ピープル・イン・ザ・ボックス『Family Record』(Nippon Crown)

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people_in_the_box.jpg「うひゃー。また、だ。ピープル・イン・ザ・ボックスの新譜」と、リリース前に曲名やタイトルが公式に発表された時も、実際にそのサウンドを聴いた時にも思った。相変わらず、暗喩的で変化球な表現の数々、めまぐるしく変わる変拍子と変調に満ちた曲構成、それでいて、スリー・ピースというバンド形態を活かし、一切の無駄を削ぎ落としていく職人技のようにストイックなサウンド構築。およそ二年半ぶりの、彼らの新譜には彼らの持ち味の世界は変わらず、それがどんどん強固になっていく様を見て取れる。
 
 リリース前の曲名およびタイトルが公表された時に、多くのリスナーが感じたのは、「前作(シングル『Sky Mouth』を除く)『Ghost Apple』に引き続きコンセプチュアルな内容になるのでは」との思いだろう。なぜなら、今作のタイトルは全ての曲が、国名、地名あるいは不特定ながらも、それぞれの想像力を喚起させるような場所の名前が冠せられており、アルバムの曲名を眺めると、まるで世界旅行の様相を呈しているからだ。一曲目「東京」から始まり、最終曲「どこでもないところ」に到達するまで、このアルバムはヨーロッパを中心に北米や南米などを旅することができる。
 
 しかし、個人で海外旅行する事が趣味な僕は、タイトルを見た時に、「思い切ってやってくれたな」という気持ちと同時に、ある種の過剰さも感じてしまったのも事実だ。「ここまで徹底しすぎると、かえって閉鎖的になってしまうのではないか。聴く前から聴き辛そうな狭い印象を与えてしまうのではないか」という懸念だ。しかも、アルバム自体のタイトルは『Family Record』と全く国名にも地名にも関係ない、独立したものになっている(と言っても、これは彼らの以前のタイトルからそうだったが)。ジャケットもスタイリッシュではあるけれど、何だかよく分からない白濁だ。

 「どうなるんだろう、新譜は」などと、若干の不安も拭い切れずに聴いたが、その内容は冒頭で書いた通り、今までの彼らの魅力をより研ぎ澄ましたもので、結局は、僕の杞憂だった。今作のサウンド面は、今までよりも格段に、三人の楽器が奏でる絶妙なアンサンブルがスリリングで心地良いのが第一印象だ。それは、演奏技術云々と言うよりも、フロントマンの波多野裕文自身が、このスリー・ピースをどんどん信頼していっていて、より他の二人とのセッションを楽しんだ結果できたものと思われる。どの曲も変拍子と変調の嵐で、一寸狂えば曲全体が台無しになりかねない構成にも関わらず、個々人が相当思い切ったプレイ・アビリティを発揮している。波多野のギターは、時に狂ったディーヴァのように爆音で呻き、時に精霊の祈りのように繊細に泣き、山口のドラムは相変わらず、細やかな動きからダイナミックなフィルまで楽曲の根幹を成すグルーヴの強かさを実直に表現しており、福井のベースは、そんな大暴れな二人の仲を取り持っていたかと思えば、意外なところで主役をかっさらっていく。それでいて、三人のグルーヴは、ブレがなく強固だ。
 
 歌詞を見れば、タイトルの地名や国名について言及するものは少なく、それらは単なるメタファーであったことが分かる。従来通りの、波多野による暗喩や倒置を多用しながらも、主語の置き換え、コンテクストの乱暴な改変によるシュルレアリスム的手法が映えている。まるで、実存主義を通過した不条理文学を読んでいるような錯覚に陥るのも、相変わらず見事である。まさに、ジャケットの白濁のような、クリアながらもドロっとした印象を与えてくれる。

 最後に、少し個人的な事を書いて終わるのが、申し訳ないが、ご容赦願いたい。このアルバムの10曲目に「スルツェイ」という曲があるのだが、この耳馴染みの薄い地名は、世界遺産にも登録されているアイスランドにあるスルツェイ島がモチーフだろう。実は、この島、北欧神話にも密接な関係にある火山島である。僕は、個人的にアイスランドと言う国に対して―親氷家とでも言おうか―とても親近感を湧いており、様々なアイスランド文化を敬愛しているのだが、(ご存知、シガー・ロスやムームなどの出身地でもあり独特のシーンも形成している)首都のレイキャヴィークではなく、このスルツェイ島をタイトルに選んだ波多野の素晴らしい命名センスに心底、脱帽してしまった。

(青野圭祐)

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