スリーピー(SLEEPY.AB)「君と背景」CDS(Pony Canyon) [reviews]

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 ドゥルーズ=ガタリはリゾームという概念によって体系的な形態から外れたものであってもそれは混沌ではなく多様体という別の秩序によって成立していることを示した。要は、伝統的な知や組織体の態は、ツリー式とみることができ、それは、物事を幹、枝、さらに小さい枝へというように、そして、また、このツリーから外れた知は混沌としたものとして扱ってきた。

 しかし、これに対し「リゾーム(地下茎)」とは幹や枝といったものはなく、これは、中心を持たず多様な流れが縦横無尽に横断し交差し連結しているからして、このリゾーム的な形態は決して混沌ではなく、言語もリゾームであると言えることになる。つまり、リゾームは、ツリー型の反対に位置する多様体というもう一つの秩序だった組織や知のあり方であるとしてリゾーム的なあり方を復権させようとせしめる。

 リゾーム/ツリーの二項対立は、スキゾ/パラノ、脱コード化/再コード化、分子的状態/モル的集合、遊牧性/定住性、平滑空間/条里空間といった様な二項対立の図式として表れてくる訳だが、この対概念は仕切りではっきりとした区切り(横断線や逃走線)がある訳ではなく、グラデーションのように互いに浸透し合っている。

 このような秩序を持ちつつ、「他と連結してゆくリゾーム」をベイトソンの用語を用いて「プラトー」と呼ぶが、プラトー的な佇まいを常に保持してマイペースに遊牧する日本のバンドにsleepy.abがいる。

 北海道、札幌在住のスタンスを崩さずに、全国のフェスにイベントに積極的に参加しては、その一瞬で空気を下げるような、凍度と優しさを持ったサウンドで着実にリスナーを確保していた彼等の、オリジナルとしては、本当に満を持しての2年8ヶ月振りのアルバム、にしてメジャーへの移籍での昨年の『Paratroop』が想ったより巷間に影響を与えることが出来なかったのは、セッション的で攻撃的な部分を押し出しすぎたあまり、彼等特有の浮遊感や寂寥やリリシズム、センチメントが霞んでしまい、キャッチーな「メロウ」などはパワープレイされたものの、どうにも過渡期的な作品だったからかもしれない。

 そもそも、今、sleepy. abは歴史が長いバンドで前身バンドの形式を含めれば、10年を越えている。シューゲイジングさえ出来ずに、自分の不眠症を治す為に自分で音楽を紡ぎ始めたボーカルの成山氏のぶれなさはそのままに、今は「黙示録」的な大文字の世界観はグッと減り、抽象的ながら、深みのある言葉が増えていった。とはいえ、相変わらず、水槽の中の揺蕩う、光のようなサウンド・テクスチャーが展開されつつも、これまでに無いラウドな様相も閉じ込めて、更に、独自の彼等の持つ物悲しいトリッピーな浮遊感も充溢しているような展開になってきた中、今回の彼等初となるシングル「君と背景」はこれまでにない「拓け方」と「光」が溢れている。それでいて、SIGUR ROS、KYTE辺りの浮遊感、初期のCOLDPLAYのような透明感、また、柔らかく組まれたサウンドスケイプはまるで『空中キャンプ』以降のフィッシュマンズのような、メロディーの繊細さはスピッツ的というと、過大評価が過ぎるだろうか。ただ、ここには昨今の所謂、「J-」ものが持つ過剰な郵便性や過度な振り切りがなく、あくまで「宙空を揺らせるだけのサウンド」が鳴っている。

 想えば、セカンドの頃の「メロディ」が彼等の中でも分岐点になった曲で、それによって大きく彼等の存在性は注目されるようになったが、あれは要はRADIOHEADの「High And Dry」のようなもので、抒情的なギターロックを繊細に奏でようとするとき、それまで「自己内」で完結していたものが、ふと他者性を見つけてしまった、そんな類いの曲であった。でも、RADIOHEADは今や、その曲を殆どライヴではしないが、彼等は必ず「メロディ」は演奏する。それは、sleepy. abという主体が多分、(Something Like A) sleepy. abを客体化出来ていない証左だったのかもしれないが、確かめるように、「メロディ」を演奏する時、確実にその場が皆にシェアされているようなアトモスフィアが発現した。反射鏡のように帰ってくる光を自分が受け止めるように。しかし、今回で言えば、「メロディ」的なものを越えようとした「メロウ」を更に新しい形で改変して、今回の「君と背景」は確実に彼等の名刺的なアンセムに交代するかもしれない。「メロウ」は自覚的に「緩やかなる、全体性の消失」を歌っているからこそ、強かった。今回は「君」が「散る」様に繋がりと光を示唆する。但し、それはポジティヴなラブソングめいたものではない。漸く、彼等が「彼等の出す音像」に十二分に意識的になった事を感じさせる手応えがある。「喪失と再生」、なんか他のバンドが幾らでも歌ってくれる。

単純な生活を
簡単につないでく
不安をめくった先の未来を
君はずっと選べない
(君と背景)

 例えば、BUMP OF CHICKNENの新曲は何故、あんなにぬるくなってしまったのか、RADWIMPSはそこまで「君」にセカイを反射させるのか。彼等が言葉数を増やして、君を描くのに比して、sleepy. abはどんどん「行間の多さ」が増える。「ねむろ」と言っていた彼等の緩やかな意思が丁寧に編み込まれている事が感じ取れるがしかし、此処には実は、僕も君もいないのだ。歌詞内の「君」は記号として「君」であって、別に君で何でもいい訳で、それは人間じゃない何か、かもしれない。そして、「想う僕」だって恣意的だ。青く想えるような曲でも、人生を見据えているような前向きな曲でも、何処かぼんやりと空疎な感じが付き纏い、決して楽観的でも前向きでもない。それが良い。

 透明的で気怠い成山氏のあの独特の声と、それを支える確固とした柔らかなバンドサウンド。得も言われぬ希望的な、何かを待備させるが、精緻には、ただ、それは「希望、ではない」のだ。

 絞られた歌詞、ミドル・テンポのリズム、4分程の音の揺らぎ。前作含めて過去から追いかけてきた人も、新規参入者も拒まない茫漠とした「空間」がここにはあって、椅子はあるが、誰が座るのかどうかも分からない。ただ、確実にこのシングルによって、全く独自のポジションを確立したと言える。不眠症は癒えなくても、君は描けるのだ、背景として。

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