SPIKE JONES『I'm Here』映画(V&S)

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im_here.jpg 皆さん、スパイク・ジョーンズの新作短編映画『I'M HERE』を見ましたか? 数ヶ月前からWEBで公開されてるから「今頃かよ!」との声が聞こえそうで怖い。『I'M HERE』は、サンダンス映画祭やベルリン映画祭でも上映されたアブソルート・ウォッカとのコラボレーション作品。制作にあたっては、スパイク・ジョーンズに完全に自由が与えられたとのこと。だから「お金を出すから、口も出す」ということはなかったみたい。ログインするときに誕生日の入力が必要。それだけが、お酒会社のスポンサーらしいところ。

 近未来のLAを舞台に描かれるロボット同士のラブストーリー。字幕はないけれど、台詞は少なめ。大丈夫。情景描写やロボットたちの表情(!)、そして素晴らしい音楽からニュアンスはしっかり伝わるはず。むしろ、台詞がわからないところは想像で補うという楽しみ方が、この作品にはピッタリかもしれない。アメリカ人社会に生きるロボットを見る僕たち日本人という構図が図らずも、コミュニケーション(通じ合うこと)を意識させてくれるから。

 僕は「かいじゅうたちのいるところ」は凡庸だと思った。よく知られている原作があるから、仕方がないのかな。音楽は良かったけれど、想像を超える発見はなかった。同じ日に、さほど期待せずにレイトショーで見た「ラブリー・ボーン」のほうが印象深い。もともとBMX好きのガキだったスパイク・ジョーンズには、「怪獣もの」よりも「日常」を舞台にした作品が合っていると思う。日常に溶け込んでいる「認識の歪み/差異」がどう見えるか? ということが可笑しくて切ない。登場人物たちがピュアで、居心地が悪そうであればあるほど、滑稽で泣ける。「I'M HERE」にはそんなエッセンスが、30分間にギュッとつまっている。

 地味なセーターを着込むナードな草食系ロボ男子と天真爛漫なロボ女子の恋。壮大なCGやSFXとも違う、チープな合成とも違う独特のファンタジー映像がやっぱり最高。柔らかい秋の日差しと室内の灯りを活かしたライティングが、ロボットたちの繊細な表情を引き立てる。特に眼差しが優しい。そして、相変わらす選曲のセンスも冴えまくっている。ヤー・ヤー・ヤーズのニック・ジナーによる新プロジェクトのTHE LOST TREES、ガールズ、スレイ・ベルズ、オブ・モントリオールなどの曲がフィルムの質感に彩りを添える。

 人間は楽しむことを求めながら、当たり前として身勝手な生き物だ。そして、ロボットたちの行動は、どこか控えめで主体性がないように思える。その大きな違いは肉体と機械ということ。その違いは当然、心の在り方にも影響する。だからこそ、人間にとっては楽しいホームパーティやライブがロボットには悲劇の舞台になる。

 「何としてでも生きる」のが、人間というか生き物の本能。この作品で描かれている主人公のロボ男子には、その対比として「(他者を)生かす」という心がある。人間たちが造り出したロボットに、人間たちが忘れかけていた気持ちがインプットされていた(または、ロボット自身がそう感じた)という皮肉。僕自身、生まれてこの方ほとんど使ったことのない「献身的」「自己犠牲」という言葉の意味に気付かされた。そして、セックスもする生身の人間として「それでいいのかよ!」と思わず叫びそうになったラストシーンは、主人公に自己投影しがちな僕たちの生半可な視点を軽く拒絶する。「I'M HERE」とは、最期まで主人公のロボット男子の言葉であって、僕たちの言葉ではない。見る人にとって「I'M HERE」と言える場所/在り方を優しく問いかける傑作だと思う。秋の夜長に好きな人と、またはひとりぼっちでどうぞ!

(犬飼一郎)

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