パラシュート・ミュージカル『エヴリシング・イズ・ワーキング・アウト・ファイン・イン・サム・タウン+ノー・コンフォート・シングル』(Self-Release / Thistime)

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parachute_musical.jpg 僕にとってポップ・ミュージックとは一回聴いただけで耳にぽーんとポップに入ってくるものである。いわばレコ屋の試聴機で聴いた途端、条件反射的にレジに持っていってしまう音楽のことなのだ。いやいや、音楽は聴くたびに新たな発見があるのだから何度も聴くべきだ、という言い分もよく分かるのだけど、何かを発見する目的で何度も聴くわけではないからなあ...。発見とは「結果的に」生じるものなんだから。

 その文脈において、コールドプレイやクイーンと比較されることもあるナッシュヴィルを中心に活動する4人組のピアノ・ロック・バンド、パラシュート・ミュージカルの音楽は、まさにぽーんと耳に入ってくる。なんだかそういうバンドが最近減った気がするのだ。ポップ・ミュージックは眉間にしわを寄せて聴くものではなくて、あくまでも大衆娯楽であるべき。ピアノの室内音楽的な響きを大切にし、クラシック音楽の要素を取り入れつつも、そこにラテンやジャズ、ロックを取り入れる音楽性は大胆不敵。音楽はエンターテイメントであるべきというメンタリティがある。
 
 彼らの国内盤デビューとなる本作は、08年リリースの『Everything is Working Out Fine In Some Town』に2010年リリースの最新シングル「No Confort」をプラスした日本オリジナル仕様。ナッシュヴィルの人気プロデューサー、デレク・ガーテンによるもの。流暢なピアノの音色と対比してエモーショナルなヴォーカルが活きている。時に叫び、時に泣いているような歌声は、わざとらしい衝動性がなく、自然と滲み出てしまった衝動の温度差が楽曲に色彩の豊かさを与え、ただのピアノ・ロックと表するのは勿体無い。衝動とは、衝動を出すぞと意気込んだ時点でフェイクになるのだから、自然と滲み出るものでなくてはならない。もはやギターを叩き割る行為が擬似衝動的なパフォーマンスと化していると感じる僕だが、本作にはパフォーマンスとしての衝動はないのである。加えるに、ヴォーカルはエモーショナルでありながらも跳ねるパーカッションやコーラスが茶目っ気たっぷり。かつ、足音や人の喋り声もサンプリングする。そんな茶目っ気がエンターテイメントの色を濃くしている。アルバム通してひとつの劇を観ているよう。ロック・オペラ的な側面も持っている。
 
 とにもかくにも、本作の良さはポップ感と衝動性だ。ピアノを打楽器として叩きつけるように弾き、衝動を表すバンドは多くいるが、パラシュート・ミュージカルは違う。綺麗にピアノを弾きながら叫ぶ姿は、人間が持つ二面性を、ピアノとシャウト、という二面性で提示する。流暢なピアノによる穏やかな感情とシャウトが持つやりきれない感情。その相反する感情を同時に出しているところにこの音楽の良さがある。そしてそれが、自然と滲み出てしまっているところが良いのである。

 当然ながら音楽とは何かを表現するものだ。技巧に長けていながらも、人間性を表現している本作にグッと惹かれた。このバンドはピアノ・ロックと表されるが、音楽を聴く際、僕らはジャンルを聴いているのではなく人間性を聴いている。とどのつまり、人間の可能性を聴いている。その可能性は無限であり、広がっていく。だが、ピアノ・ロックというジャンル名は無限ではなく、広がらない。人間はカテゴライズできないのだと訴える本作は、音と聴き手の関係性もまた無限であることを示す。あくまでもポップに。

(田中喬史)

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