へナート・モタ&パトリシア・ロバート『イン・マントラ』(Nrt)

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in_mantra.jpg 1963年に白人テナーサックス奏者スタン・ゲッツはブラジルのピアニスト、アントニオ・カルロス・ジョビンとジョアン・ジルベルトと共に1枚のLPを創る。その中に含まれていた「イパネマの娘」は全世界的に持て囃されることになる。LP盤では途中までジョアンが途中まで歌い、アストラッド・ジルベルトが途中から歌い出す流れになっていたが、EPとして尺を切られた際はアストラッドが全面的に、そのたどたどしい歌声と共に前面にフィーチャーされていた。ボサノヴァ。ブラジルナイズされたジャズという大方の見方に比して、クラウス・シュタイナーはその著作で「ジョビンはボサノヴァがジャズの影響下にあったというのを強く否定している」と述べ、ボサノヴァというのはロック趨勢の中にあったブラジル音楽の中での、カウンターでもあったという見解を示唆する。

 ボサノヴァ(Bossa Nova)とはそもそもサンバの新しい感覚に依拠する。ショーロ、ノエール・ローザ、カルメン・ミレンダを経ての、静謐で上品で野卑な「新しい音楽」と定義付けは今でも可能だろうか。単なるミドルクラスの御洒落なロビー音楽として消費されるか、チルアウト・ミュージックとして受け入れられるのだろうか。

 今、ミナス出身の夫婦デュオ、へナート・モタ&パトリシア・ロバートはジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビン、イヴァン・リンスなどの正統的なブラジル音楽を継承しながら、新しいトライアルをはかっている。

 振り返るに、99年のデュオ名義初の『Antigas Cantigas』における18~20世紀初頭の古典をカヴァー(例えば、カエターノもカヴァーした「プレンダ・ミーニャ」など)の再構築のスマートさは話題になった。以降、世界的にジャック・ジョンソンやサーフ・ミュージック系の緩やかな流れと「共振」しながらも、あくまでMPBの正統的な音楽の後継者として良質な作品群を紡いできた。途程、ブラジルの作家ジョアン・ギマランイス・ホーザにオマージュを捧げた内容のエレガンスが話題になったこともあった。

 マリーザ・モンチ的な麗しさとヒタ・リーのような繊細さを行き来しながら歌唱するパトリシアと、柔らかくマルコス・ヴァーリのように絡むヘナートの囁くようなハーモニーは作品毎に研ぎ澄まされ、他の追従を許さないサブライムな何かを帯びてきた折に、インドのマントラを演奏するプロジェクトを進行させたのは周知だろう。有名な、マントラ・セッション。インドのマントラ(聖句・祭詞)にアンビエント的な「揺らぎ」を持たせ、演奏する試みを07年に行ない、それを纏めた作品は環境音楽やアンビエント音楽、チルアウト・ミュージック、アフタアワーズ・サウンドと同じ遡上に並び、「癒し系音楽」の最筆頭として熱狂的に受容されたのは記憶に新しい。

「マントラ・セッション」の段階ではもう、彼等の純然なMPBの影は仄かに潜めたが、その代わりに「刷新性」ではなく、「ポスト性」がそこにあった。なお、刷新性とポスト性は違う。刷新性は前史を弁えているがゆえ、時に身動きがきかない部分があり、ポスト性は逆に野蛮に脱構築的に対象を解体し、それらのうち有用な要素を用いて、新たな、別の何かを建設的に再構成する要素因を孕み、積極的に意義の解体を見出すために使われる事が多い。ポスト的にマントラへ飛び込んだ彼等の音は「前史は弁えている」が故に、独特の新しさを帯びた。個人的に、07年の『サウンズ:平和のための揺らぎ』のときも驚いたのはマントラ解釈の中に、フュージョンを可視化出来たことがある。ちなみに、パトリシアはクンダリーニ・ヨガの講師資格を持つほどインド哲学やヨガに深く傾倒している。だからこそ、単純な「模倣」で、マントラを解釈するものにはならないし、成り得ないのかもしれない。

 今回の新作『In Mantra』は09年4月26日に鎌倉の光明寺で行われたセッションを収めたもので、優美にして荘厳なサウンドスケイプが拡がっている。ヘナートはギターを、パトリシアはタブラを叩きながら歌い、ショーロクラブの沢田穣治氏のコントラバス、ヨシダダイキチ氏のシタールがそれを支える。『サウンズ:平和のための揺らぎ』からの過去の曲も大胆にリメイクされ、新曲の5曲も深遠な奥行きを持っている。個人的に、新曲群の中でもまるで教会音楽のような「Ang Sang Guru」の上品な美しさとシガー・ロスの残影もちらつくような透明感には唸らされた。

 少し補足しておくと、『In Mantra』内のサウンドスケイプはデヴァ・プレマール(Deva Premal)のマントラ作品に代表されるフラットなものにはない、前衛的なものも含んでもいるのも面白い。宗教性と結びつく様な取っ付き難さよりも、ライヴ・レコーディングという形式を取った作品ながら、演奏の巧さと、行間に鳴る「見えない音」が受容側を魅了させつつ、スタジオ・レコーディングにはない生々しい即興的な部分が聴き手のイマジネーションを刺激するのだ。今年の10月の来日公演で麗しい音を聴かせてくれるのは期待してやまないところだろう。

「これはもはや、ブラジル音楽ではない」という意見もあるかもしれない。但し、ここでの音が還りつく場所はやはり、彼等の故郷ミナスが可視化出来るのは聴いたら分かると思う。

 もう一度、引用してみる。クラウス・シュタイナーの「ジョビンはボサノヴァがジャズの影響下にあったというのを強く否定している。」というコンテクストを彼等に対して今敷いてみるに、『In Mantra』はブラジル音楽を「内破」しながら、教会音楽、ヨガ・ミュージック、マントラを跨ぐ新しい(Nova)隆起(Bossa)が浮き出て「視」える何かがある。

(松浦達)

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