September 2010アーカイブ

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MANIC STREET PREACHERS

俺たちの音楽には、ポジティヴな憂鬱
とでも呼ぶべきものが入ってると思う


photo by Dean Chalkley
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このすさまじいまでの高揚感は、いったいなんなんだ! 外に出かけたいと思いつつ、ずっと部屋に閉じこもっていた男が、太陽の光をいっぱいに浴びながら広い世界に一歩踏みだしたときのような。20年以上のキャリアを持つバンドが、なぜこんな弾けるようなアルバムを作れるんだ?

90年代初頭以降、彼らは巨大な音楽ビジネスとまっ正面から渡りあってきた。インディー・ミュージックに入れこんでいるけれど、もちろんほかの音楽も大好き。スモール・サークルには安住できない一方で、ショウビズに「飼い慣らされる」ことは拒みつつ、それ自体から無理に目をそらす...つまり「逃げて」しまうことはない。そんな彼らの微妙な立ち位置が、もしかするとこの時代の要請におそろしくマッチしているのかもしれない...なんてことさえ考えてしまった。

『Postcards From A Young Man』。彼ら自身の実年齢がいくつだったとしても、これは、まさにそんなタイトルにふさわしいアルバムとなった(レヴューは、こちら!)。ヴォーカリスト&ギタリスト、ジェームス・ディーン・ブラッドフィールドに聞いた。

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FRAN HEALY

今回は、途中で失ってしまったものがなかった

決してセンセーショナルではないものの、そんなこと必要ないだろ? とばかり、マイペースでとにかく心にしみる素晴らしい歌をやりつづけてきたトラヴィス。グラスゴーから登場した90年代後半、オアシスのノエルが彼らをおおいに気に入ってフロントアクトに起用したことなどから人気爆発、R.E.M.やレディオヘッドを手がけたナイジェル・ゴッドリッチがプロデュースを手がけた99年のセカンド・アルバムは、リリース後じわじわとチャートを上昇し、数ヶ月たってからナンバー・ワンを獲得した。「初動」プロモーションを重視するCDビジネスの世界では非常に希なことだ。それ以来UKでは国民的人気バンドとなった彼らだが、2008年には自らのレーベルを設立し、そこからアルバムを発表するなど、挑戦的な活動をつづけている。

そんなトラヴィスの中心人物、フラン・ヒーリィが、ソロ・アルバムをリリースした。バンドで聴けるエモーショナルかつセンシティヴかつ素直なメロディーが、よりダイレクトに楽しめる素晴らしい作品となっている。ノア・アンド・ザ・ホエールのメンバーや、ニーコ・ケースが参加しているというという情報も、なるほど、とうなずかせる作風だ。そのうえ、ポール・マッカートニーまで1曲ベースで参加。うーん、やはり一筋縄ではいかない。ということで、フランに話を聞いた。

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もともとクッキーシーン・ナイトというヤツを始めたのは、たしか00年代初頭。ぼく(クッキーシーン編集人伊藤)は90年代後半まで、ライターやZINE編集者をやりつつ、フリーランスでA&Rもやっていた(社員でもなんでもなかったけれど、メジャー傘下でレーベルを主宰、かなり活発に活動してた)。そのうえ90年代前半までは自分もバンドをやっていたため、クッキーシーンを始めるまでは、かなりの頻度でライヴ・ハウスに通ってました。

だけど、クッキーシーン創刊とほぼ同時に、上記レーベルが「会社の都合により」終わってしまった(ぼくのレーベル単体では何百〜千万円単位の黒字を出していたはずだけど、おそらくそれ以上の赤字を出していた親セクション全体がつぶされてしまったので。結局ほとんどお金ももらえないまま...:笑)。クッキーシーンは洋楽中心雑誌だし、以前ほどライヴ・ハウスに行けなくなってきた...まだあまりよく知らないバンドにも、いいものはたくさんあるはず、ぼくもそれを見たいし、みんなにも見てほしい...。10年前には、そんな感じでクッキーシーン・ナイトというイベントを数回開催しました。

それ以降、イベントに熱心だった編集部員が辞めてしまったり、クッキーシーンがある程度軌道にのったということなのか雑誌編集自体が死ぬほど忙しくなったりで、00年代前半から、しばらくできずにいました。それを、いろいろ思うところあって、昨年久々に復活させたところ、やっぱりおもしろい! でも、また半年くらいできていなかった。長年(約10年くらい)つきあってきたディストリビューター(株式会社ブルース・インターアクションズ)を離れ、まったく新しい形で始めること自体が忙しくて、ちょっとそれどころじゃなかったというか...。

今もまだそんな感じ(不安定な状態:笑)ではあるんですけど、「まだあまりよく知らていないバンドながら、とくにライヴは死ぬほどいい」と断言できるパラエル・ストライプスが新譜を出す、でもってぼくの自宅からそれほど遠くない名古屋でもライヴをやることは決まってる...けれど対バンが未確定...という状況を受け、彼らの新作のレコ発(レコード発売記念。ライヴ・ハウス用語ですね。最近はリリース・パーティーという言葉のほうが一般的なのかな?)ライヴにドッキングする形で、久々にやらせていただきました!

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水面あがる。とフームー(Fu-Mu)という2バンドは、会場となったライヴ・ハウス、池下アップセットの紹介。カレシ(Kareshi)は、パラエル・ストライプスのリリース元ディスタイム・レコーズおよびぼく自身の推薦。パラエルはもちろんのこと、どのバンドの演奏も最高に素晴らしかった!

さらには、これまたかっこいいジョニー(Jonny)というバンドを地元でリリースしているワン・バイ・ワン・レコーズ柴山順次氏が最高のDJを披露してくれた! 途中「懐かしい!」(デイジー・チェインソウがかかったときね)とか、「あ、これなんでしたっけ?」(スーパーチャンクの新譜がかかったとき。いや、まだあまり聴きこめてなくて。そこで反応するのも、俺っぽいっつーか)ぼくも反応しまくり(笑)。

最近よく思うんだけど、たとえば昔クッキーシーン・ナイトをやっていた10年前とか、もっと前に比べて、ライヴ・ハウスでも「自分の目当てのバンドしか見ずに帰っちゃう」お客さんがふえてる気がする。情報の流れが尋常ではなく発達した現代ならではのことだとは思うし、それはそれで全然かまわないんだけど(笑)イベントやってるほうにしてみれば、ちょっと寂しい。この日も、もちろんそういう方もいらっしゃったけれど、なんか意外に少なくて、フロアも常にいい感じだったような...。来ていただいた方、楽しめましたでしょうか? ぼくは最高に楽しかったです。きっと楽しかったですよね(笑)?

ご来場いただいた方々、出演者のみなさん、スタッフ&関係者のみなさん、本当にありがとうございます! 最高でした!

というわけで、それぞれのバンドに対する簡単な感想を(アーティスト写真などは、このカテゴリの、前...下にある記事を参照してください)。

水面あがる。:ノイジーなハードさとポップさがいい感じで併存してて、エレクトロニクスの使い方も巧い。いわゆるポスト・ロックふうともポスト・パンクふうとも、まったく括れない感じの潔さが、とてもリアル。まだ学生バンドとのことだが、たしかにそういう若々しさがある。変速リズムをとりいれた最後の曲では、ぼくも80年代前半の学生時代にこういうことやってたなーとか(いい意味で)思い出しちゃったり...。とても良かった。いろんな要素をミックスする技術と強烈な勢いはすでにあるんで、そこに爆発的ななにかが加われば、よりグレイトになってくると思う。さらに、がんばれ!

フームー(Fu-Mu):キーボードやエレクトロニクスを駆使しつつ、ギターも弾く男性と、ときおりパーカッションを激しく叩きまくる男性ふたり組。前者は(ルックスやステージ・マナーが)ちょっとディアハンターのブラッドフォードを、後者は(同)LCDサウンドシステムのジェームズを思わせ、好感を持てた。というより、ここまで緻密かつパワフルなエレクトロニック・ミュージックをやっていながら、今まで存在を知らなかった自分を少し恥じてしまった。「アート」方面に行ってしまうそうなところを、ギリギリで踏みとどまっているような肉体性/ポップさも、完全に俺の好みだ!

カレシ(Kareshi):「ビーチ・ボーイズなどに影響を受けたD.I.Y.ポップ」バンドというのは、ぼくがライヴ・ハウスにもっともよく出入りしていた90年代からけっこう日本にいたけれど、今はこんなにクオリティ高いのか...と彼らのライヴを名古屋で見て驚いたのが数年前。今は中心人物が、ジョセフ・アルフ・ポルカというバンドと合体した形で活動をおこなっているらしい。彼を除く、ジョセフ単体でも1曲披露されたのだが(愛知といえば)ジョンのサン(というバンド。これも素晴らしい)を思い出させる感じで、良かった! カレシとしての存在感もばっちり。愛知県立芸術大学の学生さんというストリングスやホーンを加えた大所帯演奏も、完全にさまになっていた。グラスゴーのベル・アンド・セバスチャンふうといえばそうなのだが、海外のバンドが崇拝されるだけでなく、「日本の地方都市のこういったバンド」にも、もっと日が当たってほしいと強く思う(もちろんベルセバはぼくも大好きだが、どちらにしても「崇拝」反対!:笑)。

パラエル・ストライプス(Paraele Stripes):ぼくは昔からクッキーシーンで愛を吐露しまくってきたし、新人編集者小熊くんによる新作レヴュー&インタヴューもこのサイトに載ってるんで、もう敢えて言いませんが(笑)、この夜も最高でした。驚いたのが、今回からサポート・メンバーとしてドラマーが参加していたこと。これまで、彼らふたりだけ(ビートは打ち込み)によるライヴを何度か見てきた(計3回も。けっこう見てるな!)。最初は、その(リズムの)「ジャストさ」の魅力が薄れてしまい、普通のロックっぽくなってしまうのでは...と危惧したものの、1曲目の途中くらいから、そんなおそれはまったくないことがわかった...というか、また激しく盛りあがってしまった。ライヴで踊りまくってきた新作収録曲も、良くはなっていても悪くは全然なっていない。それどころか、2007年のファースト・アルバムに収録されていた曲は、あきらかにドラムが加わったほうがいい! まだ参加して間もないそうなので、この先の彼らがますます楽しみになってきた。彼らはいつも成長をつづけている。素晴らしいじゃないか。

このカテゴリの、前...下にある記事に、これら4バンドに関する情報がゲットできるサイト/ページへのリンクがあります。是非、彼らにご注目を!

最後に、ぼく自身がDJとしてプレイした曲のリストも掲載させていただきますね。

<開場後/開演前>早い時間はあまりお客さんが集まらず開演が押すかも? と思い、多めに準備していたんですが、水面あがる。は既に定評あるのか、まったく杞憂でした。ありがとうございます! というわけで予定どおり開演したため、準備したものより短めに(うれしかった)!

スティーリー・ダン「My Old School」、ヨ・ラ・テンゴ「Mr. Tough」、キャット・パワー「Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again」、ザ・ライク「Release Me」、キーン「Ishin Denshin (You've Got To Help Yourself)」、ザ・コーラル「More Than A Lover」、ロキシー・ミュージック「Editions of You」、ピクシーズ「Debaser」、ザ・ヴァセリンズ「Son Of A Gun」、クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー「The Skin Of My Yellow Country Teeth」、カメラ・オブスキュラ「Lloyd, I'm Ready To Be Heartbroken」、ベスト・コースト「Crazy For You」、ザ・ドラムス「Forever And Ever Amen」、ラ・ラ・ライオット「Boy」、MGMT「Brian Eno」、アーケイド・ファイア「Empty Room」
*当該曲収録アルバムのレヴューが既に掲載されているものに関しては、そこにリンクをはりました。ヴァセリンズは新譜レヴューが掲載されてますけど、これはもちろん昔の曲。ラ・ラ・ライオットは、輸入盤はもう出てますけど、日本盤が10月リリース予定。もう少ししたら掲載されると思います!

<パラエル・ストライプス演奏前>大量のエレクトロニクス機材を使用する彼らは、セッティングに時間がかかる。だからタイムテーブルより少し長めにラフ選曲してあったんだけど、結局それでも足りずに(笑)、最後の2曲をその場で加えました!

アウル・シティ「Cave In」、デルフィック「Counterpoint」、ディーヴォ「What To Do」、LCDサウンドシステム「Daft Punk Is Playing In My House (Soulwax Shibuya Re-Remix)」、ダフト・パンク「Robot Rock」、ブロック・パーティー「Talons」、R.E.M.「I'm Gonna DJ」
*こちらはわりと古めのもの中心。ただしディーヴォは新曲です! 彼らのニュー・アルバムのレヴューはぼくが書こうと思ってるんですが、まだできてない...。すみません、近日中に...。

終演後には、ファウンテインズ・オブ・ウェイン、ナダ・サーフ、ティーンエイジ・ファンクラブ、オレンジ・ジュースなどを適当にかけてましたー。

         *          *          *

こんな感じで、オリジナル・コンセプトにのっとったクッキーシーン・ナイトか、(前からずっとやりたかった)DJのみのネオ・クッキーシーン・ナイト(別にそんな名前にしなくていいけど:笑)、もしくはその中間的な感じのものを、そのうちまたやりたいと思ってます。そのときは、どうかよろしくですー!

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OGRE YOU ASSHOLE

"森ガール"...(笑)。僕らはいたるところで
"森ボーイ"って言われるようになりましたね

彼らの音楽は、決して明るくもないし暗くもない。でも、どちらかといえば暗いほうに傾いているのかな? と思っていた。そして彼らの音楽は「未来への希望」にも「徹底的な絶望」にも寄りすぎていない。希望も絶望も、両方備えている。

そんななか「希望」寄りの曲...たとえば「コインランドリー」とかが、筆者としてはとくに好きだった。コインランドリーで洗濯してるのに「未来への希望」ってのもヘンな話だが(笑)。そして彼らのニュー・ミニ・アルバム「浮かれている人」は、タイトルどおり、これまでになく明るい感じだ。「浮かれている」から明るい、というのも、なんか...(笑)。だけどそこには、明らかにある種の「希望」が、そこはかとなく感じられるのだよ。サウンドも含み、明らかに新機軸だ!

ここ最近の一連の作品同様、プロデューサーに石原洋、エンジニアに中村宗一郎という名コンビ(ゆらゆら帝国などで知られる)を迎えたこの作品は、どのようなノリで完成したのか?

さる8月後半にくりひろげられた、中心人物出戸とクッキーシーン伊藤のゆるい会話(笑)を「ほぼ完全ノーカット、最低限の編集しかしていない」状態で、お届けします。

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Superchunk.jpg なんて真っ直ぐでブレや曇りの無い音なのだろう。本格的な再始動の口火を切ったた昨年のEP「Leaves in the Gutter」、そして感動的だった昨年末の来日公演、それぞれで共通して感じたのは彼らの音楽に対する変わらぬ熱量だったのだが、実に9年振りのフル・アルバムとなる本作ではそれがさらに濃縮され、一気に解放されたような爽快感を感じる。

 アルバム冒頭の先行シングル「Digging for Something」からほぼ全編に渡って疾走感のある、彼らならではの印象的なギターリフが散りばめられた楽曲が並んでおり、全体的なイメージはパンク色の強いマタドール在籍時代の初期の作品に近いのだが、ストリングスやホーンを取り入れたアレンジやコーラスワーク、すぐに口ずさみたくなるようなキャッチー、かつ泣きのメロディラインなど90年代後半以降の作品にある要素も随所に見られる。どこを取っても聞き覚えのあるスーパーチャンクのサウンドなのだが、初期のエネルギッシュな勢いと熟成されたサウンドの融合が実現している本作は不思議なくらい新鮮に響いてくる。これはもうスーパーチャンク・サウンドの完成形と言ってしまっていいのではないだろうか。

 アルバム最終曲(日本盤は別途ボーナストラック収録)「Everything at Once」でマックはこんな風に歌っている(※僕の個人的な見解も入った意訳です)。「これはあることないこと全て一緒くたになった歌だ。フィードバックやドラム、それらのノイズを感じることで全てが一つになる」。この曲の歌詞がこのアルバムの素晴らしさを表現しているように感じる。彼ら4人が集まり、一斉にノイズを奏でるだけ。単純なことだが、そこから生まれる音楽のマジックを彼らは本作で証明してくれている。メンバー自身も本作の出来に自信を持っているようで、マックからは早くも次回作の製作に関するコメントも出てきている。今後の彼らのさらなる活躍に期待大。

(川名大介)

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goro_ito.jpg 自宅録音="宅録"の匂いを持つ作品がとても好きだ。例えばポール・マッカートニーの初ソロ作『マッカートニー』や、細野晴臣の初ソロ作『HOSONO HOUSE』、エミット・ローズによる同名のファースト・アルバムに、中村一義『金字塔』、それからトッド・ラングレンの『サムシング/エニシング?』やレニー・クラヴィッツ『レット・ラヴ・ルール』、ベニー・シングス『ベニー・アット・ホーム』に、R.スティーヴィー・ムーア『Phonography』等々、それこそ数え上げたらキリがない。いわゆるプロ・ユースの大きなスタジオを使わず、ベッドルームの傍らでカセットMTR(さすがに今はラップトップが主流だが)を駆使しながら、作詞・作曲はもちろん全ての楽器を自分で演奏しつつ、エンジニアリングやミキシングまで自前で行なった、そんなアルバムにたまらなく惹かれてしまう。もちろん、上記の作品の全てがそのような手法で完成されたというわけではないのだが、どのアルバムにも共通して流れているのは、まるでアーティスト本人から個人的な手紙をもらったような、親密でパーソナルな空気である。そして、伊藤ゴロー名義での初のソロ・アルバム(サウンド・トラックは除く)となる本作にもまた、そのような空気が濃密に流れているのだ。

 伊藤ゴローという名前に聞き覚えがなくても、ナオミ&ゴローの"ゴローさん"と言えばピンと来る人は多いかも知れない。そう、彼は「世界的に見ても、今、最もジョアン・ジルベルト直系のサウンド」と絶賛されるボサ・ノヴァ・デュオのギタリストであり、これまでにMoose Hill名義で2枚のアルバムをリリース、World Standardこと鈴木惣一朗やKAMA AINAこと青柳拓次、高田漣といった名うての音楽家から熱烈なラヴ・コールを受けて、様々なコラボレート・アルバムを作り上げてきた日本屈指のミュージシャン/コンポーザーである。またプロデューサーとしても、原田知世やtico moonのアルバムを手がけ、原田郁子への楽曲提供(「鳥の羽、鳥の影」)や映画『雪に願うこと』(根岸吉太郎・監督作品)の音楽担当など様々な分野で活躍しているので、彼の音楽を一度はどこかで耳にした人もきっと多いはずだ。筆者が彼の音楽に初めて触れたのは、2001年にリリースされたMoose Hill名義のファースト・アルバム『wolf songs』だったのだが、ほぼ全編アコギによるシンプルなインストゥルメンタル・アルバムでありながら、豊潤で濃厚な彼の音楽性にすっかり魅了されてしまい、以降の作品はことあるごとに追い掛けてきた。そんな熱心なファンにとって本作は、まさに「待ちに待ったアルバム」なのである。

 まず驚くのは、アルバム全編にわたって伊藤本人がヴォーカルを取っていること。それもナオミ&ゴローのときのように、ヴォーカリスト布施尚美の後ろでウィスパー・ヴォイスを聴かせているのとは訳が違う。まるで1つ1つの言葉を確かめるような誠実で繊細な歌い方は、例えばショーン・レノンやエリオット・スミス、ギルバート・オサリバンそして初期のハリー・ニルソン辺りを彷彿させる。また、転調を繰り返すヒネリの効いたコード進行や、ポップで洒脱なメロディ・ラインからは、レノン=マッカートニーへの強い憧憬が伺える(「ボサ・ノヴァのギタリスト」というイメージを強く持っている人は意外に思うかも知れないが、彼は熱心なビートルズ・ファンでもあるのだ)。中でも冒頭曲「Happiness」や「Down In The Valley」における、メジャー・コードとマイナー・コードを行ったり来たりしながらふわふわと彷徨うメロディ・ラインは絶品。シンプルで室内楽的なバンド・サウンドも、本作の色合いを決定付けている。

 日本とロンドンで録音が行なわれ、高橋幸宏やショーン・オヘイガン(ハイ・ラマズ)、ビョークのエンジニアとして知られるヴァルゲイル・シガードソンら多彩なゲストが参加した本作。しかし冒頭で述べたように、決してゴージャスなアルバムではなくて、"宅録的"とも言えるような親密でパーソナルな空気が流れている。例えば『Cloud Happiness』というタイトルからは、大きくて広い空を独りぼっちで漂い続ける雲を連想させる。満ち足りているが、同時に深い孤独を抱えているような。それは、このアルバムが持つハッピー・サッドな雰囲気や、開かれていながらも緻密で箱庭的な世界観を見事に象徴しているのだ。

(黒田隆憲)

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charlatans.jpg 僕は新しいものが大好きで、レコードショップに足を運んでは、面白そうなレコードを掘っている。その一部をクッキーシーンでレヴューさせてもらったりしてるけど、今回はシャーラタンズ。僕はシャーラタンズを熱心に聴き込んでいるわけじゃないけど、新作『Who We Touch』は凄く良い。シャーラタンズは言わずと知れた、マッドチェスターによって出てきたバンド。一応僕自身親父とお袋の影響で、マッドチェスターはギリギリ、リアルタイムで体験している(といっても、2歳か3歳くらいだったんで、当時の記憶としてはほとんど覚えてないけど)。それでも、808ステイトとか、ア・ガイ・コールド・ジェラルドにジェイムス、少し遡ってストーン・ローゼズとかは覚えている。嫌と言うほど聞かされたから。しかしなぜかシャーラタンズだけは記憶になく、僕がシャーラタンズの存在を知ったのは、ケミカル・ブラザーズ『さらばダスト惑星』でティムの声を聴いたのがきっかけ。そこから『Between 10th And 11th』を聴いたりして、好きになっていったんだけど、初期のアルバム以外は、友達にアルバムを借りて聴くくらいだった。

 だけど、『Who We Touch』を聴いてから、今更ながらシャーラタンズにハマってしまった。まず、『Who We Touch』に漲るピュアな空気と音楽に驚かされる。ティムのヴォーカルもそうだけど、これおっさんに出せるようなアルバムではないよ。全体的にサイケ色が強くて、すべての音が、煌びやかな輝きを放っている。ティムのヴォーカルは、すごく若々しいんだけど、「Your Pure Soul」などで覗かせる大人の色気にはドキッとする。かと思えば、「Love Is Ending」のような、荒々しい曲もある。僕が好きな、シャーラタンズ特有のうねるグルーヴもあるし、はっきり言って、ツボしかありません。なぜシャーラタンズが、長く活動していながら、ここまでの新鮮さや瑞々しさを保っていられるのか? それは過去のアルバムを聴き返して分かったんだけど、シャーラタンズのアルバムには、同じものがひとつとしてない。常に変化を求めて音楽を作っている。人間生きていれば変化するのは当たり前だけど、自分で変化する方向を定めて、その変化を、ちゃんとアルバムに良い形で反映させるのは、よほどのタフネスがなければできないことだ。

『Who We Touch』には、そんなシャーラタンズの力強い足跡が刻まれている。僕はストーン・ローゼズの太く短い偉大なる伝説に惹かれるし、実際ローゼズが大好きなんだけど、シャーラタンズの怠惰に陥らずに一歩ずつ歩き続ける姿に惹かれたりもする。マニックスの新譜もそうだったけど、僕より上の世代が、シニシズムに走らず、愚直なまでに前身する姿。僕も見習わなきゃいけないかも。「世界は複雑だから」という言葉が、ある種の言い訳として作用し始めている今、シャーラタンズのように(それからマニックスのように)、理屈ではなく、シンプルな気持ちで生きていくやり方というのが、カウンターとして機能しているのが面白く感じる。「シャーラタンズが生きていける世界は、もしかしたらまだまだ悪くないのかも知れない」。アルバムで鳴っている音とは裏腹に、そんなちょっとした希望が宿っている、熱いアルバム。それが『Who We Touch』。

(近藤真弥)

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hanne_vatnoey.jpg 僕がポップに何より期待するのは先行きの見えなさ、突飛な行動や展開、スキャンダラスなざわめきとそれに付随する甘美なメロディ。華々しい旋律が浮き沈みの激しい物語に拍車をかけ、現実から聴き手を浮遊させる。いい意味で何度でも期待を裏切ってほしい。振り回してほしい。振り回されたい。その先に発見があり、自分の知らない世界に気づかされる。それくらいパワフルでなければ深いお付き合いなんて出来やしない。人生は短いし、残念だけど手持ちは少ない。せめてレコードを手にするときくらい、いつだって違う景色を見せてほしい。

 キングス・オブ・コンビニエンスやロイクソップなども輩出したノルウェーの都市、ベルゲン出身の新進SSWハンネ・ヴァトネ(Hanne Vatnoey)のデヴュー作は、そんなワガママな期待に120パーセント応えてくれる最高のポップ・アルバムとなっている。音楽ジャンルの狭い垣根を軽々飛び越え、アートワークどおりのガーリーな魅力を内包した、終着点の遠く見えないジェットコースターに乗ってしまったかのような51分弱の(まさしく)マジカル・ミステリー・ツアー。めまぐるしく変わる曲展開と彼女のスウィートな歌声に一発で虜になってしまう。

 11歳で作曲を始め、一度は映像作家を志したというハンネ。両親から最愛の友となるピアノを与えてもらい、歌うことの悦びに目覚めつつも、それから26歳となった彼女はどうもあんまり素直には育ってくれなかったようだ。冒頭の楽曲「Hello」で"ABCすら間違えるおバカな女の子"と自嘲ぎみに歌い、メルヘンチックなオーケストラル・アレンジとともに"言いたいことがあるの、いっしょにいて"と続ける様はたまらず可愛い。イジワルな笑顔を浮かべながら、やさしく腕まで組んでくれそうな人懐っこさとサービス精神も彼女は備えている。とはいえ、ここまでなら(バイオグラフィーも込みで)よくあるSSW作品。彼女の天才っぷりは2曲目から全開となり、そこからは独壇場となる。

 ハンネの妄想世界を好サポートしているのはKato adland。ジャズ・ヴォーカルやパンクなどスタイルの試行錯誤を重ね、やや迷走状態にあった若き俊才ソンドレ・ラルケが一気に突き抜けて天性のポップ・センスを開化させた『Heartbeat Radio』(個人的にも昨年のベスト作!)をはじめ、ノルウェーのインディー・シーンで大活躍している名プロデューサーであり、自身もMajor Seven and the Minorsという名義で活動している人物だ。セルジュ・ゲンスブールを露骨にパロった「Histoire de Melody Olsen」なんて曲を作ったり、自分のアルバムに『Music to Watch Nerds By』なんて名前をつけたりする(内容のほうもタイトルを一ミリも裏切ってない)、ラウンジ・ポップもエレクトロニカもハード・ロックもなんでもこなすジャンル横断型のポップ狂でもある彼は、ヒネくれた妄想を次から次へと膨らますハンネのファンタジーを具現化するため、様々なエッセンスを楽曲に注ぎ込み、『Me And My Piano』というタイトルからもついつい連想しがちな凡百のピアノ・ポップと大きくかけ離れた夢の音世界を作り上げている。

 ミュージカルのプレリュードを思わせるズンタタと鳴る重いリズムから、ストリングスの美しい響きとバリトン・サックスの咽びが楽曲を飛翔させていき、次々と転調を繰り返す「Running Guy」(歌詞中の"Melancholy and Joy"というシンプルなフレーズ、この作品のすべてを表している!)、フルートとグロッケンのやさしい感触から、シンクロナイズされた電子音とトランペットで飾られたファンファーレが鳴り響く「Boo Boo」、80'sシンセ・ポップを思わせる加工された爽やかなオブスキュア・ヴォイスが印象的なイントロからは到底予測しえない終盤の狂想曲っぷりが印象的な、タイトルどおり少女の頭のなかで巻き起こる混乱について歌った「In My Head」など、怒涛のポップ・チューンが一気に続く。

 東京駅でフィールド・レコーディングされた構内アナウンスのざわめきとともに、甘えん坊のように歌うキャッチーな「Take Me To Tokyo」では曲間に8-bit的なシンセまで鳴り響く(そのTokyoへのわかりやすいイメージ、好き)。遊び心満載な"ひっくり返したおもちゃ箱"ソング「Oh La La」ではブリープ・シンセとマリンバがブギーをかまし、「Hasta La Vista」ではフラメンコのリズムまで飛び出し、一気に駆け抜ける。ここまでやりたい放題だと実に痛快だが、「The Green Door」やタイトル曲の「Me And My Piano」では、ピアノ・ポップのマナーに忠実に、軽やかな指運びで鍵盤を弾き、ジャジーでしっとりと歌声を聴かせる。ハスキーな声は表現力に満ち満ちている。

『Me And My Piano』はプログレ的な工夫と芳醇で才気走ったメロディ、何よりハンネがもつ茶目っけタップリな少女性と、複雑な要素をサラっと聴かせる類まれなセンスが存分につまった、本当にカラフルでグルーヴィーなアルバムだ。ハンネ自身もフェイバリットに挙げているノラ・ジョーンズとケイト・ブッシュがそれぞれ持つ魅力の両方を兼ね備え、チルディッシュ風味のエレクトロニカと小洒落たジャズ感覚、端正ながらぶっ飛んだアレンジ...といった、いかにも北欧的なセンスも存分にまぶされたこの作品は、カジュアルに音楽と暮らしたい女の子から口うるさい玄人音楽ファンのオジサマまで、幅広く訴えかける求心力とスケール感をもっている。こんなに素晴らしいノルウェーからの届け物がどこよりも早く日本でリリースされているのは喜ばしいことだし、11月にはベストのタイミングで来日公演も決まっている。うーん。泣きたいくらい嬉しい。自分のためにオーダーメイドしてくれたんじゃないかと言いたくなるような作品だから。最高のポップはいつだって巡り会うたびそんな錯覚を引き起こしてきた。聴いてもらえばきっと、あなたもそう思ってくれるだろう。

(小熊俊哉)

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negoto.jpg やっと日本から、こういうバンドが出てきた。今の若者って物事をシニカルな目線、シニシズムなスタンスで構えている人が多いように思う。それはそれで面白いことも起こりえるし、ひとつの観点としてはありだけど、今の日本では、そのシニシズムが「世界は良くならないけど、その世界で精一杯生きていくんだ」というところで止まってしまっているように見える。だから街を歩くと、停滞感にも似た、どんよりとした空気を感じるのかなと、個人的には思う。

 すべての曲で歌詞を書いている蒼山幸子の歌詞世界も("NO"と"夕日"では、それぞれベースの藤咲佑と、ギターの沙田瑞紀もクレジットされている)、現代の若者らしいシニシズムというのが垣間見えるが、それが内省的な方向ではなく、ちゃんと外に、ポジティブなエネルギーとして放出されているのが素晴らしい。若者特有の怖いもの知らずな勇気がそうさせているのかは分からないけど、とにかく前を向いて走り抜くような疾走感は、聴く者に爽やかな空気をもたらしてくれる。だけど、そんな爽やかさに対する影のように、「透き通る衝動」や「NO」という曲も存在している。これらの曲に潜む「危うさ」が、僕がねごとに興味を持ったキッカケでもある。それと、「ループ」の歌詞ってどう読んでもトリップについて歌っているように聞こえてしまう。まあ、それは僕の馬鹿な想像がそうさせるだけなのかも知れないが。「ワンダーワールド」のような遊び心も面白いけど、「夕日」をなぜ英語で歌ってしまったのか? 正直、英語で歌う蒼山幸子の声は微妙です。

 音は、スーパーカーやナンバーガールにソニック・ユースなど、本人達も好きと公言しているバンド達の影響が強い。正統派のギター・ロックを基本として、シューゲイザーに『GOO』期のソニック・ユース、浮遊感のあるエレ・ポップなど、鳴らしている音楽から察するに、音楽的教養なんかも高い気がする。しかも、年齢のわりにライブなどの場数も多く踏んでるから、サウンドがタフで、力強さがある。藤咲佑と澤村小夜子のリズム隊が鳴らす土台が安定感抜群。特に、藤咲佑が鳴らす存在感溢れるベースは、ねごとのグルーヴの中枢と言ってもいい。収録されている曲のほとんどが、ライヴで何度も演奏されている曲だということもあるんだろうけど、メンバー全員演奏能力は高いし、この先どんどん幅広い音楽性を見せてくれることを期待させてくれる。そんな輝かしいモラトリアムが、アルバム全体を覆っている。

 たぶんアイドル的なガールズ・バンドとして見られるだろうし、「全員平成生まれ」とか、そんなどうでもいい謳い文句も手伝って、しばらくはいろんな色眼鏡と戦うことになるかも知れないけど、ねごとは大丈夫だと思う。だって、彼女達は「生きている」から。彼女達は、日本では数少ないロックンロールの「ロール」ができるバンドだ。少なくとも、それができる大きな可能性が、「Hello!"Z"」には詰まってる。眩し過ぎて、聴くのにサングラスが必要かも知れない。瑞々しい輝きに満ちたミニアルバムだ。

(近藤真弥)

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