OMD

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OMD (ORCHESTRAL MANOEUVRES IN THE DARK)

年寄りがつまらないレコードを作るのは
彼ら自身がつまらない気持ちでレコードを作るからだよ


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オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ダ・ダーク...闇にまぎれたオーケストラ的戦略...、略してOMD。そう名乗る彼らは、70年代末にリヴァプールから登場したエレクトロニック・バンドだ。ほぼ同時期にシェフィールドから登場した初期ヒューマン・リーグやキャバレー・ヴォルテール、エセックスで結成されたデペッシュ・モードが今も一定の評価を受けているのに比べ、彼らに勝るとも劣らない素晴らしさだったOMDの知名度が、現在とくに日本で低すぎるのはなぜだろう?

その理由は、なんとなくわかる。たとえば出世作となった1980年のシングル「Enola Gay」には、広島に原子爆弾を投下したアメリカの戦闘機の名前をタイトルに冠するなど、その一見脳天気なメロディーとは相容れないテーマ性が隠れていた。逆に、60年代の有名なポップ・ソングからタイトルだけを拝借した1984年の「Locomotion」という曲(これだけ有名な曲のタイトルを「パクる」なんて並の神経ではできない:笑)が入っていたポップかつエクスペリメンタルな傑作アルバムは『Junk Culture』と題されていた。なんて素敵なタイトル! こういった、ちょっとねじれた皮肉っぽさが、「単純にクール(だということがわかりやすい)」ものを求める層には理解しづらかったのかもしれない。

彼らの魅力のひとつは、ポップかつキャッチーであること。だけど、アイディア一発のエクスペリメンタルなサウンドも刺激的。1981年の傑作アルバム『Architecture & Morality』などには、はかない美しさも漂っていた。OMDの音楽は、ある一定のイメージでとらえることがむつかしい。80年代を代表する青春映画『プリティ・イン・ピンク』で使用された1986年の「If You Leave」も、あまりにヒットしすぎた。オリジナル・アルバムには入っていない、サウンドトラックからのシングル・カット・オンリーだったこの曲の大成功が、彼らのイメージをさらに拡散させてしまった。超名曲だと思うし、いまだに大好きなんだけど...。

1979年のデビュー・シングル「Electricity」は、最初マンチェスターのファクトリー・レコーズから出たあと、メジャー傘下レーベルから新ヴァージョンが再リリースされた。このヴィデオは、当時の、いわゆるポスト・パンク的なノリをよく伝えている。あのままファクトリーにいつづけたら、今も「クール」な存在と目されていたのだろうか? 歴史に「もしも」はないとはいえ、よくわからない...。

そんな彼らが、80年代の全盛期のラインアップで活動を再開していたことは寡聞にして知らなかった。しかし、突然届けられた(このラインアップとしては)24年ぶりのニュー・アルバム『History Of Modern』が、マジで、いい!

80年代前半まで(ヴァージン系に移籍したあとも)彼らのアートワークを手がけていたピーター・サヴィル(ジョイ・ディヴィジョンやニュー・オーダーなど、ファクトリーの一連の作品のアートワークで知られるデザイナー)と27年ぶりに組んだことも注目される。とりあえず、リード・シングル「If You Want It」のオフィシャル・ヴィデオをチェックしてみてほしい。この、実録ドキュメンタリーなのかアートなのか悪ふざけなのかよくわからない感じも、実にOMDっぽい(というか、最高!)。

そして、少しでも彼らに興味を持ったら、是非以下のインタヴューを読んでみてほしい。ちなみに、キーンとか、(ヒューマン・リーグやキャバレー・ヴォルテールと同じくシェフィールドから登場した:笑)アークティック・モンキーズなんてバンド名も、インタヴュー前半の重要なキャラクターとして登場。他にも、ファクトリー・レコーズ主宰者であった故トニー・ウィルソンのエピソードとか、いろいろ出てきますよ!

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久々のニュー・アルバムということだけでもうれしいのに、聴いてみたら内容があまりに素晴らしい。感動してしまいました。ポップなメロディーや、冒険的でありながら気持ちいいエレクトロニック・サウンドは、まさにOMD! だけど全然後ろ向きじゃなくて、すごく「今」っぽい。まずは、こんな大雑把な感想について、どう思いますか?

アンディー・マクラスキー(以下、A):すごくうれしいコメントだね! まさに僕たちが狙っていたのは、そういうことだった。自分たち自身の歴史...驚くことに、32年にもなるわけだけど...を振り返ったとき、自分たちにとって一番よかった時期やサウンドっていうのは、初期のすごくオリジナルでユニークなサウンドの使い方やスタイルにあったんじゃないかって思ったんだ。それでそういう時代のいかにもOMDっていう自分たちのサウンドを再利用するとともに、それを2010年という時代にふさわしいプロダクションや技術を使った作品にしようって思った。そこから『History Of Modern』ってタイトルも生まれてきたんだよ。自分たち自身の歴史から要素を採りあげつつ、それを現代(Modern)の世界で受け入れられるものにしたかった。彼から見て、そういう狙いが上手く表現できたようでうれしいよ。

実は今年の初夏ごろ、キーンという(質問作成者から見れば)若手バンドのニューEPを聴いて、なんかOMDを思い出してしまい、そのことをレヴューに書いたところ本当に偶然それから1、2週間後にウェブであなたたちの新作リリース情報を知り(笑)ちょっとびっくりしました。ザ・エックス・エックスやLCDサウンドシステムは、あなたたちからの影響を公言しているようですし、最近はOMDの遺伝子がそこらじゅうにいきわたっている...今はまさに復活に最適のタイミング、なんですかね?

A:若い人たちに支持されているからって理由で、復活したわけではないんだけどね(笑)。ただ、数年前から風向きが変わってきたのは感じていたよ。ライヴやTV番組への出演の依頼が来るようになって、エレクトロニック・ミュージックがクールなものとして流行りだしたのは感じていた。プロデュースを頼まれることも多かったし。そんな中でTV番組への出演依頼があって、16年ぶりにOMDとしていっしょにやってみたら、すごく楽しかったんだよ。それでライヴをするようになった。今、エレクトロニックのスタイルが支持されるようになったのは大きいね。確かに、子供ぐらいの年齢のアーティストたちが、OMDを大きな影響源として支持してくれていたから、そういう依頼が来るようになったっていうのはある。15年前、グランジやブリット・ポップが流行っていたころ、僕らの音楽はまったく見向きもされなくなったことがあった。90年代には、80年代の電子音楽はまったくカッコ悪いものになってたんだよ(笑)。そういう流行は来ては行ってしまうものだけどね。大蛇が自分のしっぽに食らいつこうとして、ぐるぐる回っているように(笑)。まあ、自分たちのサウンドやスタイルが、また受け入れられるようになったのはすごくうれしいことだよ。OMDでいることが、またクールなことになったんだから(笑)。

たしかに。先ほどキーンというバンドのことをお伝えしましたが、今回あなたたちの『History Of Modern』を手がけているプロデューサー、マイク・クロッシー(Mike Crossey)についていろいろ調べていたら、彼はキーンのそのEP「Night Train」にもミキシングで参加しているみたいで、マジ驚きました(笑)! ということろで質問です。彼...マイクは、アークティック・モンキーズやフォールズも手がけていますが、あなたから見れば後輩のようなもの...もしかして昔からあなたの知り合いだったりするんじゃないですか(笑)?

A:彼のことは10年ほど知ってるよ。

やっぱり...というか、本当に(汗)?

A:うん。彼と作業できたのは、素晴らしかった。彼は腕のいいプロデューサーだし、アイディアも豊富。レコーディングを終え、最終的なミックスに入るときに、客観的な視点でサウンドの質をより良いものに作り上げてくれる誰かが必要だって感じたんだよ。それで彼が20歳だったころから知ってるマイクに声をかけた(笑)。彼がLIPA(リヴァプール総合芸術大学。ポール・マッカートニーが設立者の一人)を卒業したころから知ってたんだ。彼は僕のスタジオに来て、僕のエンジニアをやってたからね。

なんか、アークティック・モンキーズはデビュー当時から、やたら「リヴァプールづいてる」印象もあって(笑)、もちろんキーンのEPの印象の件がでかかったんですけど、そうじゃないかという気がしていました!

A:彼の最高のサクセス・ストーリーを、僕は最初から間近で見ていることができた。アークティック・モンキーズのデモが来た時も、彼は素晴らしい仕事をしたし、それからプロデュースを始めて、プロデューサーとして輝かしいキャリアを築いた。でも2年ほど前に、彼はリヴァプールに帰ってきたんだよ。それで、僕のスタジオを使ってもいいかって訊いてきた。今彼は、僕のスタジオに住んでるんだよ(笑)。僕はプログラミング・ルームだけ使っていて、彼がスタジオ全部を借りてるんだ。同じビルにいるから、自分のプログラミング・ルームから彼のスタジオまでちょっと行って、「マイク、悪いんだけど、ちょっとこれ、ミックスしてくれないかい?」って言ったんだよ(笑)。彼が手伝ってくれて、素晴らしいサウンドに仕上がったと思うし、そういう個人的な歴史...10年かけて彼が成功していくのを見ていたことをしみじみ感じられて、すごくエキサイティングだったよ。

最初にマイクがあなたのスタジオに来たときって、あなたのファンだったんですか?

A:いや、全然(笑)。彼は(80年代初頭には「クール」な存在であり、80年代なかばごろに大ヒットを飛ばしたけれど、90年代~00年代前半に「再評価」されることはあまりなかった)OMDのファンになるには若すぎたし、逆に、今のエレクトロニック・ミュージックの流行の中にいるには、年を取り過ぎていた(笑)。彼はただ、最高の友達であり、才能のあるプロデューサーだってことさ。

あなた自身は1991年と1993年と1996年にOMD名義でアルバムをリリースしていますが、それまでの相棒的存在だったポール・ハンフリーズをはじめとして、マルコム・ホームズそしてマーティン・クーパーという80年代に盛りあがっていたころのメンバー(この4人組が「正式メンバー」となったのは1981年のサード『Architecture & Morality』からだが、1980年のファースト『Orchestral Manoeuvres In The Dark』時点ですでに全員が参加していた)でアルバムを作るのは、1986年の7作目以来24年ぶり...。でも、そんなファクターがむしろいい方向に発揮されていると思います。なんか、まるで新人バンドのようなフレッシュさというか、へたしたら若々しくさえ感じます。なぜだと思います?

A:ニュー・アルバムを作ろうって決めたとき、正直言って、むしろそれは危険...っていうよりも、バカげたアイディアだって思われるかもしれないことは、自分たちでもよくわかっていた。僕らは50歳。ファンも、ライヴで昔の曲だけプレイしていて満足なんだよ。新譜が出たところで、買わないだろう。ひどいレコードを出す可能性も高い。実際に、最近になって再結成した昔素晴らしかったバンドが、ひどいアルバムを出した例はいくつもある。それで、もし新しい作品を出すなら、絶対に譲れない条件として、自分たち自身が本当に素晴らしいと思えるアイディアを持っているっていうこと、そして、そのアイディアを、本当に素晴らしいと思える曲に仕上げることができなければ、リリースはしないって決めた。こうして、時間をかけながら僕らは注意深く曲を書いていったんだよ。その作業に本当に興奮していた。そしてその僕ら自身が感じた興奮のヴァイヴが、レコードにも若々しいエネルギーとして反映されたんじゃないかって思う。まるで若いバンドみたいにね。年寄りがつまらないレコードを作るのは、彼ら自身がつまらない気持ちでレコードを作るからだよ。僕らはそうじゃない。すごくワクワクしながら楽しんでレコードを作った。それがレコードに収められたんだと思うよ。

じっくり時間をかけようってことで、このメンバーで2007年にドイツとUKでツアーをおこなってから、リリースまでに3年かかったんですか?

A:そう。絶対にいいアルバムにしようって気持ちが強かったからね。今っていう時代に、僕らの音楽が再びクールなものとして評価されるようになった追い風の中で、クソみたいなアルバムを出すのは、最悪な行動だから(笑)。まあ、それだけじゃなくて、僕とポールの間の地理的な問題があったのも事実だけど。僕はリヴァプールに住んでるし、ポールはロンドンに住んでいる。最初は現代的なやり方で、ネットで音源をやり取りしていたんだよ。でもそのやり方は時間がかかりすぎた。最終的に、ポールにリヴァプールまで来るように言って、彼が実際に同じ部屋で作業を始めたときに、正しいエネルギーが動き始めたって気がしたよ。

それはいつごろだったんですか?

A:去年の終わりごろかな? それまで2年ぐらいネットでファイルをやり取りしていたんだよ。でも、そのやり方は、すごく時間がかかった。今はもっとうまくやるやり方がわかったから、この次また作品を作りたいと思ったら、もっと早くできると思うけどね(笑)。

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アルバムの9曲目「Sister Marie Says」は、最初聴いたとき、なんか「Enola Gay」(1980年のセカンド『Organisation』収録)っぽいな...と思ったら、この曲はメロディーを1981年に書いたところ「Enola Gay」っぽいからということで発表を却下され、歌詞を1993年に書いたけれど、お蔵入りになっていたものなんですね。びっくりです(笑)! 他には、こういう「お蔵出し」的な曲はないんですよね(笑)?

A:(笑)僕らはエコロジーを心掛けてるからね。自然派(green)だから、リサイクルしなくちゃ(笑)。まあ、それは冗談だけど、いくつか...たとえば曲の全体は気に入らなくて、一部だけ心に残っていたものが、ある日ほかの曲にピタッとはまるってことはあるよ。メロディだったり、歌詞だったり...一部だけが気に入ってたもの。「Sister Marie Says」もそうだった。メロディは1981年に書かれたもの。そして歌詞は1994年に書かれた。でも実際に制作されたのは2010年だから、現代のエレクトロニックのアグレッシブな制作方法で作られたんだ。この曲は確かに、「Enola Gay」の生き別れの弟みたいなものだった。でも、それの何が悪いんだろう? って思ったんだよ。「Sister Marie Says」を含め、アルバムの中には古い曲を制作しなおしたものが3曲入ってる。...実際、その中の一曲のタイトルが「Green」なんだけど(笑)。でも他の曲は完全に新しく書かれたものだよ。

あなたたちは、「Enola Gay」が入っていたセカンドまではヴァージン傘下ディンディスク(DinDisc:ザ・モノクローム・セットの最初の2枚のアルバムも、ここから出ていた)に所属していたけれど、その曲の大ヒットでヴァージン本体に移籍したんでしたっけ? それともディンディスク自体がなくなってしまったんでしたっけ? 憶えていますか(笑)?

A:あれは金の問題だった。ディンディスクを設立した女性は、ヴァージンの広報で働いていたんだよ。彼女はスティングか誰かと契約して、リチャード・ブランソンにものすごい金をもたらしたんだ。それで彼は、彼女にレーベルを立ち上げさせたんだよ。でも3年後、ちゃんとしたセールスを上げられるレコードを出しているディンディスクのアーティストは、僕らだけになっていた(笑)。それで結局、ヴァージンがレーベルをたたんで、成功していたアーティスト...まあ、僕らだけだったんだけど...を、ヴァージンに移したんだ。親会社に吸収されたってだけ。

今回、アートワークをファクトリー・レコーズのそれで一世を風靡したピーター・サヴィルが手がけていますよね。すごくうれしいです。なぜなら、1980年にファクトリー・レコーズからリリースされたあなたたちのデビュー・シングル「Electricity」は非常に印象的だったので。そのあと、あなたたちはすぐ先述のディンディスクに移籍してしまいます。ファクトリーは、水が合わなかった...というより、やはりあなたたちのいるリヴァプールと、彼らの本拠地マンチェスターは遠すぎて、という感じだったのでしょうか?

A:(爆笑)質問を作った人に伝えて欲しいんだけど、僕らはファクトリーをすごく気に入っていたんだよ。でも、ファクトリーが僕らに、他のレーベルに移る段取りをつけてくれたんだ。初めてトニー・ウィルソンに会ったとき、彼は僕らに「きみらがやってる音楽は、未来のポップだ」って言ったんだよ。そんなことを言われたのは初めてだった。僕ら自身、自分たちの作品に未来があるとは思ってなかったし、ポップ・ミュージックを作っているっていう自覚もなかった...もっと、実験的な音楽を作っているって思ってたから。それに友達みんなは、僕らがやってる音楽は最悪にひどい音楽だって思ってたしね。それなのにトニーは、「きみらは今に、ポップの世界の頂点に立つ。メジャー・レーベルに行かなきゃダメだ。これから何百万枚もレコードを売るんだから」って言ったんだ。彼のいうことを僕ら自身、全然信じてなかったよ。「なんだか変なことをいうやつだなあ。まあ、いいか」ってね。でも彼は確信を持ってこう言ったんだ。「いや、きみらは絶対にポップ・スターになる。でも、僕らのレーベルはそれには小さすぎる。だから、最初のレコードを僕らが出そう。それを足がかりにして、きみらはメジャーに行けばいい。そしてポップ・スターになるんだ」正直、彼がそういったとき、彼は狂ってるんだって思ったね(笑)。それで「Electricity」が出て、1週間で5000枚を売って、それでディンディスクからオファーが来たから契約して、本当にトニーが言ったような状態になった。幸運にも、彼が正しくて、僕らが間違ってたんだよ。最初に僕らが入ったころのファクトリーは本当に小さかったからね。彼らが僕らを、ディンディスクにつないでくれたんだ。

トニーさんは本当にすごい人だったんですねぇ...。

A:うん、本当に破天荒な人物だった...。亡くなってしまったけどね。彼は本当に英国音楽史上でも、重要な人物だよ。

でもって、トニーさんが予言したとおりに、あなたたちは「Enola Gay」以降、素晴らしいポップ・ソングを次々と大ヒットさせていくわけですが、どこか普通じゃないというか、オルタナティヴな志向性が常にうかがわれていたと思います。あなたのなかに、「ポップ」でありつつ他とは違う存在...「オルタナティヴ」であろうとした、といった姿勢が明確にあったのでしょうか?

A:別に意識してそうしているわけじゃなく、僕らが音楽を作ると自然にそうなるってことだよ。元々僕らには、すごく強いポップのメロディ・センスがあると思う。メロディが好きだしね。でもいつも、ちょっと変な...何か他とは違うものを作りたいとも思ってるんだ。自分たちにとって面白いと思えるものを作りたい。ただ、自分たちがもうやったことを何度も繰り返していくんじゃなくてね。それが常に、僕らの音楽の中にバランスを生み出しているんだと思う。それに気づいてもらえてうれしいね。時々シングルしか聴いたことのないジャーナリストが、僕らのことをただポップ・グループだって思って取材してくることがあるけど、僕らはアルバムでは結構不思議な音の世界を作ってると思うんだよね。その中にポップなシングルも入ってるわけだけど(笑)。でもそういうバランスって、常に無意識に生み出されてきたものなんだ。

また、「ポップ」であること、といいうのは、あなたにとってどんな意味を持っていますか?

A:(笑)難しい質問だね...。多分...ポップ・ミュージックっていうのは、ポピュラー・ミュージックの略なわけだから、たくさんの人に愛されて人気があって成功している音楽ではあるんだろう。でも最近は...ほとんどなんでもポップ・ミュージックに入れられるんだと思う。ロック・ポップ、R&Bポップ、ダンス・ポップ、レゲエ・ポップ...クラシック・ポップすらある。ポピュラー・ミュージック業界は、古いからね。1920年代にジャズから始まって、フランク・シナトラ、バディ・ホリーみたいなアーティストに続いて、今ではぐるぐると回りながら、何でもその渦の中に巻き込んでいっている。今では何でもポップだし、何でも流行になれるし、逆にいえばポップというカテゴリーから外されるものもないんだと思う。

その両者...「ポップ」と「オルタナティヴ」のバランスに関して、今回はいかがでしょう? 最もわかりやすい例でいえば、8分におよぶ(ボーナス・トラックを除く)ラスト・ナンバー「The Right Side」には、クラフトワークやその他のクラウトロックに通じるものをとくに感じます。あなたたちは、そういった人たちに影響を受けつつ新しいものを作りだしてきた、と言っていいのでしょうか?

A:日本に行ってきみらと握手したいね!本当にちゃんと僕らの歴史をわかってくれている。クラフトワークやドイツのバンドは、僕らにとって大きな影響だった。彼らは本当に重要なバンドだと思う。みんな、ブルーズがロックにとっていかに重要かって話をするけど、僕はこの40年の中で、クラフトワークが最も重要なバンドのひとつだって思ってるよ。今でも好きだし、聴いてるし、いまだにインスピレーションを受ける。確かにこのアルバムにはクラフトワークっぽいところがたくさんあるね。今のバンドたちがOMDからの影響を語って、僕らの音楽の中からポジティヴな要素を自分たちで解釈して使ってくれているのと同じように、僕らはクラフトワークからいろんなインスピレーションをいまだに受けつづけてるし、またそこから新しいものを生み出していけたらと思うんだ。

過去にはあまりそう感じなかったのですが、今回はそれこそファクトリーから作品を出していた、ニュー・オーダーと、どこか通じるものを感じたりします。数曲のアレンジとか。こんな意見について、どう思いますか?

A:多分1曲...いや、2曲ぐらいニュー・オーダーっぽいサウンドがあるかもね。すごくヘヴィーなベースのリフが響く1曲目は、ピーター・フックっぽいと思う。それから8曲目の「The Future, The Past, And Forever After」も90年代のテクノっぽい感覚が、ニュー・オーダーっぽいかもしれない。ジョイ・ディヴィジョンからニュー・オーダーになったとき、彼らがシンセサイザーを導入してOMDっぽいサウンドになったって言えるかもしれない部分は、議論できるところだと思うけど(笑)。まあ、別にお互いに影響を与えあうような関係ではない気はするね。

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あなたたちはアルバムのカヴァーに、オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク(Orchestral Manoeuvres In The Dark:闇にまぎれたオーケストラ的戦略)という正式名称を記載する場合と、OMDという略称を記載する場合がありますよね。今回は後者。そこに、なんらかの意味はありますか? それとも、今はもう正式名称がOMD(笑)?

A:面白いのは...今は僕ら自身は、オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークって自分たちを呼ぶ方が気に入ってるってこと。若かった頃、自分たちがどんな気持ちでバンドを始めたのかを思い出すんだよ。でも、OMDって呼ぶ方が簡単なのはわかる。それに、ニュー・アルバムには、ただOMDって書いてあるしね。これは、デザインが来たのが新しいロゴといっしょだったからなんだ。ああ、このロゴ、いいんじゃない?って(笑)。すごくシンプルでミニマルなスリーブに、オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークってめちゃくちゃ長い名前を入れることは、あまりフィットしないしね(笑)。まあ、別にどっちを使うかで何か意味が違うってこともないんだよ。この長いバンド名に、何の意味もないって知ってがっかりする人も多いし。何の意味もないってことでつけた名前なんだ。元々、ふたりの男がパンク・クラブでテープレコーダーを使いながら曲を演奏するのに、親友ですら最悪の曲だって思っているような曲しかできないから、何かものすごく変な名前をつけたら、きっと音楽も変なんだろうなって最初からわかってもらえるだろうってつけた名前だったから。ちょっと他とは違う音楽なんだろうって思ってもらえそうな、変わった名前にしたってだけなんだ。そもそも、ギグをするのは1回きりのつもりだったしね。それが32年前のことになるんだけど(笑)。クレイジーだね。

日本人である我々からすると、あなたたちとほぼ同じころデビューした(正確に言えば1年ほど早かった)イエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)...略称もしくは正式名称(笑)YMOも、当時すごく大きな存在でした。彼らのことはご存知ですか? 自分たちと比較することは可能ですか?

A:うん、彼らはすごく重要なバンドだったね。彼らもすごくユニークなスタイルを持っていた。日本的なイメージみたいなものは、ヨーロッパでは本当に新鮮だったし。個人的にはすごく重要なバンドだと思うけど、音楽的にはものすごく好みだったってわけでもない。でも素晴らしいバンドだとは思うよ。

オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークという名前もOMDという略称も、それらを適当に使いわけるところも、すごくニュー・ウェイヴ的で、ハイパー・モダンもしくはシュール・モダンだと思います。あなたたちがデビューしたころから、日本ではいわゆるポスト・モダン思想が隆盛になってきたのですが、あれから30年たってポスト・モダン的に個人主義が完全に行きづまっている観もあります。「ポスト・モダン的なノリで分断された個人」が、それぞれ殻のなかに閉じこもり「自分が世界の中心」であるかのような感覚を持っている...。そんななかで、あなたたちが『History Of Modern』というタイトルのアルバムを出すのは、非常に意義深いことに思えます。

A:別に今の時代を皮肉るようなつもりはひとつもなく、最初のころ言ったとおり、僕らの立ち位置っていうものを示しただけかな(笑)。ポスト・モダンの世界で、年取ったモダニストがいったい何をやるんだろう、っていうような部分とか。古臭い未来主義になる可能性もあった。僕らはただ、懐古的なことをやることもできたんだ。そんな中で、自分たちの今を表現したのが、このタイトルなんだと思う。質問に戻れば、僕らが子供の頃って、聴く音楽で仲間が分かれてたような部分があった。僕らが聴いてるのはこれで、きみらが聴いてるのはそれか。それじゃ、僕らは違う、って。でも今の若者たちにとっては、音楽がそれほどの重要性を持ってないんだよ。僕には15歳の息子がいて、彼は音楽が大好きでiPodでいつも音楽を聴いてるけど、別にどの仲間にも属していない。ダフト・パンクを聴き、カニエ・ウェストを聴き、ニルヴァーナを聴き、レッド・ツェッペリン、ビートルズ、モンキーズまで何でもひとつのiPodで聴いてしまう。でも、音楽はそれほど重要な意味を彼の人生には持っていない。彼だけじゃなく、今の世代はみんな、もっと大きなマルチメディアの世界に属している。音楽はいい。でもそれは、大きなものの一部分に過ぎないんだ。コンピューターで友達とやり取りしながらYouTubeを見て、お互いにリンクを送り合う。僕らの時代は一枚の新譜を手にして、「すごい、これを聴けよ!」って回し合うのがせいぜいだったけどね。そういうマルチメディア全部を同時に相手にするのは、僕にとっては難しい。でも息子なんかは、片耳にiPodのイヤフォンを突っ込んで、ゲームをしながら、YouTubeを見つつネットで友達とやり取りして、TVまで見ている(笑)。それで快適なんだよね。僕には無理だよ(笑)。

質問作成者は1984年ごろから少しずつ仕事として音楽メディアに関わりはじめたのですが、最も初期にした仕事のひとつが、海外の雑誌に載ったあなたたちのインタヴューを翻訳すること。そこで、あなたかポール、どちらかが、大観衆の前でライヴをしなきゃいけないので、いつも緊張のためライヴ前にゲロを吐く、俺たちはゲロの海を行く! とおっしゃっていたことが、すごく印象的だったそうです。

A:(爆笑)うん、そうだね。僕らはステージ前に、いつもものすごく緊張した。ポールが、僕らが緊張した原因はオーディエンスのせいじゃなく、テクノロジーのせいだったって言ってたね。自分たちがやってる音楽には自信があったんだけど、テクノロジーのせいで...いや、ステージに持ち込む機材が、常にどこか故障し続けてたからさ。あれは常に相当なプレッシャーだったな...(笑)。

そうでした! よく憶えてますねえ(笑)!

A:まあ、今では昔の思い出だし、それほど緊張することもないけど。テクノロジーの進歩のおかげで、ステージでそれほど怖くなくなったんだろう(笑)。

なるほど。それでは最新の機材と共に、是非日本に来てください(笑)!

A:うん。今年はヨーロッパをツアーしてるけど、来年はぜひ日本にも行きたいね。日本には80年代に2回行ったけど、本当に素晴らしい体験だった。本当にまた日本に行きたいよ。日本にはこの4人では行ったことがないんじゃないかな。ブラス・プレイヤーたちや、サポートのギタリストがいた時だったと思うんだよね。でも今はオリジナルの4人だからよりエレクトロニックだし、本当にぜひみんなに見てもらいたいよ!


質問作成、文/伊藤英嗣
取材、翻訳/中谷ななみ


*本文中、「Enola Gay」とすべき部分が、すべて「Enora Gay」になっておりました...。お詫びのうえ、修正させていただきます...。【10月16日追記】



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OMD
『ヒストリー・オブ・モダーン』
(Blue Noise / Sony Music)

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