アンダーワールド『バーキング』(Cooking Vinyl / Traffic)

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underworld.jpg カール・ハイドという人は、やはりロックだ。というか、やっぱりロックをあきらめきれてないんではないか? カール・ハイドのロックスター願望が、アンダーワールドをロックな存在にしていると僕は思う。リック・スミスは、フロントマンの役割をほぼカール・ハイドに任せているように、自分から積極的に前へ出る人ではなく、ひたすら音を生み続ける、プロデューサー的な性格の人だし、そういう意味でも、アンダーワールドは、やはりカール・ハイドの存在によって、ロック的な文学性やポップ性を獲得している部分が大きい。それでも、アンダーワールドがフロアの最先端とリンクして、所謂「現場」と呼ばれるところや、そこに属する人達から一定の評価を得ていたのは、二人が(ときにはダレン・エマーソンも)、常にアンテナを張って、時代やフロアの感覚を感じ取って吸収し、それをアンダーワールドなりの返答(曲)として作り上げるのがリック・スミス、その返答をより分かりやすく、より多くの人々に届ける役割を、優れたバランス感覚でもってこなすのが、カール・ハイド。これがアンダー・ワールドのメカニズムだと僕は思う。

 『A Hundred Days Off』のときから、僕はアンダーワールドに対して「あれっ?」と思い始めていた。ダレン・エマーソンが脱退してから初のアルバムということで迷いがあり、その影響からか、内省的な雰囲気が強く、様々な音を必死で集めた感が、少し痛々しくもあり、その必死さが、ギリギリのところで自分の心を惹きつけるエモーションとなっていた。次の『Oblivion With Bells』は、さらに内省的な内容になっていて、分かりやすさという点では、過去のアンダーワールドのアルバムと比べて、お世辞にも分かりやすいというわけでもなければ、とっつきやすいわけでもない。しかし、クリック・ハウスやミニマル系など、当時注目され始めていた音楽を取り入れたり、少し先を予見したワールド・ミュージック系のテクノなんかもあったりして、「調子戻してきたかな?」と思っていたのだけど、最新作『Barking』を聴いて、僕は複雑な気持ちになってしまった。

 『Barking』は、外部の人材を多く招き制作された。でも、その割には、あまりにも統一感がありすぎると思う。もっとアレンジなんかに影響があってもいいし、何より影響がないほうがおかしい人達と組んでいるんだから。新しい空気を入れて、ポジティブな気分になるために、外部から人を招いたとすれば、それは安易に思えてしまう。アンダーワールドは、さながらフェリーとイーノのように、カール・ハイドのひたすらポップであろうとする姿勢と、リック・スミスの趣味性が高い曲、それらがせめぎ合い融合し、音のシャワーとなって放出される。それがアンダーワールドというバンドマジックであったと思うし、僕もそのマジックから生まれる「無血的にあらゆる人を支配しようとする幸福感と恍惚感」が好きだった。しかし、『Barking』には、そのバンドマジックはなく、あるのは、ひたすら上機嫌なアンダーワールドの姿である。そして、その上機嫌さというのは、アンダーワールドの昔からの本質であり、わざわざ外部から人を招くまでもなく、持っていたものだった。つまり、「こうまでしなければ、こうしたヴァイヴを持ったアルバムを作れなくなってしまったのか?」という確信に近い疑問を、『Barking』を聴いて抱いてしまったのである。

 決して駄目なアルバムではないし、音作りの技はさすがだと思うし、カール・ハイドの力ある歌声は、過去最高と言えるかも知れない。ライヴで鳴れば、アンセムになるであろう曲もある。なんだかんだ言っても、愛聴するだろう。しかし、しばらくは、『Barking』を聴くたびに、「もはや、好きだったアンダーワールドは戻ってこないのか? だとしたら、なぜ僕は今でも、アンダーワールドを聴いているのだろうか?」という複雑な感情と疑問に向き合わなければならないだろう。

(近藤真弥)

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