タモリという「存在」Vol.2

| | トラックバック(0)
さてさて、フジロック前のドタバタのなかアップしたタモリに関する松浦達氏の原稿に対するレスポンスを、財津奈保子さんよりいただきました! ありがとうございます! 早速アップさせていただきます!

          *          *          * 

 松浦さんの記事を読んで、私も形に残そうと慣れないパソコンと格闘しながら記しています。

 でも、そもそも私って記すほどタモリ目茶苦茶好きだっけ? そして、タモリが好きだ! って熱狂的に言う人にも会った事が無い。だけど、タモリを知らない日本人にも会った事が無い。その一番の理由はギネスに記録されるお昼の長寿番組『笑っていいとも!』でしょう。個人的には別に特別面白いとも思わない。旬の人がレギュラーになって、その後テレビで見かけなくなる事があるのもなんとも物悲しくも思う。タモリなら『タモリ倶楽部』でしょう! と、思う人のが多いかもしれない。私個人もそう思う。ただ、この「気にも留めない」という存在感、私もこれはタモリが意図している。と思う。長い物には巻かれる、お笑い芸人ともはっきり思えないスタンス、挙句に粘っこい奇声(正しくは動物の鳴き真似)。少女時代の私は嫌悪していました。タモリの時折入るブラックな笑いが理解できない上に、生れも育ちも大阪の私は当たり前の様に『よしもと新喜劇』を見ていて、笑いとはオチがあるもの、タモリの笑いは意味不明、自分だけ笑っている。といった印象でした。

 その印象が変わったのは『タモリの音楽は世界だ!』という番組でした。私はお笑いより、音楽に没頭していた子供だったので、土曜夜10時と子供にはいささか眠たい時間でしたが初回放送から楽しみにしていたので眠いながらも見ました。記念すべき第1回目のゲストは電気グループだったと思います。そこでのタモリは『いいとも!』の片鱗も無い位、真剣な顔つきでした。にやけた薄笑いもなく、ジョークも言わない。まるで「音楽に笑いも言葉も必要ない。」と言っているようだと、当時の私は思いました。タモリが早稲田のジャズ研出身で、そこからの流れで芸能界に漂流してきたのは有名だと思いますが、私は知らなかったのでタモリの、音楽に対する真摯な姿勢、『いいとも!』とのギャップに大変驚きました。この番組はわりかしすぐ終わってしまい残念に思いましたが、私はタモリが嫌いでは無くなりました。

 それからタモリは、私に色んな物を橋渡ししてくれたと思います。いとうせいこうやみうらじゅんは『タモリ倶楽部』で知りましたし、笑いには色んなふり幅がある事も教えてもらったと思う。その笑いがツボに入ると分かりやすいオチのある笑いよりも笑ってしまう事。原田芳雄が少年の様な顔で興奮しながら電車の試運転をする事も知った。そして人間には色々な顔がある事も。タモリは、飄々とした佇まいだが、本当は義理堅い人間だと思う。お世話になった番組制作者、赤塚不二夫などへの恩返しのつもりで芸能界に漂流中なのでは?と思う。"浮上"ではなく"漂流"と記すにはそちらの言葉の方が私の中でしっくりきたからです。タモリの仕事は、刹那的だし自虐的だと思う、くだらない事をしながらも悲しさが付き纏う、自分の意思があまり窺えない気がするからである。タモリの笑いが真に発揮されるのはおそらく飲み屋でだろう、芸能人としての自分に興味は無く、音楽や酒や船のがよっぽど好きそうで、それらを語る時のがよっぽどウキウキしている。それでも日本の昼の"象徴"として毎日TVに出るし、これからも"象徴"でいるんだろう。私は『笑っていいとも!』はこれからも、特別好きな番組にはならないだろうなぁ、と思いつつ家にいれば何気に見てしまう。そしてタモリが時折見せるアングラな瞬間だけを楽しみにしている。

 私はタモリに直接は影響を受けていないが、間接的には影響を受けている。タモリが好き嫌いは別に、結構そういう人は少なくないだろう。と思う。『ミュージック・ステーション』で、普段の平坦な顔と裏腹に若干興奮気味に「coccoは本当に歌が上手い。」と言ったセンスは信頼するが、片岡鶴太郎に絵を描く事を勧めたセンスは私は信用できない。
(財津奈保子)

retweet

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: タモリという「存在」Vol.2

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://cookiescene.jp/mt/mt-tb.cgi/2246