ゴールド・パンダ『コンパニオン』(Varicount)

gold_panda.jpg  『Companion』リリースに伴ってのインタヴューで名前の由来を聞かれたゴールド・パンダは「好きな物を2つくっつけたら、って彼女が言ったから」と、"インダストリアル・メタルバンドみたいだからやめた〈ピンク・ワーム〉"に次いで出てきた〈ゴールド〉と〈パンダ〉をそのまま採用したのだと返していた。ゴールドも動物名も現代のシーンにおいては頻出単語であるとの追撃に対しては「彼らとは音楽性が似てないから」と断って、「別にいいや」とあっけらかんと応える彼のことがわたしは、気になってしょうがない。



  「ドラムマシンのビートにオリエンタルなサウンドをミックスした音楽を今後も作り続けて行きたいね」(CINRA/ 16 Apl,10)

彼の住んでいたイースト・ロンドンはタワー・ハムレッツという場所は、インド、パキスタン、バングラディシュ系の人間が犇めくコミュニティのある、曰く子供は「モスクから流れる音楽を聴きながら育つ」ようなところで、インド人であった彼の祖母の影響で「サンライズ・ラジオ」というインドのラジオ・ステーションから流れてくる音楽によく耳を傾けていたという。そうなると彼が「Quitters  Raga」、或いはアルバム・リリース後にドロップされた「You」 EPに於いてエスニック対する傾倒が見られるのもさもありなん、である。



 彼のオフィシャルな肩書きは「UKはイースト・ロンドンのダブステップのプロデューサー/リミキサー」で、クリエイション・レコーズのスタッフでもあったマーク・ボーウェル、ディック・グリーンが00年に設立し、現在はハー・スペース・ホリデイ、エスパーズ、ビート・コーストらを従えるUKの名門インディ・レーベル、ウィチタ(Wichita)がマネジメントをとっている。レーベル・メイトであるシミアン・モバイル・ディスコやブロック・パーティー、またはリトル・ブーツのリミックス・ワークで先に、プロデューサーとしての彼の名前を耳にした方も多いかもしれない。ただし「ダブステップのプロデューサー」という括りは彼の目は懐疑的に映るようだ。確かに、彼の持ち合わせるジャジー・ヒップホップ、オピエイト(Opiate)然としたアブストラクトなビート、メロディックにシンコペイトしたリズムとそれに合わさる東洋的なエキゾチズムは、その「複雑」性からして、既存の「ダブステップ」なる概念とは素朴に重ねることが出来ない。例えば新気鋭のダブステップ勢として同列に語られることの多いパンクス・サウンドチェック、ヘッドマン、ラスコ、デッド・フェーダー等を見ていると一目瞭然だが、カラーの全く違う彼らの場合、「ダブステップ」は異なるジャンルをミックスしていくためのプラットフォームに過ぎないのかもしれない。

 ダブステップのセカンド・フェイズに位置付くポップなトラック・メイキング、メロディックでシンコペーションの強調された変則的なリズム、ミニマルで、センチメンタルなアプローチに、フォー・テット、サーレム(salem)的インディー・エレクトロ、クリス・クラーク、リチャード・D・ジェイムズの繊細なテクスチャ、或いは美しいアンビエント。ノー・フューチャー(NO FUTURE)一派としてテクノ・ユニットであるサブヘッド(subhead)の一人でもあった彼は、相方フィル・ウェルズの死をきっかけに、「自信はなかったけど、もう少し音楽をやってみようと思った」という。「音楽は僕の憂鬱な気分を揚げてくれるから、だから音楽を作ってるんだ(Hard To Explain/ 28 Feb,10)」。

 「チルアウト」や「センチメンタル」といったアティチュードを通底して持ちつつ09年後半以降、US,UKインディー界を湧かせている彼らについては、既に水面下での遣り取りはあったものの、それは言わば噴火寸前の活火山のようなもので、明らかな熱量を帯びておきながらも広く伝搬されることはなく、一部のインディ・ファンの間で沸騰していただけだった。それが『Companion』を始め10年代にリリースされたアルバム群によって愈よ、顕現化されてきたように思う。

 そもそもわたしは「ニュー・レイヴ」、「ニュー・エキセントリック」といった一連のムーヴメントには全く「乗れ」なかった。アフロ(ビート)への傾倒やら、シンセサイザーをフィーチャーしたハイトーンで無機質な音楽はどうも「祭り」の「喧噪」のようで、カラフルな衣装を身に纏って無邪気に踊(っていたと思われ)るキッズ達を傍観していたら、多文化主義の孕む強烈なリジェクトといえばイスラム系の女性が信仰を「露」にすることを「マス」に認可されなかったことが記憶に新しいが、アフロビート、若しくはハイライフを語るにつけ、その独特の「昏さ」ばかりが見えてきてしまって、過剰なセンチメンタリズムに浸ることの方が多かったからだ。宗教的・歴史的側面を引用するまでもなく例えば、「愛する人が欲しかったら、クラブに行けば良いかもね。でも君は踊ることが出来なくて倦んでしまうだろう。そして家に帰って、泣きたくなるんだよ」と歌ったモリッシー宜しく、「祭り」は楽しいばかりのものでは本質的にはない。

 先に挙げたムーヴメントを「パーティーの喧噪」と記述したが、だから「パーティー」の後に「チルアウト」というタームが来たのも当然の流れであるように感じるし、踊り疲れて捌けていく客の波を縫ってDJブースのセンターに付くわたしは俄然、元気になる。「音楽体験は本来、個人的なもの」なのだ。因みに、先に引用したスミスの「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」ではこう続く-「今っていつだい?いつになったら僕は、人から愛されるっていうんだい?」。

 「そんな瞬間」は多分訪れないからして、「個人的な動機」を胸に「不可能」性に着いて踊るのは、私は悪くないと思っている。


(黒田千尋)

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