マイス・パレード『ホワット・イット・ミーンズ・トゥ・ビー・レフト・ハンデッド』(Fatcat / P-Vine)

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mice_parade.jpg 輝いていて満ちていて、どうしようもなく憧れてしまう音楽が時として生み出される。ただただ憧れ、聴くたびに何度も反省させられる音楽。そういった作品に出会うことはある種の事故だ。自分の価値観というものがバラバラに解体されて、それまで抱いていた常識が否応なしに塗り替えられる。だから僕は音楽を聴く。そして再び音楽によって自分は解体され、その連続の中に身を置くことが音楽を呼吸することだと思っている。08年のフジロックや今年のタイコクラブに出演し、すでに来年にも再来日公演が決定しているマイス・パレードの『What It Means To Be Left-Handed』がまさにそういった作品だ。NYの結成10年を超えたバンドの中心人物アダム・ピアースのセルフ・プロデュースによる3年ぶりの新作である。

 マイス・パレードのみならずHIMやランシング・ドライデンなどでも活動し、ディラン・グルーでも中心人物として活動していたアダム・ピアース。彼にはひねくれたところがあった。ジョン・ケージの「4分33秒」をあえてカヴァーし、エイフェックス・ツインの曲まで生楽器で演奏したりと、茶目っ気というか無邪気さというか、ただの好奇心なのか、何か面白いことをやってやろうという遊び心があった。が、そこに僕はふてぶてしさのようなものを感じてしまったのも確かだ。本作はブラジル音楽の西洋的解釈かと一瞬思ったが、その一言で片づけることの出来ないサウンドで、ふてぶてしさもサッパリ削ぎ、アダム・ピアースの音に対する純粋な姿勢が宿った色彩豊かなイノセントな音がこぼれそうなほど詰まっている。

 スワヒリ語ヴォーカリストのソミ、メレディス・メルドーや、クラムボンの原田郁子など、多くのゲストを招いたが大げさなサウンドにはなっていない。過去の実験的な作風の匂いはあるものの、かつてのひねくれたところは一切なく、前作のメロディを大切にする路線を押し進め、アコースティックを基調とする路線も変えず、凝ってはいるが決して嫌味に聴こえない。レモンをかじったような甘酸っぱい音が広がっていて攻撃性や哀感を削いだサウンドは、自宅のスタジオでレコーディングされたこともあってか親密性が高い。音が肌に触れるような感覚があって大歓迎だ。

 ブラジル音楽、ジャズ、フォークなど様々なジャンルを取り入れているのは過去の作品同様だが、実験的なサウンドには聴こえない。むしろ実験を重ねた末にやっと掴んだポップ感が清々しい姿となって聴こえてくる。そこには宙を漂うような幻想感が込められていて一瞬で虜になった。ほうきでサッと雲を掃いたような青空のもとで鳴らされているような本作には光によって照らされる感覚も詰まっている。それはちょっとした暗さがあった前作を前向きに捉えた結果がこの作品の清々しさに繋がっていると僕は思う。軽々しく「前向きに」などと書くと笑われてしまいそうだが、前しか見えないと言わんばかりの音が溢れ出すさまは、もう決して音楽的技巧に逃げない姿勢の表れなのだろう。
 
 過去のマイス・パレードには演奏の技巧やサウンド・プロダクションの巧みさで音楽と向き合うことをあえて避けてきた、あるいは逃げてきたところがあったと僕は思っている。しかし本作は技巧による過度な演出、ドラマチックなところがなく、音が素直に鳴っている。苦みを含んだアダム・ピアースの歌声と女性ヴォーカリストのウィスパー・ヴォイスに、コーラスが重なるさまは丁寧でやさしくて意識を抜かれてしまう。立体的なミックスも交流の深いダグ・シャーリンのドラミングも、音の配置も抜群だが、あくまですぐれた技巧も音楽を構成する要素のひとつという姿勢が本作で押し出されていて、素の音がそのまま出せるところまでマイス・パレードは来たのだと僕は感じた。もう逃げない。肩書きも経歴も関係ない。アイデンティティの拠り所はいまの自分そのものだと、そんな意気込みが自然対で表現されている。そしてそれはリスナーへの肯定として包まれるように響き、重い腰を上げて動き出そうと訴えられているかのようだ。
 
 何につけ、ダメだと言って逃げても、逃げた先に直面するのが自分の弱さであることがあると思う。だが今の世の中は、自分のダメさもまたネガティヴ思考に浸るナルシシズムによって回避し、それでよしとする居心地の良さが充満している感がある。それが時代の閉塞感に繋がっているところもあると思う。街ゆく人々は常に頭を垂れている。しかし永遠に逃避しながら安住できるほど人間は強くない。だからマイス・パレードは前を向く。隠すものは何もない。歌詞は暗いが、それは人も時代もくだらない世の中も、受け入れた上で奏でられる音楽があるのだと訴える気持ちが込められているから背中を押され、そこに僕は憧れる。頭を垂れている音はない。僕らも頭を垂れる必要は微塵もない。開放感に溢れるこの音楽はそんなふうには自分を見つめ直させる。社会に対して安易にNOと言う勇気より、YESと言える勇気の方が重要な時代にあって本作はあまりにも眩しい。

(田中喬史)

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