安野モヨコ『働きマン』漫画(講談社)

|

hataraki_man.jpg 「オレは仕事しかない人生だった。そんなふうに思って死ぬのはごめんですね」と、登場人物のひとりが言う。それに対し、主人公の松方弘子はこう言う。「わたしは仕事したなーって思って死にたい」。どちらも正しいと僕には思える。いや、どちらが正しくて、間違いなのか、といったものはないのだろう。ただ、漫画『働きマン』の帯には大きくこう書かれている。

「僕らはみんな働くために生きている!」
 
 生きるため(生活のため)に働くのではなく、「働くために生きている」とは、かなり大胆な発言だが、この漫画で描かれているものは働くことに生きがいを感じる女性編集者の、まさに大胆この上ない仕事ぶりである。
 
 安野モヨコという漫画家は恋愛漫画を描いていたが、『働きマン』に恋愛事はあまり出てこない。ひたすらに、仕事、仕事、仕事である。週刊誌「JIDAI」の女性編集者である松方弘子は、一生懸命というより、死にもの狂いで、と書いた方が適切と思えるほど仕事に打ち込む。その結果、スクープを取るなど、雑誌に貢献している。自分が体験したものを他の誰でもない自分自身で判断し、ありのままを記事にする彼女の姿勢は素晴らしいし、「これは絶対に記事にするべき」という発言や行動もまた潔くて素晴らしい。そして何より松方弘子にとって、自分の仕事である原稿書きや編集が認められたときこそ、最高に快感を覚える瞬間なのだ。
 
 しかし、ときとして、主人公の過剰な必至さがあだとなり、自分を見失う場面がしばし見受けられる。そんな中、上司の励ましや、取材相手の言葉にハッとし、今まで以上に精進するなど、人との出会いにより、タイトルで言うところの「働きマン」(決めポーズはウルトラマン)としてさらに成長し、仕事を達成することで自分の存在価値を得ている。いわば取材、編集を通じた人間の成長を描いている漫画だ。
 
 数年前に転職を煽る広告がネットにおいても電車内の広告においても多く見られた。そして、いわゆる転職ブームなるものが起こった。それは「僕には、私には、もっと自分を活かせる職業があるはずだ」という空気であり、その空気は今もあると僕は感じる。自分がやりたい仕事をやれば、それが自らの存在を証明し、いわゆる生きがいという価値を得ることができるという自意識。しかし、安野モヨコは『働きマン』でそれを描かない。あくまで与えられた編集者・ライターという仕事の中で、登場人物自身が生きがい・やりがいを見付け出す様を描いている。
 
 主人公の松方弘子は編集者という仕事に満足はしていないが、だからといって他の職を探すことはしない。満足できないのは仕事のせいではなく、満足できるほど編集・ライターという仕事に打ち込んでいないからだ、ということに主人公が気付くのだ。これは他人事ではなく、僕にグサッと刺さった。
 
 理想の仕事を探し転職することは悪いことでも何でもない。しかし最も重要なのは、「どんな仕事をするのか」ではなく、「与えられた仕事の中でどのように生きるのか」である。人の為に職があるわけではない。職の為に人がいるのだ。天職という言葉があるが、もし天職という言葉を使うのならば、たとえどのような職であろうと、その職の中で自分の存在価値を見付けられた瞬間が、天職と感じられる時ではないだろうか。僕はそれを、帯に書かれていた「僕らはみんな働くために生きている!」に対する解答としたい。

(田中喬史)

retweet