アーケイド・ファイア『ザ・サバーブス』(Merge / Mercury / Universal)

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arcade_fire.jpg 僕がクルマの免許を取るずっと前のある日曜日。当時、世界最強だと言われていたマイク・タイソンが日本で試合をすることになった。試合開始のゴングは午後だったと思う。僕はレコード1枚分のおこづかいをポケットに入れて、市営バスに揺られていた。「試合開始までに帰れるかな。タイソンの試合はすぐに終わっちまう」。そんなことを考えながら、僕はバスを降りてからレコード屋まで急いだ。

 アーケイド・ファイアの『ザ・サバーブス』を聞いて、歌詞を読んで浮かんできたいくつかの記憶のうちのひとつ。不思議と懐かしさはなく、「その時、僕はそこにいた」という確信だけがある。ニュー・ウェーブ、パンクのエッセンスを器用に取り入れたサウンド、ブルース・スプリングスティーンのストーリーテリングを継承するような情景描写に、何かを発明したような新しさはない。それでも全16曲という決して短くはないこのアルバムを繰り返し聞いている。

 何種類か用意されたアートワークには、どれも無人のクルマが停まっている。色褪せる直前の住宅の写真は、何かが失われることを予感させる。遠い記憶ではない。それは、ほんの少し前の出来事だ。過ぎ去る時間の中で、僕たちは何を失うんだろう? この不気味な住宅は、帰ってくるべき場所なのか? それとも出て行くための場所なのか?

 「葬式」と名付けられた1stアルバム、現代の宗教観と資本主義を描いてみせた2ndアルバムを経て、いまアーケイド・ファイアは「郊外」に目を向ける。アメリカ大統領選が終わり、時代は変わったかのように見えた。でも、本当にそうだろうか? 変わったこと、変わらなかったこと。僕たちは結局、その両方を受け入れて生きて行かなくちゃならない。ある人はこのクルマに乗って出て行くだろう。そして、またある人はこのクルマで帰ってくるかもしれない。最初っから、どこにも行けない人もいるだろう。きっと誰の心の中にでもある「郊外」の風景。アーケイド・ファイアは、「時代」や「アメリカ」という背景を抜きに、僕たちの心に問いかける。歌の普遍性は前2作を超えている。

 結局、僕はマイク・タイソンの試合を見ることができたのか憶えていない。憶えているのは、帰りのバスの中でトーキング・ヘッズの『ネイキッド』をレコード屋の袋から出して、心ゆくまで眺めていたこと。窓の外を通り過ぎる友達が住んでいるマンション、電信柱、広い駐車場、古ぼけた商店の看板。「そろそろ降りる準備をしなくちゃ」。いま僕は、そこからどれくらい遠く離れた場所にいるんだろう?

(犬飼一郎)

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