August 2010アーカイブ

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 Zガンダム、マリオ。そして、今回は引用ではなく、ひとつの漫画について書くことにした。これで僕がどんな人間か、少し化けの皮が剥がれてきただろう。
 
 『ウッドストック』コミックバンチに連載されていた作品で(コミックバンチは、週刊から月刊となり、「@バンチ」という名で、2011年の1月21日に新創刊するそうで、『ウッドストック』もそこで連載が続くらしい)、浅田有皆という漫画家が書いているロック漫画だ。僕と『ウッドストック』の出会いは、とあるコンビニの漫画コーナーに置かれていたコミックバンチがキッカケだった。表紙に「新連載スタート!」というフレーズと共に、『ウッドストック』の名があった。まずは立ち読みで試しに読んでみた。すると、凄く強烈な熱が、僕を襲ってきた。なんていうか、熱気バサラの、「俺の歌を聞け!」という熱気に近い「俺の絵を見てくれ!」という感じ。立ち読みだけで済ませられず、オレンジジュースと一緒にレジに直行して買ってしまった。家に帰っても、何度も読み返してしまった。それ以来僕は、『ウッドストック』の虜になってしまった。
 
 僕は『BECK』が苦手だ。もちろん「ハロルド作石はロックを分かってない」とか言うつもりもないし、ハロルド作石は、ロックが好きだからこそ『BECK』という漫画を描いたのだろう。ただ、僕は、『BECK』で描かれているロック観が苦手だというだけの話。僕にとって、『BECK』というのは「波乱万丈の物語」だ。仲間が集まってバンドを結成して、夢に向かって突っ走るけど、挫折を味わったりして、それでも、力を合わせて困難を乗り越え、立ち上がり歩いてゆく。でも、現実ってそう都合良くできているわけでもなくて、一回の挫折で終わってしまうことが多いし、最初ギターを抱えて大きな音を鳴らすと、「俺もロックスターになれるんじゃないのか?」と思うけど、大概はすぐに、ハッピー・マンデーズが歌ったように「誰もが英雄になれるわけじゃない」と悟ってしまう。僕もギブソンのレスポールを抱えて歌ったり、ローランドのJUNO106とTB-303でダンス・ミュージックを作ったり、ジェフ・ミルズに憧れて、ターンテーブルを3台買って、「リトル・ウィザード」を名乗ったりしていたけど、その全てが趣味に終始している。僕がひねくれているだけかも知れないけど、僕には、『BECK』がどうしても綺麗事だらけに見えてしまって、読んでいて息苦しくなる。
 
 もちろん『ウッドストック』にも、挫折から立ち上がって困難を乗り越えるみたいな物語はあるんだけど、たまに「無」が訪れる。本当に退屈な、何も面白くはない場面が『ウッドストック』にはある。「それって漫画としてどうなの?」という声も聞こえてきそうだけど、僕はそこに「リアル」を感じる。ロックとは瞬間風速的に突然降って来るものなのだ。ジーザス・アンド・メリーチェインのリード兄弟は、5年間無職という何もしてないなか、美しいノイズを鳴らした。ロックとは、鳴らすものではない。ロックのほうから、「俺を鳴らせ」と囁いてくるのだ。だからこそ、僕にとってロックというのは、特別な存在なのだ。
 
 僕は、音楽について書いているとき(今回はロック漫画だけど)、劣等感に苛まされる。その劣等感は、「ライターは基本的に、音楽界においては負け犬」という僕自身の考えからきている。僕がこうして、音楽について書いているのは、「この音楽を聴いてほしい。もっとこのアーティストを知ってほしい」という思いがあるから。しかし同時に、音楽について書くということは、「自分の音楽観を、他人の作品を借りて主張すること」だと、僕は思っている。この行為は、僕にとってズルイことでしかない。謂わば、アーティストがゼロから作り上げたものを、後出しジャンケン的に好き勝手解釈するものだから。もし、「今の音楽界はクソだ。こんな音楽があれば、音楽界も良くなるのに」と思ったら、自分で曲を作り、詩を書いて歌う。しかし、僕は、何かを生み出す才能がない。だけど、それでもあきらめきれず、僕はこうして言葉を紡いでいる。劣等感に苛まされながらも、自分の音楽観を主張するために。だけど、「文字」という形で、どれだけ頑張っても、「音楽そのもの」には敵わない。何故なら、「音」という形あるものではないものを聴いて、自分の心に浮かぶ風景や匂い、それこそが、音の立派な主張であり告白だからだ。つまり、究極的に言って、音楽というのは「言葉」なのだ。嫌味なインテリ風の奴らは、「それは自己矛盾であり思考停止だ。何故書き続けるのですか?」と言うかも知れない。もしそう言われたら、僕は、「音楽が好きだから」としか言えない。未練タラタラなのである。しかし、その未練が、そんなに悪くないのだ。
 
『ウッドストック』は、僕の考えとシンクロするところがたくさんあって、感情移入してしまう。というか、僕みたいに、音楽に夢を見て、日々音楽について考えている人ならば、心の中にある純粋なものを掻き毟る何かが、『ウッドストック』にはある。浅田有皆自身は、劣等感から『ウッドストック』を描いているわけではないと思う。自身がリアルタイムで体験したと思われる、80・90年代の日本インディ・ロック・シーンを背景に、純粋に「こんなバンド居たらいいな」という思いで描いている。しかし、その「こんなバンド居たらいいな」という思いを、漫画という形で主張しているところに、僕は自分と同じ匂いを感じてしまう。
 
  「主人公の成瀬楽が作り上げたバンドである『チャーリー』は、マイスペ世代的な成り立ちをしていて、若者に受け入れられやすいだろう」「"4REAL"や"ロウパワー"など、ロック・ファンならニヤリとしてしまうバンドが登場する」とか、ウィキペディア的にレビューを書くことも出来たけど、『ウッドストック』には、そんな陳腐な説明を不要とする、感情に訴えかけてくる力がある。音楽に夢を見たものならば、一度は体験するであろう喜びや快楽、挫折や受け入れ難い現実。そして、希望なき退屈。その全てがある。ぜひ読んでみてほしい。読み終わった後、こう思えるはずだ。「音楽を信じてきてよかった」と。
 

ザ・コーラル

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THE CORAL

魔法みたいな瞬間をとらえる
ミステリアスな場所、って感じなんだけどね


しなやかさと力強さが同時に激しく増している。2008年のベスト・アルバム『シングルズ・コレクション』では、スタイルに左右されないザ・コーラルの「曲そのものの素晴らしさ」をあらためて痛感した。オリジナル・アルバムとしては2007年の『ルーツ&エコーズ』以来となる、彼らの新作『バタフライ・ハウス』には、誰もが一聴して耳(と心)をうばわれてしまうような、彼らのそんな魅力が最大限に発揮されている。とても風通しのいい形で。問答無用の気持ちよさではないか。

エコー&ザ・バニーメンやティアドロップ・エクスプローズ、アイシクル・ワークスから、ザ・ラーズをへて今に至るマージーサイド・ミュージックの豊穣さを、00年代から現在にかけて、誰よりも鮮やかに提示してきたのが彼らなのだ。一瞬の輝きを放って「伝説」になるバンドもいる。しかし彼らは、そういった者たちに勝るとも劣らないインパクトを各アルバムで残しながら、一歩ずつ着実に成長してきた。この『バタフライ・ハウス』は、そのあまりにも見事な証左となっている。中心人物ジェームス・スケリーに聞いた。

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2010年8月15日

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coral.jpg お!? 何だか耳障りがいいぞ? というのが本作を聴いての第一印象。2007年リリースの前作『Roots & Echoes』がかなり骨太でブルージーなフォーク・ロック・サウンドに傾いていたこともあるのかもしれないが、アクが抜け、時に爽快感さえ感じさせるカラフルでサイケデリックなサウンドは「何だか渋い」ザ・コーラルというバンドのイメージを覆すのには十分なのでは。彼らの熱心なファンからすると物足りなさを感じるようなコメントも出てきているようだが、個人的には本作の路線を断然支持したい。

 それぞれの楽曲についても、マイナー・コードが基調となったコーラル節は健在だが、これまで以上によく練られており、完成度の高い3分間のポップ・ソングに仕上がっている。1曲目「More Than Lover」のヴァース→サビ→盛り上がりが最高潮に達するブリッジに至る流れだけでノック・アウト。各楽曲の並びも緩急がしっかりついており、アルバムトータルとしてのまとまりも良い。この辺りはプロデュースを担当したジョン・レッキーの手腕だろうか。アレンジャーとして彼らの初期の作品のプロデュースを担当していたイアン・ブロウディやちょっと意外なショーン・オヘイガンの名前も。

 前作リリース後にギタリストのビル・ライダー・ジョーンズが脱退、そしてシングル集の発売を経てバンドとしての活動に一つの区切りをつけた感のある彼らの新たな出発となる作品、なんていうとかなり陳腐に聞こえるが、本作はそんな謳い文句がピッタリなくらい、彼らの前向きでポジティヴなエネルギーで溢れている。ファーストの頃のインパクトには欠けるかもしれないが、バンドとして成熟したその姿は実に頼もしい。

(川名大介)

*日本盤は8月25日リリース予定です。【編集部追記】

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buffalo_daughter.jpg やめときなよ、それに手を出しちゃいけないよ、というものが、バッファロー・ドーターにはない。ヒップホップをやろうがマスロック的なアプローチを見せようが、それらの音楽性を取り込み、まさにこれだよと言わされてしまう説得力が宿った楽曲に、やっぱこれだよねと言うしかないのだった。とにもかくにも、93年に結成したシュガー吉永、大野由美子、山本ムーグの3人から成るバッファロー・ドーターの、ドラムにザゼン・ボーイズの松下敦、6曲目のヴォーカルに羽鳥美保を迎えた4年ぶり、通算6枚目の本作『The Weapons Of Math Destruction』も、ニュー・ウェイヴへの愛情たっぷりに、そして愛情を、壁をぶちやぶる力に変換して突き進む姿勢を貫く。
 
 いやむしろバッファロー・ドーターそのものが、音楽という漠然とした観念としての壁への解答であり否定であったのかもしれない。ポリシックス、あるいはコーネリアスよろしく、メロディ、リズム、音の質感、音の配置、その全てを依存の音楽プロットに当てはめず、定型化させることなく新鮮性に溢れたサウンドを常に表現してきた。そんなバッファロー・ドーターの『The Weapons Of Math Destruction』、タイトルは数学破壊兵器の意。そして物理がテーマ。物理とはありとあらゆる現象にひとつの集約点を設けることでもあるのだが、同時にどうすることもできない現象に伸るか反るか、という判断を行なうことでもある。バッファロー・ドーターは、のった。しかし反ってすらいる。
 
 前進していても力学はマイナスに働き、殻を破ろうにも痛みがともなう。つまりは過去を見つめなければならず、自分たちの過去の音楽を見つめながらも自らの音楽を破壊するかのように様々な要素を取り入れ、楽曲をばらばらに解体させた上で自分たちの解釈で音楽を創作し成り立たせる。その音楽はあまりにも素晴らしく、いわば、ばらばらに砕かれた音というものを強い重力によって一体化させているような印象すら受け、その様にカッコいいじゃないかとシャウトのひとつもしたくなるのだ。要は、否応なしに興奮が腹の底から湧きあがりガツンとくるのだ。
 
 そうして次々と踊り出てくるオルタナティヴな音の数々が野生的に飛び跳ね、一体となったときの重量感に溢れた圧迫の迫力に打ちのめされる。メロディを聴くというよりは音そのものが吐き出す声を聴く作品だと思えるが、歌が入った楽曲のメロディは抑制の美を静かに聴き手に与え、トリップ寸前の昏睡の色が濃くもある。いや、それは全曲に言えることだ。抑制された美的サウンドを解放すれば、音は力みなぎり、エコーを聴かせた音も、コーラスも、エレクトロニック・サウンドも生楽器も、水を得た魚というやつくらいに活き活きと音響空間を泳ぎ回る。すなわち公式からの解放。アルバム・タイトルにあるように数学破壊的。それらを生意気なほどチャーミングに、しなやかにやってしまう。
 
 破壊、構築、解放によって成り立つ本作は、それまで漠然と信じていた音楽というものが通用せず、そしてバッファロー・ドーターにとって本作は、この音楽性には強く、この音楽性には弱く、あるものに対してどれだけの耐久性があり、ある方向へどれだけ傾くかというような、種々の細かい特質が明らかになったのではないだろうか。ギャング・オブ・フォーを思わせるギター・サウンドに関しては絶対的な強度を持ち、ヒップホップに関してはアメリカ黒人的でなくとも、バッファロー・ドーターなりの尺度のものが構築できるのだと。そしてそれは、新たなオルタナティヴの方向へ傾くのだと。そうして分かるのは、もう決してこのバンドはどんな空虚にも安息にも耐えられないということだ。もう後戻りはできない。そもそもメンバーは後戻りする気などないのかもしれない。空虚に浸ることのナルシシズムなんてものも、さらさら興味がないかもしれない。それは過去の作品を聴けば明らかなのだ。
 
 オルタナティヴであることとは、本来の正当な秩序から外れ、別の方向の高みへ昇ることなのではないかと、本作を聴いていると思えてくる。いや、もはや「本来の正当な秩序」というものがなくなった今、逆説的にバッファロー・ドーターがオルタナティヴのレファンスに成りうる傑作が本作なのではないか。そう思えるほどに最高なのだ。さりげなく、しかし激しく胸に火をつける。ほんとうに、素晴らしい。ただ聴いているだけじゃ物足りない。もっと音が欲しくなる。ライヴを観なきゃと思う。観なきゃいけないんだと思わされる。チケットを買いに自転車のペダルを深く踏んだ。

(田中喬史)

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philip_selway.jpg 「であること」と、「すること」は丸山眞男の「日本の思想」という本に詳しいが、「である」ことに充足していると、本質が流動的に変質しているケースがある。例えば、家族「である」ことというのは「前提条件」ではなく、「十分条件」であり、更に言うならば、父親「である」ことというのは、人類の発明の一つと言えるからだ。霊長類でも、父親が育児に参加するのはタマリンやマーモセットだけであり、更にもっと突き詰めると、「自分が父親であること」という認証は究極的にどうなされるのか、DNAを鑑定しても、よく分からないのかもしれない。意識の面で父親を「する」というのは、不確定なものであり、とても抽象的になる反面、母親という存在は具体的に「子供を産む」という形を取り、輪郭付けられ易くなる。つまり、父親を「する」という事には、幾つもの障壁が待備させられている。

 今回、レディオヘッドのドラマーであるフィリップ・セルウェイが初のソロ・アルバムを作り上げたが、タイトルからして『Familial』であり、「母親の死」に向き合うことから始めた部分も含め、家族を巡っての、また既に3児の父親である彼のセルフ・アイデンティティを巡っての昇華作業の中で生まれた作品と訝るのは容易いだろう。また、内容も父親「である」ことを再確認しながら、母親の子を「する」という行為性を見つめ直している点からも、自己浄化の空気感がある。

 寡黙な彼のソロと言ったら意外に思えるかもしれない。ただ、伏線はあった。振り返ってみるに、01年4月、クラウデッド・ハウスのニール・フィンが中心となったジョニー・マーやエディー・ヴェダーらがニュージーランドのオークランドで5夜に渡り、ライヴを行なった際、その中に彼の名前を見受けることが出来た。その後、この模様は『7 Worlds Collide』としてライヴ盤として纏められたのは周知だろう。更に、このプロジェクトが再集結して、09年末にはウィルコのメンバーが加わるなどしてリリースされた、2枚組のスタジオ・アルバム『The Sun Came Out』では初めてその繊細な「歌声」も披露していたのは記憶に新しいと察する。その声はとても素朴で、決して巧いと言えないが、僕はアーサー・リーやエリオット・スミスのような柔らかい翳りを感じた。

 結果的に、『Familial』は、その声に最低限の楽器が加えられたシンプルでフォーキーな質感を残すアルバムになった。基本は爪弾かれるアコースティック・ギターが全面に押し出され、時折、レディオヘッドを思わせる奥行きのある音響空間も浮かび、フォークトロニカのような曲もある。一曲目の「By Some Miracle」のカウントを数える所から、一気に彼の世界観が広がる。「家族への想い」、「母親の死への悼み」まで人柄が伺える優しい視点が通底しており、よくあるシンガーソングライターの作品のような痛々しさはなく、どちらかというとウォームな雰囲気があるのも彼らしい。派手さは無いが、ロン・セクスミスの諸作やマグネット、ホセ・ゴンザレス辺りの音や紡ぎだす世界観が好きならば、必ず琴線に引っ掛かるものがあると思う。

 「レディオヘッドのドラマーのソロ・アルバム」といった余計な冠詞は全く必要が無い、フラットな繊細さに満ちたアルバムであり、この作品を通す事によって、彼はレディオヘッドのメンバー「である」ことの桎梏を相対化して、一つの家族を持つ人間であり、父親を「する」ことの儀式を経ようとしたのかもしれない。基本、彼が自分自身に向き合ったアルバムなのだが、外部者としてウィルコのグレン・コッチェとパット・サンソン、元ソウル・コフィングのベーシストのセバスチャン・スタインバーグ、リサ・ゲルマーノなどの参加もささやかに色味を加えていることで、立体感が増しているのも良い。

(松浦達)

*日本盤は8月25日リリース予定です。【編集部追記】

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ghost_society.jpg 今、全てのシューゲイザー・ファンと北欧ファンに捧げたいのがこれだ。ゴースト・ソサエティ。デンマークのブルー・ファウンデーションのメンバーによるバンドだ。彼らはゲスト・ヴォーカルに同じくデンマーク出身で友達のミューのヨーナスを迎え、実にクリエイション的でマイブラとニュー・オーダーを足して割ったようなアルバムを作り上げた。ヨーナスは言う。「ゴースト・ソサエティは薄汚れた地上で私的なノイズ、美しさ、耽美な曲、愛と希望に覆われた圧倒的な存在。あなたはこの素晴らしい音楽を手にとるべきだ」と。この女性ヴォーカルと男性ヴォーカルによるアンニューイな雰囲気は、聴く者すべてを幻想の世界へと導いてくれる。

 ただ筆者が思うに、ヨーナスの歌う「トゥイステッド・マインド」はいわゆる普通の音程である。つまり、ヨーナスは友達とはいえデンマークのベスト・シンガー・オブ・ジ・イヤーに表彰された人物で、音の低音と高音の差に最大の魅力がある。正直、彼を起用する意味はあったのだろうかと疑問に思えてならない。だがアルバムの真ん中に位置されたことでアルバムそのものに変化を与えてはいるのでその点では評価したい。とにかくデンマークというお国柄をよく反映させているアルバムだ。シューゲイザーの宝庫であるデンマークならではが生み出した名作。もちろんミューの『フレンジャーズ』とそれ以前の作品にも通じるところがあり、彼らのファンにも聴いてもらいたい。

(吉川裕里子)

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ishino_takkyu.jpg 僕は、スーパーマリオブラザーズというゲームが好きなんだけど、どこが好きって、プレイしている人だけではなく、そのプレイの様子を見ている周りの人まで楽しくなるところ。赤い帽子に、特徴的なヒゲ。ファミコンでの荒いドットでも、何故か一度見ただけで覚えてしまうマリオというおっさん。Bダッシュで走る姿、ブロックを叩いてコインが出る音、キノコを食べて大きくなるときの音。全てがいちいちツボに入って、自然と笑顔になる。

 石野卓球の音は、変わらない。変わらないというのは、音そのものではなく、その音に込められてる「何か」。僕は、その「何か」というのは、「想像の快楽」だと思う。石野卓球のファーストシンセは、ローランドのSH-2。ツマミをいじっているときの悪戯心や、悦に入っている様子。そんな石野少年の姿が『CRUISE』には窺える。もちろん、現在の石野卓球は40代に入ったおっさんで、少しばかりお腹が目立ってきてはいる。しかし、そのメタボなお腹には、今も変わらない夢や想像、悪戯心。そして、それらの裏に隠された努力家な一面や、汗と涙がたくさん詰まっている。

 『CRUISE』が今までの石野卓球のソロ作品と違うところは、大人の色気、エロスと言っていいのかも知れないけど、そういった、大人の男の余裕が感じられる。すごくあっけらかんとしていて、素っ裸な音。そんな素っ裸な音が、すごく気持ちいい。そして、その気持ち良さしか『CRUISE』にはない。純度100%の気持ち良さ。しかし、それで十分なのだ。明るいキック、パキッとしたハイハット、心地良いベース、キラキラとした浄化的なシンセ。それらが交わるとき、アシッディでふわふわとした世界へと導いてくれる。その世界とは、静岡にある石野少年の部屋である。

 マリオは、ファミコンからスーパーファミコン、ニンテンドー64にゲームキューブ、そしてWiiと、ハードの進化と共に、姿は洗練され、動きも豊かになっていく。しかし、それでもプレイする者を惹きつける根本的な気持ち良さ、プレイする者だけではなく、見ているだけの者すら惹きつける気持ち良さは、変わらない。そして僕は、そんなマリオと石野卓球が重なって見える。石野卓球が生み出す音も、石野卓球を愛する者だけではなく、石野卓球を知らない者まで惹きつける魔法がある。その魔法というのは、言葉では説明できない、すごく感覚的なもので、理屈では説明できないもの。そんなことを言ってしまったら、レビューを書くものとしては、失格だろうか? しかし、これが、僕が石野卓球の音を聴いて思うことだ。

 石野卓球も、メリー・ノイズ、人生、電気グルーヴ。音を生み出す場所も、自分の部屋から、スタジオに移った。要は、「想像力と創造力」なのである。カール・クレイグは、ドラムマシンを所有していなかったときも名曲を生み出した。オービタルは、4トラックのカセット・レコーダーから文字通り「Chime」を鳴らした。季節が流れて、世界が変わろうとも、表現すべきものは変わらない。石野卓球とは、そういう人なのだ。石野卓球は、自分の「想像」しか「創造」しない。その想像に、多くの人が惹きつけられ、惹きつけられた者は「夢」を見る。その「夢」が、今度は「それぞれの可能性」に化ける。もっと言うと、その可能性を肯定する七尾旅人という人も居る。ギンズバーグは、『ファン・ゴッホの耳に死を』という詩の中で、「デトロイトはゴムの樹と妄想から百万の自動車をつくった」と書いた。しかし僕は、「石野卓球は音と想像から百万の可能性をつくった」と思う。その可能性は今も作られ、求められている。これは奇跡だと僕は思う。七尾旅人の曲から引用すれば、「なんだかいい予感がするよ」。能天気だって? 笑いたい奴は笑えばいいさ。


(近藤真弥)

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pin_me_down.jpg このアルバム、踊れます。って、そりゃそうですよね。何と言っても、この英米混合2人ユニットのギターを担当しているのは、かのラッセル・リサックなんだから。「誰?」と言う方はクッキーシーンをお読み下さっている皆様方の中には少ないとは思いますが、もう一度おさらいをすると彼は、現在、活動休止中の英国発ニューウェーヴ・リヴァイヴァル・ムーヴメント(最早、この言葉自体が過去のものになってしまった感すらあるが)を先導したブロック・パーティにおいて、その特徴的なアシンメトリー・ヘアーを振り乱して一心不乱にテレキャスターをかき鳴らしていたギタリスト。そのラッセルが米国のミレーナ嬢と組んだのが、このPin Me Down。

 ブロック・パーティのフロントマンのケリーがソロ活動を活発化し、そのサウンドが肉体的でありながら彼のウィットさも随所に垣間見えるダンス・ミュージックに傾倒したものだったのに対し、彼らPin Me Downは同じくダンス・ミュージックでありながらも、打ち込みのリズムに、ニューウェーヴと言うよりもポスト・パンク色がきいたラッセルの鋭利なギター・サウンドで隙間無く埋められたソリッドなサウンド。その彼のギター・プレイの上にのるミレーナの歌声とのコンビネーションは相性バッチリで、その挑発的な歌詞も相まって、踊らずにはいられないだろう。ラッセルのギターは、ブロック・パーティと言う時代を代表する大きなプロジェクトからいったん離れる事で、久し振りに童心に戻った子供のように自由奔放に鳴らされているのも、微笑ましい。
 
 もう一つ、特筆すべき点は、彼らはかのフランス発のエレクトリック・ダンス・ミュージック専門レーベル、キツネ所属バンドである事だ。確かに、彼らのサウンドはどこか北アイルランドのツー・ドア・シネマ・クラブのような鋭角で突き刺さりながらも、どんどん高揚していくような手法の曲も多い。一曲目の「Cryptic」は過去のキツネのコンピレーションである『Kitsune Maison Compilation 5』に収録された経緯もある。

 とにかく踊れて、高揚できるサウンドの彼らだが、僕はもう少し、奥行きを感じたかったと言う感想を抱いたのも本音であることを蛇足ながら書いておこう。さすがに、ブロック・パーティのような世界を期待するのは野暮であろうが、踊れる、アガれる以上のビジョンも見せてほしかったと言う思いもある。ラッセルのギターは決して、ブロック・パーティでしか活きることない訳ではない。ところが、彼のそのクールながらエモーショナルなギター・スタイルは、ケリー・オケレケの隣でかき鳴らされている時が、やはり際立つのだとも思えてしまう。しかし、だからこそ彼ら、Pin Me Downがこれからどんなビジョンを僕たちに見せてくれるのかもゼヒ期待していきたいだろう。

(青野圭祐)

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smilelove.jpg 時々思い出す。夏の空気がぼんやりと横たわり始めたころ、コーカスのライヴを観るために缶ビールを片手に立っていた僕の前をするりと横切り、前座としてステージに立った4人組のことを。その4人組は何気なく歌い、何気なくドラムをベースを、そしてギターを奏でた。その笑顔のようなやさしさを持った演奏は苦労して考えて創出されたというより、どこからか自然に自由に湧き出てきたというおおらかな雰囲気があった。僕にはその演奏が、音楽性うんぬんではなく、何か、あるひとつの、重要なことを雄弁に語っているかのように思えた。
 
 スマイルラヴ(smilelove)のオフィシャル・サイトでフリー・ダウンロードできるその日のライヴ音源を聴くたびに、僕は再び思い出す。コーカスやルミナス・オレンジでも活動している川上宏子がリーダーを務めるスマイルラヴのライヴのことを。その人懐こさが窺える名前が付けられたバンドは、個性というものが何かをゆったりと、朗らかに、そして雄弁に語り出す。僕らの意識は常に感情の中にいる。それが人を動かせ、立ち止まらせる。その連続の中に住み、いままで生きてきた中で出会った人々、そして選んだ選択の総和が個性なのだと、音が、歌声が語っていると僕には思えた。時代は変わったと言われる。価値観も常に変わり続ける。だがどんな時代であっても、このバンドの個性というものだけは、まるで青春の空気を身にまとうように醸し出される。スマイルラヴはそれを知的な理解に訴えず、概念にたよらず、埃をはらうくらい簡単に音にしてしまう。その音楽は、口に含んだビールの苦みをやわらげた。辺りの無秩序な制約がほどけていく音楽。

 装飾を薄くした音楽性はペイヴメントを彷彿させる。複雑性の一切を排除し、シンプルなフレーズがループする。音楽を通して演奏者の感情の昂ぶりや哀愁が真っすぐ胸に程よく当たり、やがて染み込み、不思議なくらいあっさりと消えていく。感情の移り変わりが季節の移り変わりと同じくらい自然に表れ、気が付くとまた別の楽しみの心地として浮かび、消え、また浮かんでは消えていく。ある人はスマイルラヴの音楽とともに眠るであろう。聴きながら街を歩くであろう。空を眺めるであろう。この音楽は、聴き手が音を受け入れる準備を必要としないのだ。準備などしなくとも、そっと、静かに、そして明るく、音が聴き手を受け入れる。
 
 聴いていると、音楽とは、楽器や楽譜によって成り立っているわけではなく、アーティストが吸い込んできた空気や見てきた風景によって出来あがるのだと思えてくる。音楽は理屈じゃない、とまでは言わない。しかし時として、感動は理屈を超える。笑顔に理屈がいらないように。このバンドはそんな説得力を持っている。人間は不変ではないが、スマイルラヴの笑顔のやさしさを感じる音、それだけは変わらない。たぶん、ずっと変わらない。

(田中喬史)

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