PRINCE『20Ten』(Daily Mirror)

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prince.jpg 初期のロックンロールにおいて、「弾圧」というものは白人優越主義のヘゲモニーが強く動かされたために、暴力的装置が働いたとヘゲモニー論で解釈出来る。僕はロックンロールという言葉を聴くと、ふと彼のこの歌詞を思い出す。

"赤ん坊が会話して 
スターウォーズが飛び交い 
近所は暗号で合図 
もし夜が来て爆弾が落ちたら 
誰か夜明けをみることはあるのだろうか"
(Sign O' Times)
 
 まだまだ夜明け前。19世紀半ば~後半にアメリカの芸能でミンストレル・ショウというものがあったのを知っているかもしれない。ミンストレル・ショウとは「白人が黒人に扮して」歌入りの演芸会を開くというもので、顔を「黒く塗った」白人の芸人たちが歌い踊り、そこを濾過して伝達されるのは「南部の黒人の実態などを知る由もない北部の白人たちのバイアスのかかった"黒人らしさ"のモティーフ」でしかなく、そこには無論、今も根付く「白人/黒人」の差別構造に依拠した上でのエキゾティシズムが前景化される訳だが、そういうのはスティーヴン・フォスターなんて歌手を問わずよくあるものでもあり、「声大きい者」達の偏見と歪曲によって幾つもの歴史は捻じ曲げられてきているというのは音楽史を除いても常だ。逆説的に、例えば、白人のエミネムが「ヒップホップ」という分野で上を向こうと思った時にどうしようもなく立ちはだかる障壁、それは形容し難い暗黙にして歴史の桎梏だったりするのだ。

 奴隷制度が堅固だった時期は、黒人と白人の実質的接点などないに等しかったが、差別意識や優越意識は温存されたまま、一般社会的に問題はなかったものの、南北戦争の時と言えるだろう、数多の奴隷が「自由の身」となったことで、紛糾する瀬は凡そ推測の通りになった。ま、現代でもそうだが、既得権益を護ろうとする人たちの根深さは革命や政治システムの変化を先刈りするからだ。

 勿論、常識的にミンストレル・ショウの場所に、観覧者としても、黒人は居なくて、白人の下層労働者達は息抜きの為にそういった道化を笑い飛ばし、日々の生活のガソリンに充てていたという見方は出来る。そこでは、19世紀後半に増えたアイルランド、ドイツ、イタリア、東欧系などからの「新移民」層によって支えられていたというのは紛うことない。白人たちが顔を黒く塗り、パフォーマンスするという行為性を通じて、連帯し、アメリカ人としてのナショナル・アイデンティティを保持しようとしていた文脈を僕は否定出来ない部分があるし、昔、大阪の劇場とかで見ていた景色というのは、僕は鮮明に覚えていて、「此処」でしか現実感がない人達も居るのだろう、と思った事もあったし、彼等の居すまいは凛ともしていた。

 この「黒人のイメージ」は、ミンストレル・ショウだけではなく、このアメリカの大衆芸能のルーツから枝分かれし、発展していったヴォードヴィル、バーレスク、ミュージカル、ダンス、映画などにも引き継がれた。今でも、「一方的な黒人描写」が多いのは一概に言えないにしろ、知らず知らずのうちに、芸能が巻き込んでしまった「暗部の舞踏会に僕達が無意識に足を運ぶこと」によって、礎が築かれていっているかもしれない。そんなイメージと現実。そのイメージとしての自分を時に「記号」に変えたりして、シーンを攪乱させ、自分の前さえ呼ばせないようにするエゴというより、信念を持ってブラック・ミュージックの刷新を試みたアーティストにプリンスが居る。

 彼のこの10年の動きの凄さは寧ろレディー・ガガなど比べ物にならないくらい芳醇で、広がりのあるものだったことは知っているだろうか。00年代のプリンスの速度と強度は凄かった。1作品毎に色を変えてくるクリエイティヴィティ。01年の『Rainbow Children』ではジャジーに生音のバンド形式でネオ・フィリーソウルへの回答とも形容できるスムースな演舞をしてみせながらも、歌詞はスピリチュアルで内省的という面白い作品だった。03年の『N.e.w.s』までにはサイト会員への限定のアルバムやライヴ盤もあったが、この作品は長尺のインストが代表するように兎に角、グルーヴがうねっていた。06年の『Musicology』ではロックチューンからメロウなバラッドまで網羅した盤石な内容で、グラミーにおけるビヨンセとの共演やツアーも成功して、完全にプリンスは「過去の人」ではないことを巷間に知らしめた。引き続いての『3121』、更に07年の『Planet Earth』の多種多様な曲を縦横無尽に捌いてみせ、08年のコーチェラでは「Creep」をカバーするなど盤石のステージを見せた。

 そして、この新作『20Ten』はニューウェーヴとポップ・ファンクのケミストリーが生まれている好盤と評していいだろう。10曲40分というコンパクトさながら、オープニングの「Compassion」なんてまるで「Let's Go Crazy」のようなキラキラしたシンセが遠景化して聴こえ、彼自身のギターのリフも格好良く、敢えて狙ったのだろう80年代的な音に仕立てあげた手腕は功を奏している。過去の名盤『Sign O'Times』辺りの重厚さはないが、音はかなり絞られており、ストイック。白眉は「Future Soul Song」で見せる伸びやかなバラードだろうか。オールド・ファンは「相変わらずの殿下」として、ここから入るファンは普段聴いているものとは、少し違うキュリアスなブラック・ミュージックのバネを少しは感応出来るかもしれない。ディアンジェロの沈黙がいつの間にか、忘却にしか繋がらないのではないか、という危惧があっても、プリンスはまだまだ手綱を緩めない。

 惜しむらくは、ヨーロッパでのみ新聞・雑誌の付録CDとして無料配布され、その他エリアでのリリースは限定状態であることだ。80年代回帰がヒップな今にこんな新作を出してくる彼のセンスこそがまたもや評価されるべきであるし、今はあの黒と白の垣根を越えようとした偉大なポップスターも居ないのだ。居ないからこそ、プリンスには黒や白の軸を対象化するべく、精力的に真摯に思いっきり弾けて欲しい、と希ってやまない。まだ、「夜明け前」なのだから。

(松浦達)

 

*本文中でも触れられているとおり、本作品は通常の販売ルートでのリリースではなく、イギリスの新聞デイリー・ミラー紙(Daily Mirror)の付録CDだったと思しきものが輸入盤として日本にも限定入荷されていた模様。以前はAmazonやHMV、タワーレコード等で購入可能であったが、今現在は在庫切れの状態が続いているようである。また、プリンス本人の意向によりインターネットによる本作品の楽曲配信は一切行われていない。【編集部追記】

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