エスペランサ『チェンバー・ミュージック・ソサイエティ』(Heads Up / Universal)

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esperanza.jpg ふと目に付いた扉を開けてみる。そんなふうに、ジャケットを手にとり眺めてみると微笑んでいる彼女がいる。どうして微笑んでいるんだろう。よく見るとエスペランサの目は恐ろしい程うつろだ。たぶん彼女は知っている。「ようこそ」と言いながらも、やがて自分がこの部屋から出て行かなければならないことを。そして僕も出て行かなければならないことも。
 
 エスペランサは若くしてパット・メセニーやパティ・オースティンなどのツアー/レコーディングに参加した早熟のベーシスト/シンガー・ソングライターだ。20歳になった05年にバークリー音楽院で講師を務め、世界中で活動し、去年はオバマ大統領から直々の招待を受けてノーベル賞の授賞式の場で演奏した。でも、幼い頃の彼女は通常の授業に適応できず長い期間、家庭で勉強しなければならない状況だった。部屋に篭り、学校に通う学生とは違う生活を送った。けれども、チェロ奏者のヨーヨー・マを見て自分の道を自覚し、音楽的才能ある彼女は篭っていた自分の部屋から出ていった。いや、出ていくべきだった。
 
 過去二作のアルバムを経て、彼女は『Chamber Music Society』という、本当にいまの自分にとって大切だと思える部屋を見付けた。ミルトン・ナシメントやグレッチェン・パーラト、リカルド・ヴォートをゲストに招き、チェロやバイオリン、ピアノなど、様々な楽器に溢れるその部屋で、彼女は自由奔放に歌い、ベースを奏でる。スキャットもフェイクも素晴らしい。迫力があり艶があり、わずかに妖しい雰囲気を醸し出す。室内音楽的な響きを持った音の全てが次々にエスペランサの歌に吸い寄せられていく。それはさながら歌が音を吸収し、膨張していくように感じられる。エスペランサは『Chamber Music Society』という部屋の中に招いた僕を音で圧倒し、吹き飛ばすかのように堂々と歌う。どこまでも伸びていくような歌声。
 
 でも、やがてこの部屋も出て行かなければならないことを彼女は知っている。音楽的アイデアに溢れる彼女は扉を開け、次のステップへと、別の場所へ行ってしまうのだろう。僕はこの部屋の居心地の良さに安住してしまうかもしれない。結局いまも僕はこの部屋から出ることができないままでいる。だが、エスペランサ自身がそうだったように、彼女は僕にいつか出て行かなければならないと訴える。「善悪の知識」も「無意味な風景」も受け入れて、様々な音楽家たちが新たに創出する未知の音に触れるべきだと。エスペランサは音楽的に人と人との関わり合いの中で成長した。だから彼女の音楽は強い。スペイン語で希望の意味を持つ「エスペランサ」だが、希望を持つことが強さではなく、強さが希望を生む。嘆いている暇はないのだ。僕らも扉を開け、まだ見ぬ未知の音楽世界へ飛び込むべきだと思う。その最初の扉に本作は成りうる。
 
 本当に大切なこととは何だろう。帰る場所があることなのか、ないことなのか。数年後、エスペランサが音楽性に迷い、ふと過去を振り返ったとき、彼女にとってこの部屋はひとつの帰る場所なのかもしれないし、帰ってはいけない場所なのかもしれない。スティーヴ・マルクマスはペイヴメントという帰るべき場所を見付けた。グレアム・コクソンはブラーという帰るべき場所を見付けた。カート・コバーンは何も見付けられなかった。けれどもエスペランサは? きっと、どこにも帰らない。帰る「べき」場所はない。いくつもの楽器が鳴っていてもシンガー・ソングライターとして自立した姿、それが本作で叫ばれている。素晴らしい感動作。

(田中喬史)

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