デート・コース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデン、三年振りの活動再開に寄せて

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DCPRG.jpg 「人類の歴史は、自然の一部でありながら、自然を対象化するようになった生物の一つの種が、悲惨な試行錯誤をかさねながら、個人の一生においても、社会全体としても、叡智をつくして、つまり最も人工的に、みずからの意志で自然の理法にあらためて帰一する、その模索と努力の過程ではないかと思うことがある」
(『曠野から』中公文庫 31頁 川田順造)

 サブ・プライム、リーマン・ショック以降の金融危機が起こり始めた際、戦争が起こるのではないか、と考えた人もいたが、戦争で経済が良くなるには幾つもの条件付けが必要であり、昨今の戦争ではその便益も曖昧になってくるのはポール・ポーストの「戦争の経済学」に詳しい。「戦争」というのは政治的なツールとして使われ、時に国家間の軋みから個へと降りてゆく惨憺たるものでもあるが、経済的に捉える観点も時にドライに必要でもある。損得勘定で言えば、昔の戦争特需的なイメージは現代では抱かない方が良い。

 1999年のデート・コース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデン(DCPRG)結成における菊地成孔氏の筆による最初の企画書ではレナード・リュイン「アイアン・マウンテン報告」、モンティ・パイソン、マイルス・デイヴィスの『On The Corner』というモティーフを散りばめ、戦争に関する音楽としての意味付けをした。その「戦時下でのグルーヴ」は、妙なことに全く「ポストモダン」も何も分からないクラヴァーに受け入れられ、ROVO(彼らとはスプリット・シングルを出したりしていたが)や渋さ知らズ等の枠内に収められた。或る種の層からするとベタで苦々しさもおぼえるエレクトリック・マイルス時期の「そのままの音」とポリリズムを「敢えて」の表象の宛先不明性。また、それぞれのパートの微妙なタイムのズレをして、その「行間」でこそ観客を踊らせた様は、00年代は「敢えて‐」の時代に入ってゆくのだな、とライヴに足を運ぶ度に、感じた。

 大友良英氏が居た『REPORT FROM IRON MOUNTAIN』周辺の第一期は兎に角、菊地成孔氏のイメージするバブルな時期のディスコ的な「ミラーボール」を仮象化する事に傾心し過ぎていたところは否めない。その後もライヴでの定番となる「Hey Joe」や「Mirror Balls」はスタジオ録音では非常に無機的で表層的だったが、CDJを絡めての独自のファンクネス、ポリリズムによるバウンシーな「揺らぎ」は十二分にあった。ライヴで再構築される様は現場に居たら感得出来たが、その集大成として2003年のライヴ盤の『MUSICAL FROM CHAOS』にて十二分に確認は出来る。場所を変えて5テイク収められた「Catch22」、マイルス・デイヴィスの『Bitches Brew』の「Spanish Key」の丁寧なカバー。散逸するリズムと放り投げられる或る種のベタな渾沌。兎に角、菊地氏はこのDCPRGにおいては「渾沌」というモティーフを用いる。それが、彼の他の幅広い活動の中でも異例なくらいに、「憂鬱と官能」といったターム以上の「記号性」でもって、半ば「戦時下の為のダンス・ミュージック」という強引さで結びつけられる。大型フェスティバルから小さなライヴハウスまでを跨ぐ強引さで、兎に角、疾走(失踪)を試行した。

 以前、大阪でのトーク・ショーに足を運んだ折、「結婚以後のスラヴォイ・ジジェクに興味は無くなったのは何故ですか?」と質問を彼にしたことがあったが、その質問は僕自身が間違っていた事を今でも考え直す。ジジェクにおける「結婚」というタームの捉え方というよりも、一時期、「一番、インタビューしてみたい、話してみたい人はジジェク」と言っていた彼自身の問題として、アナモルフィック・リーディング的に捉える「べき」だと思ったのもあり、今回、DCPRGが3年振りに活動を再開するにあたって、「主体」自体は、実在の正の場を正の実体と誤って認識してしまうというものに対して「負」を仮置きして、その大きさによって捕捉される作用性自体を考えないといけない、と思ったのもある。

 00年代を猛スピードで駆け抜けた、菊地成孔という人の在り方は多かれ少なかれ皆が周知だろうし各々の感性の神話ベースに吸収され、本人自体が多くを語っているので詳細は割愛するが、「遅れてきたポストモダニスト」としてのその饒舌な語り口のトリックスター性は、スタティック(静的)なユースのイコンでもあったし、停滞を余儀なくされていた論壇界でも軽やかに風穴を空け、遂には大学といったアカデミックな場所にも求められる事になり、ハイブロウもサブ・カルチャーもモードも行き来しながら、兎に角、「今、何故にゴダールやマイルス・デイヴィスを語る必然性があるのか?」という疑念を持つ層さえ捩じ伏せ、「敢えて‐」のイズムを貫き通した。だからこそ、想像を絶するほどの批判や非難も受けただろうし、同族嫌悪のインテリゲンツァは無視することを決め込んだり、彼自身が予期設定した「戦場」ではあらゆる亡霊(revenant)が行き来していた。その意味で、第二期の始めとしての『Structure et force(構造と力)』はおそらく、そのマッシヴで好戦的な部分が最も現れた作品であり、実際のライヴで「structure I la structure de la magie moderne /構造I(現代呪術の構造)」などはイントロ部分で歓声があがり、一気にフロアーが沸いた。その沸き方の野暮ったさとリズムと踊りが噛み合わないギクシャクとした感じはDCPRG、もしくは菊地成孔氏自体を巡る磁場自体を巡る何かを孕んでもいた。ヘーゲル哲学がある種の人たちを「熱狂」させ、そうすることで、「本当」に大事な懐疑精神から目を背けさせてしまうかのような。

 07年の今のところ、スタジオ録音作品として最後になる、カフカの未完の作品である「アメリカ」をモティーフにした『Franz Kafka's Amerika』では遂に「踊ること」自体が困難な音像を生み出してしまい、「宛名のない手紙」が投函される形で、「役割を終えた」と活動の休止に至ったのは仕方なかった事なのかもしれない。オバマ前のマッドなアメリカを「夢想」する限界性はどう考えても、滞留を余儀なくされたからだ。

 そして、3年。ポスト・オバマの閉塞、ソブリン・リスク、チャイナVSアメリカ、オイル・マネー、日本という先進国の底抜け、と世界的な複合不況を引き寄せる要素とそこから派生する予期不安を刈り取る為に今、DCPRGという装置を推し進めようとするのか、それとも、完全なる戦時下においてのダンスを今こそ定義したいのか、明確な理由はまだはっきりとはしない。だが、「敢えて‐」で00年代をサヴァイヴした菊地成孔氏がもうそれでは無理だという「危機の数は13」とばかりに鎧を脱ぎ捨てての、再開なのか、今後の動向が気になると共に、ライヴ、ニューアルバムへの視座などどういう展開になるのか、1929年のニュールンベルグ党大会における、巨大出力PAスピーカーを埋め合わせる意図を孕むのか、米国国防総省(ペンタゴン)と英国王室庭園(ロイヤル・ガーデン)を目指す為のラングはあるのか、注視したい。

(松浦達)

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