フィリップ・セルウェイ『ファミリアル』(Bella Union / Nonesuch / Hostess)

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philip_selway.jpg 「であること」と、「すること」は丸山眞男の「日本の思想」という本に詳しいが、「である」ことに充足していると、本質が流動的に変質しているケースがある。例えば、家族「である」ことというのは「前提条件」ではなく、「十分条件」であり、更に言うならば、父親「である」ことというのは、人類の発明の一つと言えるからだ。霊長類でも、父親が育児に参加するのはタマリンやマーモセットだけであり、更にもっと突き詰めると、「自分が父親であること」という認証は究極的にどうなされるのか、DNAを鑑定しても、よく分からないのかもしれない。意識の面で父親を「する」というのは、不確定なものであり、とても抽象的になる反面、母親という存在は具体的に「子供を産む」という形を取り、輪郭付けられ易くなる。つまり、父親を「する」という事には、幾つもの障壁が待備させられている。

 今回、レディオヘッドのドラマーであるフィリップ・セルウェイが初のソロ・アルバムを作り上げたが、タイトルからして『Familial』であり、「母親の死」に向き合うことから始めた部分も含め、家族を巡っての、また既に3児の父親である彼のセルフ・アイデンティティを巡っての昇華作業の中で生まれた作品と訝るのは容易いだろう。また、内容も父親「である」ことを再確認しながら、母親の子を「する」という行為性を見つめ直している点からも、自己浄化の空気感がある。

 寡黙な彼のソロと言ったら意外に思えるかもしれない。ただ、伏線はあった。振り返ってみるに、01年4月、クラウデッド・ハウスのニール・フィンが中心となったジョニー・マーやエディー・ヴェダーらがニュージーランドのオークランドで5夜に渡り、ライヴを行なった際、その中に彼の名前を見受けることが出来た。その後、この模様は『7 Worlds Collide』としてライヴ盤として纏められたのは周知だろう。更に、このプロジェクトが再集結して、09年末にはウィルコのメンバーが加わるなどしてリリースされた、2枚組のスタジオ・アルバム『The Sun Came Out』では初めてその繊細な「歌声」も披露していたのは記憶に新しいと察する。その声はとても素朴で、決して巧いと言えないが、僕はアーサー・リーやエリオット・スミスのような柔らかい翳りを感じた。

 結果的に、『Familial』は、その声に最低限の楽器が加えられたシンプルでフォーキーな質感を残すアルバムになった。基本は爪弾かれるアコースティック・ギターが全面に押し出され、時折、レディオヘッドを思わせる奥行きのある音響空間も浮かび、フォークトロニカのような曲もある。一曲目の「By Some Miracle」のカウントを数える所から、一気に彼の世界観が広がる。「家族への想い」、「母親の死への悼み」まで人柄が伺える優しい視点が通底しており、よくあるシンガーソングライターの作品のような痛々しさはなく、どちらかというとウォームな雰囲気があるのも彼らしい。派手さは無いが、ロン・セクスミスの諸作やマグネット、ホセ・ゴンザレス辺りの音や紡ぎだす世界観が好きならば、必ず琴線に引っ掛かるものがあると思う。

 「レディオヘッドのドラマーのソロ・アルバム」といった余計な冠詞は全く必要が無い、フラットな繊細さに満ちたアルバムであり、この作品を通す事によって、彼はレディオヘッドのメンバー「である」ことの桎梏を相対化して、一つの家族を持つ人間であり、父親を「する」ことの儀式を経ようとしたのかもしれない。基本、彼が自分自身に向き合ったアルバムなのだが、外部者としてウィルコのグレン・コッチェとパット・サンソン、元ソウル・コフィングのベーシストのセバスチャン・スタインバーグ、リサ・ゲルマーノなどの参加もささやかに色味を加えていることで、立体感が増しているのも良い。

(松浦達)

*日本盤は8月25日リリース予定です。【編集部追記】

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