時代"だと締められる。現代、文化も経済もあらゆるものが発展して、ユースの心理状態も変わったの「かもしれない」。でも、この高度にネットワーク化されて皆が砂粒のように管理されながらも、「孤立」を余儀なくされてしまう時代に、囲まれているバリケードは50年前のものより不可視的に峻厳なものになっていると言えないだろうか。今、「われらの時代」と表明するときの「ら」は誰を孕むのか、僕には分からない。実存としての「個」へと帰納してゆくのか。この作品が示唆するものはまだ現代でも、通奏低音として響いている。

(松浦達)

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