石野卓球「CRUISE」EP(Ki/oon)

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ishino_takkyu.jpg 僕は、スーパーマリオブラザーズというゲームが好きなんだけど、どこが好きって、プレイしている人だけではなく、そのプレイの様子を見ている周りの人まで楽しくなるところ。赤い帽子に、特徴的なヒゲ。ファミコンでの荒いドットでも、何故か一度見ただけで覚えてしまうマリオというおっさん。Bダッシュで走る姿、ブロックを叩いてコインが出る音、キノコを食べて大きくなるときの音。全てがいちいちツボに入って、自然と笑顔になる。

 石野卓球の音は、変わらない。変わらないというのは、音そのものではなく、その音に込められてる「何か」。僕は、その「何か」というのは、「想像の快楽」だと思う。石野卓球のファーストシンセは、ローランドのSH-2。ツマミをいじっているときの悪戯心や、悦に入っている様子。そんな石野少年の姿が『CRUISE』には窺える。もちろん、現在の石野卓球は40代に入ったおっさんで、少しばかりお腹が目立ってきてはいる。しかし、そのメタボなお腹には、今も変わらない夢や想像、悪戯心。そして、それらの裏に隠された努力家な一面や、汗と涙がたくさん詰まっている。

 『CRUISE』が今までの石野卓球のソロ作品と違うところは、大人の色気、エロスと言っていいのかも知れないけど、そういった、大人の男の余裕が感じられる。すごくあっけらかんとしていて、素っ裸な音。そんな素っ裸な音が、すごく気持ちいい。そして、その気持ち良さしか『CRUISE』にはない。純度100%の気持ち良さ。しかし、それで十分なのだ。明るいキック、パキッとしたハイハット、心地良いベース、キラキラとした浄化的なシンセ。それらが交わるとき、アシッディでふわふわとした世界へと導いてくれる。その世界とは、静岡にある石野少年の部屋である。

 マリオは、ファミコンからスーパーファミコン、ニンテンドー64にゲームキューブ、そしてWiiと、ハードの進化と共に、姿は洗練され、動きも豊かになっていく。しかし、それでもプレイする者を惹きつける根本的な気持ち良さ、プレイする者だけではなく、見ているだけの者すら惹きつける気持ち良さは、変わらない。そして僕は、そんなマリオと石野卓球が重なって見える。石野卓球が生み出す音も、石野卓球を愛する者だけではなく、石野卓球を知らない者まで惹きつける魔法がある。その魔法というのは、言葉では説明できない、すごく感覚的なもので、理屈では説明できないもの。そんなことを言ってしまったら、レビューを書くものとしては、失格だろうか? しかし、これが、僕が石野卓球の音を聴いて思うことだ。

 石野卓球も、メリー・ノイズ、人生、電気グルーヴ。音を生み出す場所も、自分の部屋から、スタジオに移った。要は、「想像力と創造力」なのである。カール・クレイグは、ドラムマシンを所有していなかったときも名曲を生み出した。オービタルは、4トラックのカセット・レコーダーから文字通り「Chime」を鳴らした。季節が流れて、世界が変わろうとも、表現すべきものは変わらない。石野卓球とは、そういう人なのだ。石野卓球は、自分の「想像」しか「創造」しない。その想像に、多くの人が惹きつけられ、惹きつけられた者は「夢」を見る。その「夢」が、今度は「それぞれの可能性」に化ける。もっと言うと、その可能性を肯定する七尾旅人という人も居る。ギンズバーグは、『ファン・ゴッホの耳に死を』という詩の中で、「デトロイトはゴムの樹と妄想から百万の自動車をつくった」と書いた。しかし僕は、「石野卓球は音と想像から百万の可能性をつくった」と思う。その可能性は今も作られ、求められている。これは奇跡だと僕は思う。七尾旅人の曲から引用すれば、「なんだかいい予感がするよ」。能天気だって? 笑いたい奴は笑えばいいさ。


(近藤真弥)

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