Shall we talk more about "Radiohead Syndrome"? Vol.3

コントリビューター松浦達さんによる問題提起原稿「レディオヘッド・シンドロームはどこまでつづくのか?」、それを受けた「みの」さんによる原稿、そして八木皓平さんによる「『Kid A』の呪い」につづいて、今度は近藤真弥さんから、さらなる考察が届きました。

近藤さん自身のつけられたタイトルは、スケープゴート

これまでの流れから(アーティストとリスナーの関係みたいなものに関する)視点の主体を、より極端にずらしているところなど、なるほど! と思わされました。出だしの一文で「ん?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は個人的に過去レディオヘッドで一番ピンと来たのは「Creep」ってこともあり(ベック「Loser」の流れと言えなくもないですが...。ちなみに、ぼくが最初に買った彼らのレコードはシングル「Anyone Can Play Guitar」、当時ライヴをロンドンでも見てますが...)、近藤さんの立場みたいなものも透けて見える(ちょっと強引な解釈? すみません)、とてもいい「つかみ」だと思いました!

近藤さんも、「プレ・オープン」状態離脱後に抽選でお渡しするプレゼントの「抽選枠外当選」とさせていただきます(後日メールをお送りします)!

ただ、現状はこのサイト、かなり手弁当で(笑)制作しておりまして、現在3名様となっている「枠外当選」がこれ以上ふえるときついかも...? このあとは(このコーナーに掲載させていただく方も)抽選...になってしまう可能性もございます...。すみません(汗)!

レディオヘッドに関する考察、とくに〆切は設けませんので、みなさんも思い立ったときに、是非! 「いや、レディオヘッドは終わってない」という意見も(「あまりに感情的なもの」はスルーしてしまうと思いますが、そうではなく、理論的なものであれば)問題なしですよー。FEEDBACKコーナーから、どうぞ!

では、近藤さんの原稿「スケープゴート」です!

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 レディオヘッドは、グランジを出発点にして、自分の音楽というものを見つけたわけだけど、『OK Computer』の時点で、レディオヘッドは終わっていた。『Pablo Honey』から『OK Computer』までのレディオヘッドは、世界を描くために、世界を対象物として捉えてきた。そして、世界と自分がマッハスピードで肥大化していくなかで、「The Tourist」でトム・ヨークは「おい、スピード落とせよ」と自分に対する戒めと、世界に対する警告として歌った。と言ったら、失笑ものか。

 よく「ゼロ年代は『Kid A』から始まった」という論評も見かけるが、僕は『Kid A』を終わりのアルバムとして聴いていた。「全てがあるべき場所に」と歌われた時点で、僕は「レディオヘッドも終わったな。全てが無になった」と感じた。トム・ヨークが、「全てがあるべき場所に」と歌った時点で、世界はリセットされた。「全てがあるべき場所に」の「場所」に散らばった「何か」を探すために、評論家達は『Kid A』に意味を付与し、ロジックを求めた。つまり、『Kid A』に対するこうしたリアクションは、『Kid A』を聴いた者が、無の世界を生きるうえでの秩序を確立するために、必要な行為だった。そして、こうした行為が、『Kid A』を聴いた者の首を、自ら締め付けることになったと僕は思う。だから正直、「レディオヘッド・シンドローム」も、「『Kid A』の呪い」も、ピンと来ない。レディオヘッドや『Kid A』は「求められただけ」であって、意味やロジックを求めさせたのは、世界であり時代だからだ。レディオヘッドは、世界や時代の、そして僕達リスナーのスケープゴート。僕達が、レディオヘッドに呪いをかけてしまったのだ。

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