チリー・ゴンザレス『アイヴォリー・タワー』(Gentle Threat / Beat)

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chilly_gonzales.jpg これはかなり面白い。洒落ているが気取っていない。ダンサブルだが、ただのダンス・ミュージックというわけでもない。彼の作品を聴くのが初めてだった僕でも興味深く聴けたし、本作で初めて彼の作品を聴く方も十分楽しめると思う。ボーイズ・ノイズをプロデューサーに迎えた本作『Ivory Tower』、それは単にひとつのジャンルとして片づけることの出来ないサウンドだとアルバムを通して聴くと分かる。

 カナダ出身、フランスはパリを拠点に活動しているゴンザレス。ビョークやダフトパンクからも絶賛されている彼はピアニストでもありラッパーでもあり、プロデューサーでもありと、多くの顔を持つ。ジェーン・バーキンやファイストをプロデュースし、ジェイミー・リデルの新作にゲスト参加した彼の、良い意味でわずかにねばり気のあるピアノは同じフレーズを繰り返すことが多い。しかし、瞬間的にさらっとした音色やフレーズを奏で、ベースやコーラス、電子音が曲の中で動いていようと何だろうと、ピアノが常に中核にある。歌があればラップもあり、歪んだ電子音も強調されているが、やはりというべきか、ピアノの音色が移り変わるごとに楽曲の雰囲気は瞬時に変わり、その瞬間は心拍数が上がるスリルに似たものがあって面白い。とはいえ見惚れてしまうような美しい「Final Fantasy」という曲もあるから良い。

 以前(今もあるのかもしれないが)、渋谷にはパラパラという動作を共有することで連帯感を高めるダンス・ミュージックがあった。そして、それに対するカタチでムーディーな、大人が楽しめるようなハウスがDJカワサキを筆頭に登場した。しかし本作『Ivory Tower』は、踊るためだけのものや大人っぽさといった、何かに特化した、あるいは何か別の音楽へのカウンター的な作品ではないと感じる。

 もし本作をダンス・ミュージックと位置付けるならば、かつて一部(あくまでも一部だが)のレイヴ・カルチャーがただ騒げればいい、といったものとして働いていた、それに対してのアンチである鑑賞を目的としたIDM。それらを内包しつつも、より実験性を高めた実験音楽的な側面を持つ大衆音楽としてリスナーの耳を楽しませるものとして息をしている。このアルバムの楽曲をライヴで披露するときは音源以上にダンス・ビートを強調するのだろうけど(ちなみに、9月にはピアニストとしての来日公演が決定している)、作品においては滑らかで聴きやすく、かつ、耳をそばだてれば興味深いサウンドに満ちている。

 しかし過剰に快楽を与えないところが面白い。快楽によって踊り、または真摯に音楽を聴く行為はある種の救いとして働くが、本作を聴く限り、リスナーを救おうという意志があまり見られない。「ただ楽しめばいいじゃないか!」という声が音楽から聞こえてこないのである。もしかしたら、楽しむこととは、「楽しもう!」と、あらかじめ意気込むものではなく、聴いている最中に、そして結果として、楽しみの心地とは湧いてくるのだということをゴンザレスは知っているのかもしれない。また、彼がダンス・ミュージックを行事的なパーティーで披露する姿が目に浮かばなくもある。爆発的な快楽を与えず、いつ、どこで聴いても興味深く感じられる本作は、計算的化された、とでもいうべきか、パーティーの行事性へのアンチとなりうる音楽なのではないか。そうだとすれば、本作は音楽そのものが持つ、どのような場面でも耳を楽しませてくれるという現在の聴衆の聴取欲求を肯定する。そんな快作でありパーティー的快楽への焦点をずらした異色作でもあると思う。本作は感情の発露のみではなく、ポジティヴな感情の発生として働く。 

(田中喬史)

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