October 2010アーカイブ

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本日より、クッキーシーン・サイトは1~2週間替わりの「表紙」を設けることにしました。トップ・ページの前に、カヴァー(英語で「表紙」という意味)・ページがある、という感覚です。

クッキーシーンの基本URL(www.cookiescene.jp)でアクセスした場合、一気に(雑誌で言えば「目次」的な意味のある)トップ・ページに行けない、という意味で、お手数をおかけしますが、カヴァー・ページの写真はそれなりに解像度の高いものを使用しています。

DLして、あなたのPCの壁紙に使用することも可能では...? いや、決して編集部がそれを「推奨している」わけではないですけど...(すみません:笑)。

また、ブックマーク用URLを「目次」的な部分(カヴァー・ページにつづくトップ・ページ)に変えておくことも可能です。いや、これもぼくらとして「推奨」はしませんが...(すみません:笑)。

また、本日「FEED BACK」ページと「ABOUT THIS SITE」ページを更新しました。これらのカテゴリーについては更新がトップ・ページの「HEADLINES」に自動的に反映されないため、この場を借りてお伝えします。

2010年10月27日22時35分 (HI)

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このコーナー、しばらくお休みさせていただきます。

なにより読者のみなさんのお役に立ちたい、「いいアーティスト」の(日本盤リリース)情報をみなさんにお伝えしていきたい...という意味で、しばらく更新をつづけてきたこのコーナー、クッキーシーンがよりヴィヴィッドなメディアとなっていくため日々の作業をおこなっていく際の目安になるという意味でも、是非つづけていきたいのですが、現状ではちょっと無理...って感じです(汗)。

いつか復活したいとは思っています(早くて、2011年初頭、かな...)。その日まで、このコーナーはしばらく休眠状態になります...。申し訳ありません!

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準備も含めて「フェス・シーズン」に入るころまでは、それなりに順調に更新していたこのコーナー、本来「レヴューやインタヴューなど、このサイトに存在する他のカテゴリーではフォローしきれない音楽関係のニュースをお伝えする」ためのものですが、現状のクッキーシーン編集部のマン・パワーでは、ちょっと忙しくなると(7月からずっとそうであったように)まったく更新できなくなってしまいます...。

一方、クッキーシーン関係でお伝えしたいことが、ちょこまか出てきました。

大変申し訳ありませんが、次にこのコーナーでお伝えするまで(マン・パワー的に「もう大丈夫!」となるまで)、しばらくこのコーナーは「クッキーシーンに関するニュースをお伝えする」カテゴリーとさせてください。

すみません!

2010年10月27日15時50分 (HI)

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RA RA RIOT

アルバムには特にテーマは設定せずに
とにかく自由にやりたいことを詰め込んだんだ


ヴァンパイア・ウィークエンドと並び、デビュー前から各方面からの多大な注目を集め、アルバム『ランバ・ライン』で鮮烈なデビューを飾ってから2年。ニュー・アルバム『ジ・オーチャード』を引っ提げてラ・ラ・ライオットが帰ってきた。高まる周囲からの期待やプレッシャーを軽々とかわし、再び傑作を届けてくれた彼ら。一回りも二回りも大きく成長したバンドの現在について、ヴォーカルのウェスとベースのマシューに話を聞いた。

rarariot_photo01.jpg


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GOLD PANDA

歌詞とかヴォーカルがなくても、"曲"ってものを作りたいんだ


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UKイースト・ロンドン出身、シャイな人柄とハートウォーミングな音楽性で現在、話題沸騰中のエレクトロ・ミュージシャン、ゴールド・パンダ。

過去にリリースされてきたEP(日本ではこれらのEPを纏めた独自企画盤『Companion』も)や、ブロック・パーティやリトル・ブーツなど大物たちのリミックス・ワークでじわじわとその名前を浸透させてきた彼だが、先ほど発表された待望のフル・アルバム『Lucky Shiner』で遂にブレイク。エイフェックス・ツインとなぞらえられたり、「ポスト・ダブステップ世代の俊英!」みたいに持て囃されたり、DOMMUNEや朝霧ジャムにも出演したりと、にわかに周囲は盛り上がりを見せているが、本人はいたって謙虚。

インタヴュー中も実にマイペースであっけらかんとしていて、ジョークも飛ばすし、ナーディな佇まいも併せて非常に共感。かわいい!

内省的でセンチメンタルな作風となったアルバムのことを中心に今回は話を聞いてみた。すでによく知られているように、若いころに日本滞在の経験もあり日本語検定二級も取得済みの彼。話を聞くだけなら通訳いらずの語学力にも驚いたが、インタヴューの行われた畳の間に座る姿が恐ろしいほど場に溶け込んでいてまったく違和感がなかったこと。そして、機材や楽器を巧みに操る指先が、男性とは思えぬほど綺麗で思わず見入ってしまったことを最初に付記しておこう。


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sufjan_stevens.jpg スラヴォイ・ジジェクは「幻想の感染」において、こういう事を述べていた。

 カントの哲学においては、美しいものと崇高なものと異形なものとは三つ組みを成す。「三項」の関係はボロメオの結び目の関係であり、二つの項が第三の項を介して繋がっている。「美」は異形が崇高になるのを可能にし、崇高は美と異形とを媒介する。それぞれの項を極端にする―「完全に実現」をすると、「隣のもの」に変化する、徹底して美しいものは、もはや単に美しいのではなく、崇高になる。同様に徹底して崇高なものはどこか異形になる。あるいは逆に言い方をすれば、崇高の要素がない美しい対象は、真に美しいものではないし、異形の兆しとなるような次元を欠く、崇高なものは、真に崇高なのではなく、単に美しいだけである。

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『The Age of Adz』を初めて聴いたとき、崇高さと鬩ぎ合う異形性を感じると共に、そこに美しさを感じた。ここには過去にアメリカ50州シリーズに挑んでいた際の例えば、『Michigan』、『Illinois』のようなテーマ性や麗しさは「破綻」しており、『The BQE』や「All Delighted People」EPとも違うが確実に、それらを「通過」したが故の独自の捩れた音が鳴っており、「現代版のバーバンク・サウンド」とでも言えるのかもしれない、ミレニウムやハーパーズ・ビザール、レフト・バンク、アソシエイションなどのような音を現代的に再解釈する手腕は相変わらず巧いが、『Illinois』時のようなチェンバーポップの鮮やかに「再写」する手法に関して周到に避けている。

 全体を通じて、エレクトロニックな要素群が格段に増え、エフェクトやサンプルやループや打ち込み音が明らかに独自の歪な音像を結び付けている。その結び目をほどき、サウンド自体の意匠を外せば、フォーキーでトラディショナルな伝承歌のような歌であったり、現代音楽的な様相が浮かんで消える部分もあり、また、ゴスペル的な要素因とIDMとポップ折衷が捩れながらも昇華に向かわず面妖な麗しさを醸す所作の妙はなかなかに凄味さえ感じる。引き合いに出される彼の初期の2001年の『Enjoy Your Rabbit』的なものよりも、もっと表象されているものが違う。より過剰になったサウンド・コラージュの前衛性や黒いフィーリングが表面化している様は今の彼のモードなのだろう。

 しかし、そこはスフィアンらしく「歌心」も忘れていない。今回の歌詞はストーリーテリング的なものではなく、一人称の根源的な独白になっており、そこで愛や孤独、不安などをモティーフにしたもので、時に「ぼくはきみを愛してる」、「長い人生さ 少しは苦労しよう」という衒いのないストレートな歌詞が乗る。ヴォコーダーで加工された声、ヴァン・ダイク・パークス的なストレンジなストリングスの絡み方、幾重にも組まれたサウンド・レイヤーの中で曲は着地点を見出さず、「中空」に浮かんだまま、安直なヴァース・コーラス・ヴァース形式の意味が敢えてぼやけるような構造形式を取っている(ように思わせるが、実際、骨組みだけ取るとポップなものが存外、多い)。

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 ヘッド・ミュージック的な側面もあるが、「内側に閉じてゆく」独善的な作品にもなっていない、とてもポップで万華鏡のようなトリップ感で耳に訴えかけるテンションもある。それは、今回の作品を作るにあたってインスパイアーを受けた黒人画家のロイヤル・ロバートソンのスピリチュアリティが強く出ているのかもしれない。ロイヤル・ロバートソンの提示していた黙示録的な世界観、また、それでも、浮世離れはしないリアリティへ立脚しながら創作活動に励んでいた様。スフィアン自身が憂き世離れしないで、「今、ここ」に留まりながら、音楽に対峙する「意味」が彼を通じて視えてくる。

 インテリジェントでスマートなポップ職人としての彼を求める人なら、『The Age of Adz』はいささか期待を覆してくる内容になっているといえる怪作になったかもしれない。また、各曲の過剰な情報量の多さに眩暈をおぼえてしまうかもしれない。最後の曲の25分を越える「Impossible Soul」に至っては多重コーラスとエレクトロニクス要素と目まぐるしくうねるサウンドスケイプ、ゴスペル・パートなど二点三点も落ち着きの無い展開を見せるサウンド・タペストリーになっている。これをしてアニマル・コレクティヴ的な「サイケデリック」との共振を探すにはあまりに思考停止が過ぎると思う。このサイケデリアは彼自身の内的宇宙の潜航からなる<外>への開きでもある訳で、ファラオ・サンダースやジョン・コルトレーンのような行き着くべきして行き着いた「彼岸」であり、「過程」とも言えないだろうか。

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 異形に近接する美へ彼が崇高性を求めた結果、「こうなってしまった」のか、彼の今の脳内を示すにはこういった「異形性を求めないといけなかった」のか、詳しい所は分からないが、あらゆる面で「引き裂かれた」アルバムになっている。黒いフィーリングと白さ。前衛性とポップネス。安寧と孤独。その引き裂かれたクレバスの間から福音のようにとても優美な音が漏れ聞こえてくるのは確かだ。現代のポップ職人の奏でる異形の美は"ソング・サイクル"を抜けて何処へ向かうのだろう。

(松浦達)

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hurts.jpg ペット・ショップ・ボーイズ、ティアーズ・フォー・フィアーズ、そしてヴィサージなど、様々なバンドと比べられているハーツだが、ハーツは紛れも無くハーツである。と、柄にもなく好きではない「である」口調を使ってみたけど、彼らの記念すべきファースト・アルバム『Happiness』では、ハーツのアイデンティティがこれでもかと主張されている。サマソニで見せてくれたステージングやヴィジュアルを見る限りだと、デコレーションされまくったつまらないポップ・アクトと思われるかも知れないけど、この『Happiness』は、不思議と人間味溢れるアルバムになっている。

 ハーツは「ポップ」というものに対して、誠実に向き合っている。それは、ハーツがポップ・ミュージックの力を信じているからだと思うのだけど、では、なぜ彼らにとっての「ポップ」が、ここまで個性的で、とことん過激な表現となっていったのか? それは、ハーツにとっての「ポップ」とは、「逃避先の世界」だからではないか? だからこそハーツは、どこまでも己に装置を配置していく。しかし、それでも人間的でピュアな部分が見え隠れするのは、その装置の使い方、そして、その装置そのものが、セオとアダムという二人の人間の根底から生まれたものだからだと思う。つまり、この『Happiness』はニュー・オーダー「Blue Monday」や、オアシス「Supersonic」と同じ系譜にある。もちろん、それぞれの事情は異なるし、音楽性も同じではないけど、「前に進むための逃避」という意味では、『Happiness』「Blue Monday」「Supersonic」は、共通するものがあると思う。

『Happiness』は、「理想的な現実」というのが描かれている。耽美に浸るわけでもなく、ドラスティックに現実を描写し、ひたすら自己と格闘しているわけでもない。それぞれの感情や思惑を行ったり来たりしている。それは、人から見れば「迷走」に見えるだろうけど、ハーツの「迷走」は前に進むための「迷走」であり、「ポップ・ミュージックを作る」というハッキリとしたヴィジョンが窺える。そして、この「迷走」が『Happiness』をなんとも不思議なアルバムにしている。「理想」を作り上げているのに、そこから滲み出ているのは、生きるうえでの「哀しさ」や「辛さ」だ。歌詞と曲調が相反していたり、「Wonderful Life」という曲がある一方で、「Devotion」という曲もある。つまり、『Happiness』というアルバムは「今の世界において、ポップ・ミュージックを作るということ自体が、戦いになってしまう」ということを、図らずも証明してしまっている。

「ポップ・ミュージック」を作ることによって生じる「儚さ」というのは、この世に音楽が誕生したときから、何度も表現されては、砕け散っていったもの。この「儚さ」というのは、世界が不穏な雰囲気に包まれるほど、必要とされるものだ。そして、『Happiness』には「儚さ」が十二分に詰まっている。この素晴らしいアルバムがたくさんの人に聴かれてほしいと願う一方で、「いったい世界は、いつになったらこの「儚さ」を必要としなくなるのだろうか?」と、少し悲観的な感情を抱いてしまう自分もいる。

(近藤真弥)

*日本盤は11月3日リリース予定です。【編集部追記】

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fran_healy.jpg 思えばトラヴィスのアルバムをボロカスに貶したレビューなんてこれまで一度も目にしたことがない。他のバンドもコールドプレイやキーンには文句を言うことはあるけれど、トラヴィスにその矛先が向けられたことは、あまりない。というかそのケースを私は知らない。トラヴィスのメロディにはどんな偏見や先入観の介入も許さない凛とした佇まいがある。「こりゃ、悪いわけがないよね」とついつい全面肯定してしまう魔法の力が働いている。ロクでもない人生でも最高のユーモア・センスとシンガロングできるコーラスがあればそれなりのものに見えてくる。トラヴィスのメロディは基本的にメランコリックだが、ふっと笑ってしまう気の抜け方が大好きだ。たぶん私以外のファンもそこが好きなんだろうと思う。

 そのトラヴィスのフロントマンであるフラン・ヒーリーのソロはブランドン・フラワーズのソロほどバンド・サウンドに傾倒しているわけではないが、アコースティックに振り切れたというわけでもない。そして「Selfish jean」や「Flowers in the window」のようなハッピーなヴァイブに満ち溢れているわけでもなく、内向的といえば内向的だ。だが、これは紛れもなくトラヴィス・サウンドである。おそらく特別にバンドとの差別化を図って制作されたアルバムではないだろう。だってトラヴィスの新作を聴くような気持ちで聴いたら、普通に良いアルバムだったから。シングルの「Buttercups」なんかは前々作の「The boy with no name」のどこかに紛れ込んでいてもたぶん気付かない。そういえばこの曲のビデオは、フランが車のなかでやたら女性に花束を投げつけられる、っていう内容なんだけど、最近こういうの多くないですか? まさに強い女性と情けない男子、というか。マルーン5の「Misery」もそうだったし、ブランドン・フラワーズの「Crossfire」もそうだった。まあ、男はいつだってその役回りだよね。スレンダーな女の肩に手を回して、プールだ、車だ、シャンパンだ、のマッチョなビデオに対するアンチとしては、かなりおもしろい。

 アルバムの話に戻します。まあ、鉄板ですから、フランの声は。ソングライティングも絶好調です。ポール・マッカートニーとニーコ・ケースが参加しています。でもそんなたいそうな参加の仕方ではありません。付け合せの野菜みたいなもんです。あと「Holiday」は「Sing」を彷彿とさせます。ボーナス・トラックにはハーツみたいな興味深い路線の曲が収録されているので、日本盤がおススメです。

(長畑宏明)

*インタヴューはこちらに掲載されています。【編集部追記】

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