グーテフォルク『太陽のシャンデリア』(Rallye)

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gutevolk.jpg 押しても引いてもびくともしない。小鳥である。光である。無垢である。あくまで西山豊乃なのであって、彼女のソロ・ユニット、グーテフォルク(Gutevolk)は、約3年振り、レーベル移籍第一弾の3作目となる『太陽のシャンデリア』においても小鳥のようであり、光のようであり、押そうが引こうがびくともしない個性が確立されていることを示す。やはり無垢なのだった。
 
 ウィスパー・ヴォイスとともに強すぎず弱すぎずの電子音が静かに跳ねて、ストリングスが気持ち良さそうに伸びていく。そこに鐘の音色やヴォイス・パフォーマンス、水の中で弾ける泡の音色をサンプリングし、刺のないメロディとともにゆったりと流れていく。もしクリスティンがいた頃のムームが2010年に作品を発表していたら、本作のような音楽になるのではと一瞬思った。
 
 細野晴臣や高木正勝、矢野顕子などから絶賛されている彼女の音楽はいわゆるフォークトロニカと言えるが、室内音楽的なファースト・アルバム、大胆なまでに電子音を強調したセカンド・アルバムに続き、『太陽のシャンデリア』では過去2作の良い部分を取り出し、余計な音を削ぎ落とし、必要な音だけ鳴らしているから耳にひっかかるものがない。次から次へと顔を出してくる音が西山豊乃の歌声に寄り添い無個性だった景色にひとつの集約点が生まれていくようだ。美しい記憶の断片を拾い集め、音にし、それは谷川俊太郎の詩のように美しい。さながらジャケットに描かれている木に小鳥が集まって音を奏でているみたいでもある。
 
 そんな音に包まれれば邪気なんてものは消えてしまうし、特に彼女のロリータ・ヴォイスと言っても差し支えのない歌声を聴いていると、その歌声の破綻の無さも手伝って、ゆっくりと風船がしぼんでいくように体の力が抜けていく。まるで全てを肯定されているような心地。それこそが彼女の真骨頂ではあるけれど、イージー・リスニング的にだけ聴けるものではなく、ほら、踊りましょうよ、という具合にややダンサブルなビートを交えている曲や、ビートをずらしているところ、ひねたアコースティック・ギターの音色すらあり、ちょっとした刺激を与えてくれる。それが面白くて楽しくて興味深くて耳をそばだててしまう。お釣りで一万円札が返ってきたときのような驚きを忍ばせているから何度も聴ける強度を持っている。
 
 そこにグーテフォルクの成長が窺えるから嬉しい。音楽に遊びを入れられる余裕が今の彼女にはあるのだ。チルアウト的な音楽だと捉えられそうだけど、そう捉えるリスナーに、ふふふとちいさく笑う彼女が音の奥にいるのが見えてきそう。「実はね」と。「実はけっこう複雑なことしてるのよ」と。そんな余裕もまた無垢だ。西山豊乃自身が「現時点の最高傑作」と呼ぶ本作。これはチルアウト的ミュージックの極点、あるいはカウンターになりうるかもしれない。この作品を聴いて受け身で癒されるだけじゃ何も起きないなと思いもした。面白いことやらなきゃ何かが起こる以前に何も響かないのだと。


(田中喬史)

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