アリエル・ピンクス・ハウンテッド・グラフィティ『ビフォア・トゥデイ』(4AD / Hostess)

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 本作は8トラックのホーム・レコーディング狂であり、宅録ロック界の才人/怪人としてかねてから一部で知られていた(アニマル・コレクティヴに才能を見出され、彼らが主宰するPaw Tracksからも過去作はリリースされていた)アリエル・ピンクが、暗黒耽美レーベルからストレンジでハイグレードなロック/ポップスの梁山泊へとレーベルの性質を変えつつある4ADに移籍し、自身初のスタジオ録音されたフルアルバムである。70年代のAORや80年代のエレポップの影響を感じさせる洗練されたコード・プログレッションと、スタジオ録音とは一聴信じがたいくぐもった酷い録音が特徴で、依怙地なまでにドラムの録音レベルは低い。ダサい青春映画のフレーバーもあるし、サイケもソウルもパンクもロカビリーも、イーグルスもカート・ベッチャーもここにはある。彼は(彼と同じように、山のように夢の島のように宅録音源をこさえまくった)R・スティーヴ・ムーアの熱烈な信望者であったが、単純なフォロワーとしての従来の彼の立ち位置から本作は完全に脱却させ、多くのリスナーにとっての購入指針となっているピッチフォークで9.0の高得点を叩き出し、アルバムリリースから日も経って既に日本でもその存在は周知となりつつある。ちなみに、ジャケットは少しダムドの『Machine Gun Etiquette』に似ている...のかな。

 それにしてもインターネットとは便利なもので、今回のアリエル・ピンクみたいに(若干のハイプも込みで)祭り上げられたアーティストのデータや感想なら特に山ほど転がっており、適当に検索をかけてうまいこと繋ぎ合わせれば上記のような情報をさも自分が初めて発見したように書くことができるし、感想だって後出しジャンケンでよければ目配せの利いためざとい内容をサラっと書くことができる。アーティスト/バンド(名)についての多少の知識と常識的な言語能力、ヒマを持て余すほどの時間、あとは辞書をひけばなんとなく理解できるていどの英語力とお人よしな性格があれば、今は誰でも音楽ライターになれるのかもしれない。

 実際、00年代に登場したビッグネームのなかには上記のような作業を音楽制作にそのまま転化させた"優等生"はたくさんいた。もっと規模の小さい動きでなら山ほどあった。無難なセンスで音楽を作り上げ、無難な誉め方をされ、良心の名のもとに作り手と聴き手の共謀関係が働き、共有言語を用いて生温かいコミュニケーションを楽しみ、内輪で視野の狭い審美眼を競いあうのが今も昔もインディーの世界の暗部であり、そのぬるま湯に心地よく浸ったことも、辟易させられ自己嫌悪に陥ったことも何度だってある。そして、このように告発することすら既に何万回何億回と繰り返されたことであり、≪視野の狭い審美眼を競いあう≫ことの対象となり...うーん、ややこしい。

 ムダに毒づいてしまったが、しかし、アリエル・ピンクの音楽は不思議とそういったものとは一線を画しているように僕には聴こえる。単に思い入れの違いでしょと言われればそれまでだが、この人も先述のような雑食性と膨大な音楽知識の再構築の仕方が器用といえば器用ではあるけども、その裏には小奇麗に飾ることとは真逆の執念めいたものが見え隠れする。あるていど音の整頓が施された本作においても、フリーク・アウトしまくった過去の宅録音源においても、理解しづらいとっつきづらさが聴きこむことで不思議と心地よい人懐っこさへと変わっていく。ファッションとして音楽を楽しむというか、流行の先端を追ったりニッチなCDをひっそり聴いたりしてニヤニヤ悦に浸ることよりは、もう少し有意義でふくよかで人間味のある快楽をもたらしてくれる。この人懐っこさはなんだろう。フライパンで焦がしたネズミの匂いと、冷蔵庫の隅に放置された腐ったバナナの甘みみたいなものが共存する彼の音楽のどこから人懐っこさが?

 彼が宅録人である前に一流のナード・ロッカーであるのは、趣味の悪い学園映画のワンシーンを切り取ったようなPVもある意味で鮮烈だった本作二曲目の「Bright Lit Blue Skies」からも伺うことができる。これはロッキン・ラムロッズ(Rockin' Ramrods)というボストンのガレージパンク・バンドの66年に発表された曲のカヴァー(ちなみに、ダムドも覆面バンド-ナード・ロッカーとしての所作であるところの-"Naz Nomad and the Nightmares"名義でこのバンドの「She Lied」という曲をカヴァーしている)。FACTマガジンで発表されている彼選曲によるMIXもそう。たとえば、一曲目のНИИ Косметики というバンドの「unknown」という曲。曲名どおりでバンド名も知らないし、そもそも読めない。以降に並ぶ名前もふつうのリスナーには聞き馴染みのないであろう名前がずらっと並んでいる。僕だってほとんどわからない(そして、このMIXは最低なことにほとんど終始グダグダで俯いたままてらいもなくキラキラしていて、今みたいな真夏に冷房のない部屋で聴いていたらそのまま溶けてしまいそうだ)。

 興味深いのはそんなリストにプリンスの名前が並んでいることだ。何年か前にアリエル・ピンクの過去のアルバムである『Scared Famous』をCD屋で視聴して陽気に狂ったイントロの10秒で購入を決め、ついでに冒頭曲の「Hardcore Pops Are Fun」というタイトルがカッコいいというだけの理由で『House Arrest』もいっしょに購入し、一週間か二週間、二枚のアルバムをひたすら交互に聴き返していたが、そのとき連想した名前がやはりプリンスだった。アルバムでいえば『Parade』や『Sign O the Times』。ミュージシャンシップや作曲の手腕は比べるまでもなくプリンスのほうが上だが、宅録でしかなしえないファンキーなドライブ感覚や、ときおり瞬間最高風速的に魅せる陽性なメロディの豊かさ、そしてドメスティックな閉塞感とそれに相反する風通しのよさには似通ったものをおぼえた。

 この時期のプリンスといえば、渋谷陽一氏の言説を僕は条件反射的に思い出してしまう。『Sign O the Times』が23年前にリリースされたときに封入された渋谷氏による解説にこんな記述がある(関係ないけど、この解説の冒頭で渋谷氏が「音楽評論家なんて職業は尊敬されることも少ないし、収入も少なく、どう考えても割のいいものではない」といったことを述べているのが、23年後の今となっては実に味わい深い)。

「プリンスを支えるラジカリズムは単純な前衛主義ではない。人より先に変わったことを演りたい、時代をリードしたいというエリート主義ではない。彼をラジカルな音に向かわせるのは彼のシンプルでストレートな、しかし限りなく激しいコミュニケーションの意志以外の何ものでもない」

 後追いの身としては、プリンスと彼のコミュニケーション渇望についての一連の議論はあわよくばギャグとも受け取ってしまいかねないくらいに青臭くベタな内容だとも思ったりした。十分売れてるしチヤホヤされてるじゃん、みたいな。しかし、この文章の主語をアリエル・ピンクに置き換えてみたら...。ピンとこないでもない。なるほど、彼がプリンスに憧れないはずがない気もしてくる。

 そして極めつけはアリエル・ピンクのこのインタヴューだ。

Q.Are you still aware of what people think of you? Do you still care?
A.I think I've got a very good read on my fanbase. I think I do enough research that I'm the expert on who listens to me.

 困った。彼みたいな音楽をやっている人間でも、別に仙人のような浮世離れした思考に陥るわけでもなく、それどころか、フツーの人と同様にウケを狙っているのだ。普通にモテたいだけなら、ルックス自体は整っているのだから、ヘンな音楽を作っているヒマがあればそのだらしなく伸びきった前髪を今すぐ切って、布袋寅泰といっしょにスーツを買いに行ったほうが間違いなく早い。05年の初来日時には便所に籠ってひたすら体に消臭スプレーをかけまくり、自分のバンドのメンバーに手洗いをきちんとしたほうがいいと陰口を叩かれる男が、まともなコミュニケーションに飢えているという事実。そして彼は、ステージではいっぱしのロックスターのように客席に我が身を投じるわけだ。なんだろう。涙が出そうになってくる。

 そんな不器用の結晶である彼のせめてもの成長の証となるのが本作である。既に誰かが何度も論じているように、宅録時代の音源と比較して恐ろしく聴きやすくなりながら、最低の腐臭と人見知りしまくってそうな(あるいは人を小馬鹿にしていそうな)ハニカミ笑いは健在のまま。以前より楽曲にあるていどの尺をもたせたことでキャッチーさと物語性も有することになるが、どの物語も下劣なホラー趣味や常人には理解しがたい愛情表現について歌っているものばかりで、プレス・リリースに書かれた"最高級のイタリア産大理石に吐き散らされたゲロ"という表現がまったくもってお似合いだ。

 特に3曲目以降は彼の独壇場で、不穏でけばけばしく猛烈なテンションによる演奏(曲終盤の展開の目まぐるしさがすばらしい)とともに、御屋敷のマダムや彼女に仕えるメイドへのよくわからない愛情を歌った(素っ頓狂に裏返る声や、"チアーアップ! ポン!" の口角泡が最高に人をくった)「L'estat」や、キーボードの旋律/浮遊感は極上なのに歌詞のほうは"僕は黒魔術師 みんなの血も吸っちゃうよー"で、だからなんだよと首を絞めたくなる「Fright Night」、はみ出し者のホームレスやゴシップへの賛歌や恨み節ともいえる「Beverly Kills」(この曲なんてうねまくるベースも最高だし、まともな人間が演奏したらスティーリー・ダンみたいになりそうなのに、残念ながら恐ろしくグチャグチャだ...)、70年代の黒魔術系ハード・ロックへのリスペクトを思わせる、5分間に渡る激しいリフの反復とうめき声のようなサビのフレーズがインパクト大な「Little Wig」、先行リリースされた際には「お前がまともな曲を作るんか!?」と多くのファンの度肝をぬいたソウルフルな「Can't Hear My Eyes」...と続き、最後は"革命なんて嘘さ"と嘯く、B級ガレージ・サイケ調の「Revolution's A Lie」で緩めのジャム演奏が気だるく続いてアルバムは終わる。

 珠玉は先にシングルカットもされた5曲目の「Round and Round」で、曲名どおりにあらゆる≪既に何万回何億回と繰り返された≫思考や妄想の袋小路に陥ることへの諦念が滲み出ている。呻いている様、救済を求める様、自らを責める様...。イントロのコーラスからブツブツつぶやく惨めさを挟んでサビの神々しさに至るまでの何もかもが美しい。世界の暗部をニヒルに曝け出すことで、膝小僧をかかえたくなる孤独にそっと肩をたたくようなやさしさを、AORとソフトロックのいびつすぎる奇形児といえるこの楽曲はもっている。

 さまざまな音楽的要素を消化吸収し、演奏の達者なバンドを従えながら、どれもこれも一番イヤな方向に機能するよう仕向けられ...。そんな作品がなぜか求心力を生み、結果として彼は彼の望んだとおりにヒップ・スターとなった。僕にとって本作は先述のダムドの覆面バンドや後期ユートピア、ラトルズ、XTCのデュークス・オブ・ストラトスフィアから80年代~現代までのカレッジ・ロック、近年のマックス・ツンドラ...挙げればキリがないが、そういったナード・ロックの系譜に記すべきひとつの到達点である。そのボンクラでナーディな資質と音の鳴りをもって新進の若い世代が彼を「Father Of Chillwave」と評価するのも必然で、その音楽の汚らしさも愛らしさも不器用さも何もかも突き抜けすぎていて共感せざるをえなくて、だからもう...。最後は検索するまでもなく使い古された言葉で締めるしかなく、恥ずかしくて仕方がないのだが、この音楽を愛しているとしか...。そうとしか言えない。

(小熊俊哉)

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