Shall we talk more about "Radiohead Syndrome"? Vol.2

コントリビューター松浦達さんによる「レディオヘッド・シンドロームはどこまでつづくのか?」という「問題提起原稿」にインスパイアされた、「みの」さんによる興味深い原稿を掲載させていただいたところ、今度は八木皓平さんから、また新たな考察が届きました。

八木さん自身がつけられたタイトルは、『Kid A』の呪い

とても刺激的な文章です。これを読みながら、うむ、ぼくもレディオヘッドに関してなにか述べたい...という気になってきました。とはいっても、このサイトに関してやらなきゃいけないことはまだ山積状態だし...(とか、また逃げてる? 失礼!)。みなさんも、是非レディオヘッドについて(興味とお時間があれば)考えてみてください。そして、よろしければFEEDBACKコーナーからお便りくださいね!

みのさんにつづいて、八木さんも「プレ・オープン」状態離脱後に抽選でお渡しするプレゼントの「抽選枠外当選」ってことで!

いや、そんなことより、非常に力の入ったこの文章、是非ご覧ください!

「『Kid A』の呪い」とは?

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 いたる所にその作品の呪いがかけられている。その呪いは様々な「ポップ・ミュージック」という一つのカルチャーにおいて猛威を奮っている。それはそのカルチャーにおけるあらゆるメディアを越境し、批評家を呪い、聴き手を呪った。勘違いしないでほしい、ここで「呪い」という言葉を用いたのはその呪いの根源である作品に負のイメージを与えようとしたわけではない。振り切ろうとしても、振り切れず、逃れようとすればするほど纏わりついてくるその影響をイメージするのに最も適した言葉だからだ。言うまでもなくその作品の名は『Kid A』、バンド名はレディオヘッドである。

 ある日、音楽雑誌ロッキング・オンのサイトを見た時、そこでブログを持つ編集者が書いた「MGMTの新譜『Congratulations』は『Kid A』を更新した!」という旨の記事が載っていた。僕の率直な感想は「MGMTの新譜を音楽的に何の共通もない『Kid A』と比較している時点でそれは更新ではないのではないか??」であった。雑誌のほうにもそのような論調で記事が書かれていたが、僕には何一つ納得できなかった。僕に見えたのはその論者が『Kid A』の呪いにもがき苦しんでいる姿のみであった。彼はその対象とほとんど関係の無い『Kid A』を持ち出し、対象との関係を捏造し、作品に『Kid A』の呪いをかけていた。その時、僕は気づいた。呪いの根源は確かに、『Kid A』であるがその呪いを広げているのは語り手である批評家に他ならないと。

『Kid A』がドロップされてからというもの音楽批評は『Kid A』以前/以後という視点からカルチャーを考えざるを得なくなった。彼らはその固有名詞を呟き、書き連ねることによってあらゆる作品に『Kid A』との連関を認めさせ、意味を付与した。彼らは呪いを広めることに尽力した。大袈裟過ぎる、という人もいるだろう。確かに、『Kid A』というタームがそこかしこに散らばっているわけではもちろんない。しかしながら、批評家がその言葉を出す時に、その呪いが散布されていることを否定することはできないはずだ。そう、誰もが『Kid A』を語るときそれを神格化していることからそれは明らかだ。ここにおける呪いとは神格化のことなのだ。その呪いは『Kid A』について「語らない」人間にも付与されている。例えば、「レディオヘッド・シンドロームはどこまでつづくのか?」の前置きを読めばわかるように、クッキーシ--ン編集長の伊藤英嗣氏は語らないという行為によってある種の特権的な位置にレディオヘッドを持ちあげている。「沈黙する」という行為によって彼もまた呪われている。要するに全ての「音楽を語る人間たち」はその呪いから逃れられないのだ。

「呪い」から逃れる対策は無いのだろうか?? 残念ながら僕には対策が思い浮かばない。しかし、「レディオヘッド・シンドロームはどこまでつづくのか?」における松浦氏の文章はその呪いから軽やかに身をかわしているように僕には見える。その語り口(特に後半における)の「軽やかさ」がレディオヘッドの呪いを遠ざけているように思える。対策の可能性の一つとしてはレディオヘッドに対して極めて「軽やかな距離感」で語ることにあるのかもしれない。新譜が出ても時代を謳歌したベテラン・バンドの新譜、程度の位置づけで聴くとよいのかもしれない。そうすれば少なくとも『In Rainbows』ドロップ時にいたるところでおこなわれていた作品に対する「過剰な意味づけ」を免れることができる。しかし、もちろん、これは根本的な解決ではない。

 単なるリアクションでしかないはずなのに、こんなにも長い言葉を紡いでしまった。

 最後に僕の『Kid A』体験を話そう。僕がレディオヘッドの作品で一番最初に聴いたものは、実はこの『Kid A』であった。当時、買ったばかりのこの作品を父の車の中で初めて聴いたことを鮮明に覚えている。最初の一音が鳴り響いた時、車内の空気が一瞬にして張りつめ、父は驚いたように「おまえ、こんなもの聴いて何がおもしろいんだ??」と尋ねられたことを思い出す(ちなみに父は別の機会にも車内でこの言葉を言うことになる。U2『Achtung Baby』が鳴り響いた時である)。父のその言葉と並行してトム・ヨークは「全てはあるべき場所に」と歌っていた。僕が自分たちの音楽=自分たちの時代を発見した瞬間だった。そう、僕も呪いをかけられた人間なのだ。この2000字に至らないような短い文章の中に『Kid A』という固有名詞が16回も使われている。これを「呪い」と呼ばずして何と呼ぶべきか。僕は松浦氏が用いた「軽やかさ」による呪いからの逃亡もしなかった(いや、できなかった)。このような記事を書くことによって僕も呪いを広めている一人なのかもしれない。

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