ジャマイカ『ノー・プロブレム』(V2 / KRS)

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jamaica.jpg 思えば、意味がなくても、ビルドゥングス・ロマンの夢に乗れなくても、「強度」(世界を濃密に体感すること)さえあれば人間は生きていけると説いた日本の社会学者は、今は何を啓蒙しているのか。例えば、ニーチェは、意味が見つからないから良き生が送れないのでなく、良き生を送れないから意味にすがると言ったが、ニーチェの本を読み、強度を勘違いして「無意味な生」をセルフ・ヒーリングされている人たちは、十分に「意味的な存在」であり、反ニーチェ的であるとしか言いようがないのも残念だ。00年代以降は「強度」のように世界を濃密に分かり合えるように、「濃度」としてグラデーションの境目を見極める視力が必要になったのは「グラウンド・ゼロ以降、ビルが荒野に視えてしまう」という錯覚さえ孕んだ感性や表現を保持しないと、何一つ意味も浮上しないという事が自明の理になったからだ。だから、90年代の最高の産物であるアンダーワールド「Born Slippy」はどんな場所でも、どんな環境でも間に合うように、星を降らせた。

 07年辺りに勃興したニューエレクトロは殆どが「意味」の音楽だった。但し、ゆえにフロア・ユースとヘッドホン・リスナーにとっては、乖離している部分があり、例えば、デジタリズムは後者サイドでふと街の景色と混ざり合う時にその本領を発揮する代わりに、フロアにおいては単調で盛り上がりに欠ける「荒さ」があったのはステージを観た人なら分かり得るだろう。シミアン・モバイル・ディスコなどはその双方の橋を上手く渡せていた器用さがあったが、セカンドは目配せをしてしまったが故に地味になってしまい、どうにも座りの悪いものになってしまった。そんな中で、ジャスティスのあのコンプレッサーがかかった音と硬質で過剰なサウンドスケイプはヘッドホンには耳触りで、フロアでは一方通行のマッシヴな悪意のような熱だけが放射された「強度」の音楽を示唆した。彼等は、周囲が想っている以上に「センス」のユニットでもなかったのは、放埓なステージ以外のオフまでをおさめたDVD「A Cross The Universe」を観れば瞭然で、どちらかというとロック的(旧態的な)な捨て鉢さがチャームのユニットであったから、次はダフト・パンクのようなバズを産むか、潜航期間が長くなるかという選択肢しか見えない気がした。

 そんなジャスティスの新曲と勘違いした人も多かったかもしれない「I Think I Like U」のギター・カッティングの軽快さとマッシヴなデジタル・ビートは久々に何かをブレイクスルーをする新しさを持っていた。ジャマイカというアントワン・ヒレール、フロー・リオネからなる二人組。プロデュースにはジャスティスのグザヴィエもクレジットされており、全体にジャスティス的なコンプレッサーが強めの音が続くが、合間にフェニックスやタヒチ80のようなフレンチ・ギター・ポップの血も受け継がれており、全体のイメージはとてもクールとしか言いようがないものになっている。

 ジャマイカとして影響を受けたアーティストは、トッド・ラングレン、AC/DC、ポリス、ニルヴァーナというのも、何だか微笑ましい、「大文字」に挑む頼もしさがあると同時に、ルーリードの名前も出してしまう所はフランスの鬼っ子たちの憎めなさなのだろうか。同時代的な共振をヴァンパイア・ウィークエンドに感じると言いながら、歌詞に散りばめられたロマンティックなフレーズはフレンドリー・ファイアーズが希求したパリを既に内包したフランスという出自を逆手に取って、甘美で、故に頽廃的なからくりも見える。国内盤のボーナス・トラックに入っているデモ・ヴァージョンなどを聴くと、瑞々しさが先立つ内容になっており、シンプルなネアオコ~ギターポップへの近接も感じるが結果、出来上がったこのアルバム『No Problem』を貫き通したモードは、グザヴィエの過剰さと彼等の意図が加わって、意味から強度を抜けて、深度へと一気に降下していく乱暴さを再構成しているものになった。ラフなまま振り切らず、タフなものに仕上げ直すという捻じれ方は流石、フランスという国から出てきたという矜持とも言えるかもしれない。パリに行かなくても、ここに居れば星は見えるから、「あの子は綺麗ではなかったね、ただ若かっただけさ」と、ニヒルに言い捨てるジャマイカはやはり、クールだ。そのクールはスノビズムも孕むが。

(松浦達)

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