ドリアン『メロディーズ・メモリーズ』(Felicity)

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dorian.jpg 僕は音楽が現実逃避になるとは思っていない。音楽は音楽という現実で、日常は日常という現実で、意識が働いている以上、どちらも現実という一本の糸で結ばれている。音楽が豊かならば日常も豊かになり、逆もまたそうだ。そんなことを考えているからなのか、仮にドリアンの音楽が現実逃避的だと捉えられたら僕は反論してしまうかもしれない。本作はひとつの現実であり、この音と共鳴する感覚は僕ひとりに内在するものではなく、誰もが持っている様々な種の感動を、そして思い出をあぶり出すものとしてあるのだと。東京を拠点に活動し、七尾旅人×やけのはらの「Rollin' Rollin'」のアレンジ、リミックスを手がけたドリアン。僕は彼が出演したイベントに足を運んだことはないが、やけのはら七尾旅人の新譜にゲスト参加した彼のデビュー・アルバム『Melodies Memories』を聴いてそんなことを思うのだった。

 人との出会い、生活習慣、聴いてきた音楽、それら全ての「思い出」によってメロディーは生まれる。新たなメロディーを吸い込んだ「新たな思い出」は、また別の新しいメロディーを生み出していく。それは永遠に終わることのない音楽という現実の創造の連続だ。そしてそれは今も絶えることなく続いていて、僕らの手と手を繋ぎ合わせる。だから決して音楽は終わらない。ドリアンは、テクノなのかハウスなのか、ということ以前に、『Melodies Memories』という、これまで同じ場を共有した人々の時間と記憶というものをカタチにした。そして本作からまた、新たな思い出が生まれ、新たなメロディーが生まれ、広がっていく。なんだか本作のタイトルが印象的だ。

 贅沢なカクテルのように色彩豊かで、夏の終りを思わせる切なさと甘美さに溢れるメロディーが気持ちに残るノスタルジーな音楽性。それは過剰にアッパーではなく、80年代風のディスコ・サウンドを思わせる楽曲が並ぶ。無邪気にポップで愛らしい。先端的、前衛的とは無縁で、それが良くもあり、どんなジャンル愛好家であろうと年代であろうと受け入れられるはず。冒頭曲からして程よいグルーヴ感のあるファンクの要素とジャジーなサウンドが交じっていて、フュージョンという言葉が頭をよぎる。高い音楽性を感じさせるが、やはり、あくまでもポップなのだ。

 ポップス感覚でも聴ける本作は、やけのはらや七尾旅人、LUVRAW&BTBといった気心知れたアーティストや、土岐麻子に楽曲提供したことでも知られるシンガー・ソングライター兼DJのG.RINAをゲストに迎えた。G.RINAをフィーチャーした楽曲は夏の終りと恋の終りの切なさを歌っている。しかしドリアンのトロピカルなサウンドが切なさを甘美なストーリーとして紡ぎ出す。失恋ソングが内に篭ることを避けるように。そんな閉じたところを消してしまうサウンドとアレンジがドリアンの魅力であり個性だ。曲順も練られており、後半に進むにつれ高揚の度合いが増していく。特にスペーシーで歌とラップが交互に飛び出てくる「Shooting Star」の幸福感が素晴らしい。ヴィブラホンの音色がさらに楽曲に美しさを与えていて、なおかつ余白を使うのがとても巧い。空間の上をストリングスが気持ち良さそうに泳いでいく。その中で「この一瞬の煌めきを永遠に信じよう」と、恥ずかしげもなくやけのはらは言う。音は鳴らされた次の瞬間消えてしまう。しかし音楽から受け取った煌きの思い出は永遠にこころに残る。ほんとうに「音」そのものを信じているのが伝わってきて笑顔になってしまうのだった。聴き手が音楽を信じるためには、音を鳴らす側が音楽を信じていなければならない、という大前提がしっかりとある。だからこの音楽の前では誰もが音を信じる姿として無防備になってしまう。

 日々の喧騒に追われる中で音楽を聴く楽しみをどこかに置き忘れてしまった人がいたとしたら、この作品を聴いてほしいと僕は思った。きっと甘い開放感が溢れ出てくるはずだから。そしてそれは『Melodies Memories』と絶対に共鳴する。文字のない文化はあっても、音楽のない文化はない。聴き手であっても演奏者であっても、きっと僕らはギター一本だけで、ビートだけで雄弁に語り合える。音楽はフィクションではないんだ。


(田中喬史)

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