August 2010アーカイブ

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 "きみがぼくのベッドを直してくれた 指のあとが残っている
 これが愛、なのだろうか 冷静になればなるほど
 愛とはたやすく見つけられるもの そう、それが愛というものなのだから"
 (「Is That Love」)

 「シンプルにいい曲を書く」人たちというのはいつの時代も(一部を除いて)冷遇されてしまうようで、00年代以降に80年代ニューウェイヴは散々再評価されているのに、その当時に「80年代のレノン/マッカートニー」と賞賛された、クリス・ディフォードとグレン・ティルブルックを擁するスクイーズの日本での扱いに、後追い世代の僕はいつもこっそりむくれていた。素敵な曲ばっかりなのに!(とはいえ、日本におけるNW再評価のきっかけのひとつとなった、音楽評論家の小野島大氏監修による「UK New Wave Renaissance 2004」シリーズの一環で、彼らにとって三枚目のアルバム『Argy Bargy』が再発されたことには今でも本当に感謝している)

 音楽ファンがひときわ愛する映画『ハイ・フィディリティ』の原作者であるニック・ホーンビィも文学界のディフォード&ティルブルックを目標にしてきたというし、初期のブラーもマーク・ロンソンもリリー・アレンもカサビアンも、いわゆるイギリス臭い大御所ミュージシャンやバンドの大半は彼らの影響下にあるといっても過言でない。アメリカにおいても、ファウンテインズ・オブ・ウェインはモロだし、エイミー・マンのアルバムにもかつてクリスとグレンは参加し(『I'm with Stupid』、最高!)、ディアハンターも昔、自身のMySpaceで音楽性が結構異なる彼らの名前を挙げてリスペクトしていたり(彼らのブログの過去ログを読み返すとわかるが、ブラッドフォード・コックスは相当の英国ロックオタク)、つい最近だとシンズがもっとも有名な曲のひとつ「Goodbye Girl」をカヴァーしている。こんな話をしだしたらキリがない。それほど彼らは偉大で、優れた曲をいくつも残している。

 バンドの解散後もグレンとクリスは00年代に各自ソロ名義で秀逸な作品をいくつか残してきたが、このたび何度目かの再結成を果たし、そしてバンド名義としてはなんと12年ぶりに発表されたのが本作である。

 『Spot The Difference』、「間違いを探せ」と題された本作は往年の名曲をバンド自らの手で再録したアルバム。で、間違いを探そうにも、冒頭の疾走感溢れる「Another Nail in My Heart」からラストの「Up The Junction」に至るまで、基本的にオリジナルのアレンジに恐ろしく忠実であるのが特徴だ。当時アメリカでも大ヒットした「Tempted」もご丁寧に当時と同じくポール・キャラックがヴォーカルを担当しているし、「Slap and Tickle」の時代を感じさせるイントロのチープなキーボード・サウンドもうまい具合に再現されている。メイン・ヴォーカルを務めるグレンの歌声もそれほど衰えてはいない。一見後ろ向きな所作にも見えるが、ファースト・アルバムのプロデュースを担当したヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルから、名作『East Side Story』でのエルヴィス・コステロとデイヴ・エドモンズ、さらに後期の作品に至るまでの音を今になってわざわざ完コピするというのは、たとえばと元XTCのデイヴ・グレゴリーがビートルズの「Strawberry Fields Forever」を宅録で完全再現したのと似た、英国バンドらしい極端さと捻くれたユーモアも感じさせる。その反面、曲順の滑らかさに「ベスト・ヒットをうまい具合にまとめているなぁ」と感心していたら、単純に収録曲をアルファベット順に並べていただけだった! というテキトーさもまたいい。今もバンドがそれだけ勢いに乗っているということだろうし、音の方からもそれが伝わってくる。

 こうして聴き返すと彼らのもつメロディの豊潤さとポップの奥深さに改めて唸らされるわけだが、間違い探しを原典抜きで行うというのもヘンな話なので、未聴の方々には(先述のジョン・ケイルのプロデュースによるファーストはバンドの魅力を正確に伝えきれていないし、超兄貴みたいなジャケもややダサいのでひとまず後回しにして)二枚目の『Cool For Cats』から時代順に聴いてみることをお薦めしたい。それこそ今でいえばニュー・ポルノグラファーズ辺りのファンの琴線にも触れまくるフックをもつ尖った、いかにもニューウェイヴなパワーポップ集である『Cool~』から、その次々作である(当初はポール・マッカートニーもプロデュースを手掛けるという話があった)『East Side Story』のもつ「うた」の魅力に至るまでの流れは感動的だし(この流れはポストパンク時代の流行の変遷を先取っていたといえるかもしれない)、ブリット・ポップの勃興で再評価されることとなる80年代後半~90年代の作品も聴き応えがある。また、クリスが手がけてきた小粋で味のある歌詞の魅力については、かねてからグレンの来日公演をサポートしているミュージック・プラントのブログ「Song by Song」にタイコウチ氏による素晴らしい対訳が紹介されているので、そちらをご参照いただければ。

 ちなみに、グレンはLove Hope and Strengthという、山登りを通じてガン撲滅のための寄付を募る団体に参加しており(他の参加ミュージシャンも凄いメンツ!)、富士山でのトレッキングのためにただいま絶賛来日中。一方、バンドのほうはアメリカではチープ・トリックやイングリッシュ・ビートとツアーを周り、そして11月からはイギリスに戻ってライトニング・シーズと...って! なんかどの組み合わせも(ちょっと世代を感じるけど)豪華...。日本にもそれでぜひ来てほしいですよ?

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all photos by Toru Yamamoto

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TIRED PONY

確かに、オレゴン...ポートランドは
アルバムに大きな影響をあたえてくれた


かつてベル・アンド・セバスチャンと同じジープスターからレコードを発表していたグラスゴーのバンドということで、いまだに彼らの弟バンド的にとらえる向きもあるかもしれないが、スノウ・パトロールは今や英米ではビッグな存在となっている。とくにUKでの人気はすさまじく「00年代にUKのラジオで最もたくさんオン・エアされた曲」は、スノウ・パトロールの「Chasing Cars」(2006年のアルバム『Eyes Open』収録曲)なのだ。ジェームス・ブラントやテイク・ザット、シザー・シスターズやシュガーベイブスよりも上(ちなみに、トップ10にコールドプレイが入ってないのは、ちょっと意外。彼らの人気って、アメリカ・ベースなんですね...)。

そんなスノウ・パトロールの中心人物ギャリー・バックが、R.E.M.のピーター・バックらと組んだスペシャル・バンドが、タイアード・ポニーだ。ほかにも、ベル・アンド・セバスチャンのリチャード・コルバーン、M・ウォード、彼といっしょにシー&ヒムをやっているズーイー・デシャネル、エディターズのトム・スミス、そしてザ・ヤング・フレッシュ・フェロウズ/ザ・マイナス・ファイヴ(R.E.M.へのゲスト参加でもおなじみ)のスコット・マッコーイなど豪華な面子が参加したデビュー・アルバム『ザ・プレイス・ウィー・ラン・フロム』は、感情の流れがダイレクトに伝わってきて、心にしみる傑作だ。ギャリー・ライトボディに聞いた。

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BAND OF HORSES

日常生活でどんなに辛いことがあっても
前を向いて進んでいく、っていう


バンド・オブ・ホーセズが奏でるメロディはまるで星が瞬く宇宙のような包容力を持ち、私たちを希望の光が差す場所へと連れて行ってくれる。あのエディ・ヴェダーも絶賛する実力派バンドだが、今年リリースされた新作もすこぶる評判が良い。もはや彼らはある限られたカテゴリの人たちに熱心に聴かれるバンドではない。そのサウンドはノスタルジックでつい涙腺が緩んでしまうが、ただの逃避行に終わってしまわないのが彼らの魅力。前へ進むことはこんなにも切なく、美しいことなのだ。やたらと気の優しそうなドラマーのクレイトン・バーレット(外見は刺青だらけでゴツい)とギター&コーラスのタイラー・ラムゼイにインタビューした。

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arcade_fire.jpg 僕がクルマの免許を取るずっと前のある日曜日。当時、世界最強だと言われていたマイク・タイソンが日本で試合をすることになった。試合開始のゴングは午後だったと思う。僕はレコード1枚分のおこづかいをポケットに入れて、市営バスに揺られていた。「試合開始までに帰れるかな。タイソンの試合はすぐに終わっちまう」。そんなことを考えながら、僕はバスを降りてからレコード屋まで急いだ。

 アーケイド・ファイアの『ザ・サバーブス』を聞いて、歌詞を読んで浮かんできたいくつかの記憶のうちのひとつ。不思議と懐かしさはなく、「その時、僕はそこにいた」という確信だけがある。ニュー・ウェーブ、パンクのエッセンスを器用に取り入れたサウンド、ブルース・スプリングスティーンのストーリーテリングを継承するような情景描写に、何かを発明したような新しさはない。それでも全16曲という決して短くはないこのアルバムを繰り返し聞いている。

 何種類か用意されたアートワークには、どれも無人のクルマが停まっている。色褪せる直前の住宅の写真は、何かが失われることを予感させる。遠い記憶ではない。それは、ほんの少し前の出来事だ。過ぎ去る時間の中で、僕たちは何を失うんだろう? この不気味な住宅は、帰ってくるべき場所なのか? それとも出て行くための場所なのか?

 「葬式」と名付けられた1stアルバム、現代の宗教観と資本主義を描いてみせた2ndアルバムを経て、いまアーケイド・ファイアは「郊外」に目を向ける。アメリカ大統領選が終わり、時代は変わったかのように見えた。でも、本当にそうだろうか? 変わったこと、変わらなかったこと。僕たちは結局、その両方を受け入れて生きて行かなくちゃならない。ある人はこのクルマに乗って出て行くだろう。そして、またある人はこのクルマで帰ってくるかもしれない。最初っから、どこにも行けない人もいるだろう。きっと誰の心の中にでもある「郊外」の風景。アーケイド・ファイアは、「時代」や「アメリカ」という背景を抜きに、僕たちの心に問いかける。歌の普遍性は前2作を超えている。

 結局、僕はマイク・タイソンの試合を見ることができたのか憶えていない。憶えているのは、帰りのバスの中でトーキング・ヘッズの『ネイキッド』をレコード屋の袋から出して、心ゆくまで眺めていたこと。窓の外を通り過ぎる友達が住んでいるマンション、電信柱、広い駐車場、古ぼけた商店の看板。「そろそろ降りる準備をしなくちゃ」。いま僕は、そこからどれくらい遠く離れた場所にいるんだろう?

(犬飼一郎)

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yakenohara.jpg ここまで清々しくて初々しくて、楽しいサウンドを滴り落ちるほど贅沢に取り入れた音楽も中々ないであろうよ。DJ、ラッパー、トラックメイカーなど、やけのはらの活動は多岐にわたり、近年はバンド、ヤングサウンズ(younGSounds)に参加。また、七尾旅人とともに「Rollin' Rollin'」を発表したことは記憶に新しい。ファースト・ソロ・アルバムの本作『This Night Is Still Young』は、「Rollin' Rollin'」のアルバム・ミックス・ヴァージョンを収録。同じく七尾旅人がヴォーカリストとして参加した「I Remember Summer Days」を収録し、ライヴで共演の多いドリアンがキーボード、アレンジとして参加している。
 
 大胆なまでの打ち込みを軸とするアルバムだけれどエレクトロニカ的な志向すら持つ七尾旅人と打ち込みの相性が良いのは必然で「Rollin' Rollin'」のアルバム・ヴァージョンも気持ちのいい仕上がり。もちろん淡々としていながらもチャーミングなやけのはらの声と電子音の相性も抜群だ。DJとして数々のイベントや、多数のパーティーに出演してきたやけのはら自身が言うように、ラッパーというよりはDJ的な視点で作られた本作は、間隔の広いヒップホップのリズムと、ころころ転がっているような電子音と涼しげなサウンド・エフェクトを中心に、女性のヴォイスや弦楽器、子供の声がサンプリングされている。さらには管楽器やエレクトリック・ギター、ボコーダーを使った音なども取り入れ、ドリアンがキーボードを鳴らすタイミングも絶妙だ。それらは夏の空気や海辺で人々がたわむれる雰囲気を描写する。様々な音、ジャンルが混じっているが、乱雑な印象はない。DJ的な視点で作ったというだけあって適材が適所で鳴らされ、必要最小限に音をとどめているがゆえにすっきりまとまり、それが本作の爽快な音に繋がっている。
 
 棒読みに近いラップは朗読とまではいかなくとも詩を読んでいる感覚に近く、過剰な主張や激動はない。韻を踏むことすらあまり意識していないと思える。まるで話しかけてくれているようで、そして詩的で、爽やかなサウンドということもあってリゾート・ミュージックとして聴こうと思えば聴ける作品だ。しかし、それだけで終わらないメッセージ性もある。

"俺達が見ている景色が夢だとしたら
最高にアホらしく笑えて スリル満点の夢にしよう
一瞬のまやかしだとしても 錯覚や幻想だとしても
信じていたいと思える何かを見つけたんです
この夏はきっと終わらないって なんとなくそう思った"
(「Summer Never Ends」)

 閉塞感に満ちていると言われる世の中にあって、何か面白いものを見付けようというメッセージ。その何かが、まさに『This Night Is Still Young』。それは都会の鉄の匂いをさえぎって香る。やはり清々しくて初々しくて、楽しい。

(田中喬史)

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sky_larkin.jpg 表立った大きなムーヴメントこそないものの、ロス・キャンペシーノス! やジョニー・フォリナーなど、イギリスのバンドでありながらペイヴメントの系譜を受け継ぐようないびつなUSインディ・マナーのスタイルを貫くバンドがいくつもいる。そして、特に上記2組に顕著なのだが、彼らは頻繁に楽曲を製作・リリースしていく傾向がある。

 このリーズの3人組、スカイ・ラーキンもその例に漏れていない。アイデアは沸いて出てくるのだろう、昨年デビュー・アルバム『The Golden Spike』を発表したばかりだというのに、早くもセカンド・アルバム『Kaleido』をリリースしてしまった。

 と、そのスピードだけを見ると驚いてしまうが、路線は全く変わっていない。紅一点のヴォーカル、ケイティ・ハーキンのさえずるような歌声と、ブロークン・ソーシャル・シーンを思わせるようなメロディの3分間ポップという性質まったくそのままだ。

 だが、このアルバムには「変化」はないが、「成長」がある。クリブスを始めとするアクトとのツアーで鍛えられたのだろう。以前には安定感がなく危なっかしかったサウンドが、今はがっしりとしたバンドアンサンブルにかわっている。「Still Windmills」や「Kaleido」でのタイトなプレイはもちろん、例えば、「Anjelica Huston」ではアーケイド・ファイアを髣髴させるようなスケールが垣間見られるし、キーボードを主体とした「Year Dot」でのファニーでラウドなコーラスはファイト・ライク・エイプスを思わせるよう。プレイヤビリティの向上がそのまま作品に反映され、クオリティの向上として現れている。

 ソングライティング能力は実はかなり高いし、今後に一層の期待を抱かせてくれる作品だ。このバンドをまだ聴いたことがない、という人であれば、僕は迷わずこちらのアルバムを薦めるな。

(角田仁志)

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we_are_scientists.jpg 今回EMIを離れ自主レーベルからのリリースとなった為話題性こそ少ないものの、これは今年の名盤の一つである。キースのギターはバラエティに富み、メロディー・ラインはファーストの頃に戻ったようにしっかりとしている。音楽的にもセカンドの80年代サウンドより純粋にギター・バンドとしてギターを奏でており、1曲1曲は短いが彼らの持ち味が濃縮されている。もちろん自慢のコーラス・ワークも健在。更に日本のファンのために日本のSNS、Mixiコミュニティにビデオ・メッセージを送るなど驚きのサービスが満載の彼ら。国内盤にはアコースティック・ヴァージョンも多数収録されている。

 完璧なロック・アルバムとなった今作サード・アルバムは、以前インタヴューで語ってくれたような"音の隙"をも作られている。それはつまりドラマーのマイケルが脱退してからも3ピース・スタイルを持続するにあたり音が弱くなっているわけではなく、むしろ4ピース・バンドと思える程の重圧感があり、しかしながらギターだけで埋まらないようベースやドラムが上手く入り込む場所を作っているということだ。よりパワー・アップしたWASをこれを期に是非騙されたと思って聴いてほしい。

(吉川裕里子)

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sebastianx.jpg まるで、太陽を飲み込んだような歌声だ。春夏秋冬、冬の寒さと春の暖かさを通りすぎて、真夏の太陽を待ち焦がれるような、とにかく、この歌声はサンサンと輝いている。そう、これは待ち焦がれた太陽だ。と、言いながら前作までこのバンドの音源を聴いても、僕にはまぶしすぎたようで、Sebastian Xだなんて、スパルタンXみたいだなと思ってたぐらいで、そのサンサンと輝く、ド級に力強い歌声に拒否反応を示していたのも事実。例えるなら、ジョジョの奇妙な冒険の第三部は「絵が気持ち悪くて...」と言って損をしていた読者みたいな話。わかりにくいかな。まあ、つまり、マイナス印象からの、にわかリスナーなんです。とは言ってもこのバンドの結成はおよそ2年、今作が2枚目のミニアルバムなわけで、そもそもが間もないわけだけど、いったいこれからどうなっちゃうのよ、というような期待の若手(新世代バンドと言うべきか)なのである。
 
 このバンドの成り立ちは2年前より少しさかのぼって、前身バンドでのハードコアな曲長からはじまったようで、なるほど、そう言われるとヴォーカルである、永原真夏の歌声はハードコアになじむ! 実になじむぞ! と、ついつい、わかる人にしかわからないジョジョネタを前段落にひっぱられ文章に織り交ぜてみたりしたが、伝わるかな?でも、しょうがないんです、このアルバムを聴いていると楽しくて仕方ないのだから。僕だって少しは遊びたくなるってもんだ。
  
 さて、そんな曲の大半は、楽器の弾けない永原真夏がアカペラ等を駆使して持ち込み、ドラム、ベース、キーボードのギターレスのメンバーで具現化されているらしく、時折、調子っぱずれに歌われる歌声も、実はそんな独特な工程からきているのかもしれない。それは一聴すると、歌声と楽器隊がまるでケンカしているようにも思える曲群なのだが、よくよく聴くと実は仲良くじゃれあっているだけで、今作のリード・トラック「世界の果てまで連れてって!」ではホーン隊までも加わり、よりいっそう楽しげである。実は、それが、稚拙な僕の耳に、このバンドの魅力を気づかせるきっかけになったわけで、その音数を増やす方向性とは個人的に大歓迎である。もっともっと、彼女の歌声を音の渦に投げ込んで、じゃれあって、楽しんでほしい。勝手な妄想ですが、上原ひろみのピアノとじゃれあったら最高だなと思ったりもする。

 今作に話を戻すと、ここではのっけから「フェスティバル」と歌い、前述したリード・トラック「世界の果てまで連れてって!」が続き、その後もアップテンポな曲が続くのだが、後半につれ歌声もグッと引き締まり、ハキハキと歌われる歌詞がストレートに響いてきて、あれれ、いつに間にかほろりときたりする。なんだか、楽しいと言ったり、ほろりときたり。兎にも角にも、この一枚を通して喜怒哀楽動かされまくりなのである。ただあっけらかんと太陽のように明るいだけではなく、心に強く響くアルバムなのである。仮に、僕のようにマイナスにふり幅を向けたリスナーがいたのならば、あらためて手にとって聴いてみてほしいし、前作からのファンの皆さんとは、僭越ながら手に手をとり高らかと笑いあいたい気分である。

(佐藤奨作)

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sakura.jpg 重苦しいのも当然、痛々しいのも必然。情念が籠った歌とサウンドなのだから。御歌とギターの升あけみ、御殴りドラムのロデムの前身バンドからの駆け落ち(♀×2)編成だが最近流行りのマス・ロッキンなタイプとは違って、如何わしさが薫る和風ガレージ色にクラっとしてしまうロック・デュオ。今年は話題の神聖かまってちゃんらと対バンしたり、そんな彼女たちが今迄にリリースした音源、通称『白盤』と『黒盤』に続いて今回の6曲入りのミニ・アルバムは画の通り『赤盤』を発表したのだが、これが初の全国発売と相成った。

 そのイメージ・カラーの如く今作品は"赤裸々"に剥き出しに、耳から心臓を突き刺す様に、聴く者が持ち合わせる感性の急所まで最短距離で音が飛び込んでくる...。然し、撲殺でもあり絞殺でもあり、毒殺でもあり刺殺でもあり! 何れにしても曲がスタートした刹那、瞬く間に空気を一変させるのだ。然しその何れもがその行為自体の快楽性などを唄ったものではなく、衝動に駆られた理由や背景を物語った上で全編に渡り二人称が登場した、パーソナルに響く世界。でもやっぱ魅力的な女の子って肉食だな~って思わせたり、端々に感じさせるのはエネルギーに満ちた若さと可愛さだったり。懐かしいたて笛の音色とエレピでほっこりさせるM-5の「目はうずまき特急列車」なんて、なんてキュートなんだ!とか。

 平たく言えばホワイト・ストライプスmeets初期の椎名林檎と言った様が想像し易いとは思う(ヴィジュアル的に)が、敢えてそう評する向きを不肖が嫌わないのは強ち間違いではないと思うし、この音楽をして"アングラ"なんてレッテルを貼るのは凄く勿体なく思うのだ。確かにアッパーではないにしても十分にポップだし。所々耳馴染みのあるフレーズが聴こえたりする部分にもニヤリとさせられる。特にM-3の「歩こう」はナックの「マイ・シャローナ」を彷彿とさせるリフに乗せて、メロディはストレンジに捻くれながらも、エッジは尖らせたままストレートにロック!言葉を届ける甲高いヴォーカルはノイジーなサウンドに映え、その通り名の通りに殴りつけるようなドラムは、一心不乱故に楽曲の持つシリアスな感情と共鳴しながらグルーヴを生み出して、、、って、この辺りは生(LIVE)を見てもらえれば一発で感じる事が出来るだろう。音源で感じ取れるドロドロ感が半端ないから。

 とにかくラストのトラック「サイレン」という爆音ハイライトで締め括る粋の良さを含めて、今後も注目したいロック・バンドである。

(田畑猛)

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