アートスクール『Anesthesia』(Pony Canyon)

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art_school.jpg 今年で10周年を迎えたアートスクールが新たに提示する、今作のタイトルは「麻薬」あるいは「無感覚」を意味する『Anesthesia』。旧知の友であった志村正彦(フジファブリック)の死、共にツアーをまわり、度々共演していたスパルタ・ローカルズの解散、公私共に親交深かったポリシックスのメンバー脱退などの、木下を取り巻く様々な環境の変化を乗り越えて制作された今作は、全編を通して、今までにない濃密さをもった耽美さに満ちている。

 僕は、最初に今作を聴いた時、この耽美さにファクトリー・レコード周辺の古き良き80'sポスト・パンクあるいはザ・キュアーやバウハウスのような、これまた古き良きゴシック・ロックといったシーンやアーティストが描いたモノクロの世界を思い出した。木下のボーカリゼーションも、今までの絞り出すような、か細くも力強いそれではなく、ジョイ・ディヴィジョン的とも言える低音を活かした歌唱になっている。
 
 それらの特徴をふまえ、サウンド面は、まさしく木下自身も公言している通り、『Adore』期のスマッシング・パンプキンズを彷彿とさせる、バンド・サウンドとは一転した打ち込み主体のものになっている。これは木下自身が「バンドでセッションして作っていくことで濃度が薄くなってしまったものを、今はどうしても収めたくない」と言う思いによるものだ。また、そのプロダクションの上に、ニューゲイザー勢を通過したような酩酊感を伴った轟音ギターが重なることで、耽美さがより強靭なものになっている。
 
 ジャケットのアートワークも『Mellon Collie and the Infinite Sadness』期のスマッシング・パンプキンズのそれを思わせる儚くも物悲しい近世ヨーロッパの絵画のようで、作品の世界観がより伝わってくる。

 そのサウンドに乗せて木下が歌う詞は、「君を無くした僕」、「君に触れる事のできない僕」、そして「汚れて歪んだ世界をどうにか生き延びる君と僕」の姿だ。もちろん、熱心なアートスクールのファンは、これらは今までにも歌われてきた世界であることは分かるだろう。しかし、このアルバムで歌われている情景は、今までのそれよりも鮮明であり、濃い。「二人だけの世界か、あるいは死か」という、まさにザ・キュアーのロバート・スミスばりの切迫感をもって歌い上げているのだ。

 また、今作の各曲のタイトルもルシール・アザリロヴィック監督による、静謐な処女性を映した同名の映画を思わせる「Ecole」、そのルシールのパートナーであるギャスパー・ノエによる現在公開中のドラッグ・ムービー『Enter The Void』を思わせる「Into The Void」、デビュー当時のスマッシング・パンプキンズの同名曲を思わせる「Siva」など、相変わらず映画ジャンキー兼音楽オタクである木下による、ささやかなオマージュがみられるのも面白い。

 近年、試行錯誤を繰り返しながら色々なサウンド・アプローチに取り組んでいるアートスクールだが、今作は、アートスクール流の『マジックディスク』かも知れない。なぜなら、ここで歌われているのは、既に歌われた「羽根を焼かれた君と僕」の姿ではなく、どこに向かうか分からないけれど、お互いのことを完全に分かり合えないけれど、それでも手を繋いでどうにか歩き出そうとする「君と僕」の姿であるからだ。

 このアルバムで木下が示しているのは、ただの内省だけだろうか?

 「Waiting For The Light」のサビで木下はこう叫んでいる。「いったいどれくらい飛んで君に届くかなんて、分かるはずも無いけれど、逃げるつもりも無いさ」。

(青野圭祐)

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