平城遷都1,300年祭記

heian_sento.jpg 平城京遷都から丁度1300年にあたる今年に向けて、古の都である奈良では様々なプロジェクトが推し進められており、その中の一環にオフィシャル・キャラクターの発案、その後の紛糾という問題があったのは周知だろう。

 鹿の角が生えたお坊さん、せんとくんがその姿を現したときは圧倒的に「違和」しか取り囲まなかった。「仏様を侮辱している」、「フォルムが気持ち悪い」、そんな意見が「前」に出され、裏では「別にこの可愛くなさがいいのでは」という諦念的な集合的無意識、つまり、「どうでもいい」が取り囲む中、ゆるキャラのブームの流れの中、僕は08年に彦根でのゆるキャラのフェスティバルに行ったことがあったが、とても無為でそれが故に、健康的だった。

 僕が、ゆるキャラに求めるのは「大いなる徒労」と「大の大人の知恵を尽くした結果の、ローファイさ」と「アシッドな郷土精神」という側面に集約される。捻って提出したつもりの造詣があまりにも歪だったり、シンプル・イズ・ベストでもなかったり、ザ・ビートルズもセックス・ピストルズも最初から対象化していたら、いつの間にかKISSへの周縁を巡ってしまうようになったり、とその迷走が面白い訳であって、あれだって、役所の方々、クリエイター、広告代理店など多くの人の知が集っての「結晶」であり、その後の導線付けも何かしらの意図も含んでいる。それが市場に出た際の、せんとくんは酷かった。たまたま、彦根の際にせんとくんが出て踊っているステージを見ていたら、何処かのTV局のアナウンサーがマイクを向けてきて「せんとくんのどこが好きですか?」と言われたのでは、「いや、好きではないです。」みたいな意見を返した。「好きで何かを見る」のはそういう簡単な行為ではないし、「良い」の反対が「良くない」だとしたら、「悪い」というのはもはや自意識固着の視野狭窄の中でのYES/NOになってしまうような気がして、僕はゆるキャラの「カウンター」というものはメインストリームが盤石でないといけないと思ってもいるし、「カワイイ」で全部片付く世界じゃない。そういう意味で言うと、誰も「メイン」じゃない中での、ゆるキャラたちのあまりにUSインディーロック的な脱臼精神には精励された気もしているのは確かだ。

 そういう意味で、多くの時間をここで過ごした記憶はあるものの、恩恵は然程感じない平城遷都1,300年祭に先頃に、足を運んできた。平城京跡は広大な空き地という感じで、近鉄の大和西大寺駅から団地を歩いて、すぐに主要会場に着くことができる。昔の都。

 「都」という事で、ふと想いを馳せてしまう。

 近代では民主主義というのは「民主国家」と密接的な連関を持っていた訳だけれども、国家の権限範囲と役割の分化次元を弁えないといけない、となると、「グローバリゼーション」ってのは諸国家の基準値を平準化し、均したというオプティミストが居たりして、でも、その際は「オルタナティヴィティ(二者択一性)」の中でのストラグルが前提だった言える。グローバル社会のポストとして「帝国」って置かれたのだけれども、「帝国」、ってのは、国境を無化するというより(認可する)、柔軟にして移動・行き来可能な国境しか認めない限界なき主権フォルムってことで、君主政治、貴族政治、民主政治という三列を「越境」する為に、現代における「帝国」は君主政体的であり、しかしながら、精緻に「帝国」は貴族政治と言えるのは、限定されたエリートやインテリがそれらを廻しているという証左が示している。ただ、諸国家権力の「中心性」への希求を脱構築する試みを図ろうとして、民主的な意見が、人民の代表が貴族性を後押ししているという意味では、帝国は民主的「でもある」。支配/被支配の構造のグループとしての国民国家群が、それぞれの民を何らかの形でリプレゼントしているか、その如何によって「権利範囲」、「役割測定」は為される。

 さて、となるとグローバル社会においての主権は脱中心、脱領域性に依拠する「べき」だというのが「帝国」になる。単一の支配論理の下で、一連の国家的、また超国家的な組織体から成って、それを「帝国」と名付けるのならば、こんな催しも脱構築されるべきなのか、ただの「催し」として嚥下すればいいのか、分からなかったが、会場を訪れてみると、ノスタルジーと歴史教科書の上で遊んでみようという催しに過ぎなかった。平日の雨催いの昼だったからか、間延びした雰囲気はより強く、空いていた。フードコートの混雑具合や、昔の着物を来た子供たちやどことなく緩いムードが漂っている。先ず、正門の朱雀門を行った。

 
 

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  朱雀門

 そこから、僕は平城京歴史館と遣唐使船を観に行った。ここは整理券が必要だが、行った際は10分程待って貰えた。ちなみに、別途500円要る。復元された遣唐使船の後ろに歴史館がある。歴史館の中での見ものは遣唐使シアターという3面のワイドスクリーン、平城京VRシアターという5面のマルチスクリーンを使って、歴史を振り返るもので、なかなか迫力があった。

 

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  復元された遣唐使船

 その後、今回の催しでも大きい意味を孕む大極殿を観に行く。
この催しのために再現されたものでいわば目玉であり、「第一次大極殿」と称されている。第二次のものは、ここの近くを跡地としている。正面約44m、側面約20m、直径約70cmの紅柱が44本使われ、約9万7,000枚の屋根瓦が使われた平城京で最大の宮殿。

 
 

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  大極殿

 

 

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  大極殿の内部

 上海万博と比較する「べき」ではないし、比較対象にもならないこちらは記念事業だが、あくまで平城遷都の1,300年を祝うには全体的にローファイで程良い管理化の極まった社会の中での余白が設けられたぬるさがあった。ロックのフェスティヴァルにあるような檻の中で躍る、感じよりももっと隙だらけの「投企」が為されていたのが印象的だった。つまり、「世界の中に否応なしに投げ込まれていた者」が、不安を通してそれを自覚し、そこから新たに自分を捉えなおし、新たな生き方を始めるという流れが捻じれることで、死の自覚を通して、人間は自分を新たな可能性に向けて投げ込むことができる。人間は不安を通して被投性に直面させられるが、逆にこれにより、存在と自由の真の意味が得られるのであるとしたならば、この平和で穏やかなイヴェントにはタナトスの誘因が働いており、せんとくんがスクリーンを背景に踊る姿に微笑ましさを持てなかったのもあったのも事実だった。

(松浦達)

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