クーラ・シェイカー『ピルグリムス・プログレス』(Strange Folk / Sony Music)

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 スクリャービンの音楽に対する神秘主義に依拠した思想にこういったものがある。「音楽とは単なる娯楽ではなく、世界の背後に存在する神の智恵の表れであり、だからこそ、これを使って人々を法悦の境地へ導き、神との合一を経験させ、通常の人間を超越した存在へと解脱させることができる」。何とも、昨今のスピリチュアリズム界隈の気配とリンクしてくるものさえ感じるが、実際に生まれた彼の作品における交響曲第4番「法悦の詩」での調性の超越や交響曲第5番「プロメテウス--火の詩」では、鍵盤操作に応じて7色の光をスクリーンや合唱団員の白い衣装に映し出す「発光ピアノ」を考案するなど果敢なトライアルをしたのも事実で、加えて、とても光彩豊かな音を放っていた。特にスケールの大きさ故に、未完に終わった「神秘劇」では、さらに踊りやお香も加える構想でもあった。

 スクリャービンを参照にするまでもなく、スペクタクル、神秘主義とスケールの混ぜ合わせた大文字の音楽への希求を目指したバンドには枚挙にいとまがないが、ブリット・ポップと言われるムーヴメントの中で華麗に現れたクーラ・シェイカーはその一つだろう。

 ここで、ブリット・ポップについて補足説明をするに、狭義として93年~96年に起こったブリティッシュ・ビート懐古主義的なムーヴメント(でも、確かに95年8月のブラー「カントリー・ハウス」対オアシス「ロール・ウィズ・イット」シングル同時発売とかUKの公共放送でも流れていたので、やっぱり「社会現象」なんだろう。)を指す。

 とはいえ、ブリット・ポップを「音楽面」としてだけ捉えるのは浅愚というもので、アート・カルチャー側からのルネッサンスの様相もあった訳でもある。ただ、日本のバブルの時のように「何も残らなかった」現象性の高さ(その裏で秀逸な作品もあまた出たが)について、僕は蜃気楼のようなものを感じてもしまう。

 作品的には、94年のオアシス『Difinitely Maybe』、ブラー『Palk Life』、95年のパルプ『Different Class』、ザ・ブー・ラドリーズ『Wake Up!』、96年のザ・ブルートーンズ『Expecting To Fly』辺り、その他、ジーン(GENE)やシェッド・セヴン(SHED SEVEN)とかスリーパー(SLEEPER)などが犇き合っていたが、その狂騒の中で、燦然と96年のクーラ・シェイカーの『K』があった。クリスピアン・ミルズのスマートなルックス、アロンザのベースやインド文化や仏教のエッセンスを程良く入れながらも、シンプルなギターロックを鳴らす様など、全てが眩いまでに、格好良いロック・バンドとしての基準を整えていた。ディープ・パープルの「Hush」のカバーも手堅かったが、クリスピアンの神秘主義への傾倒、物議を醸した幾つもの発言、そして、バンド総体の不調和、セカンド・アルバムで膨大な制作費を投じた結果に辿り着いた表層的なサイケデリアの頃には、ブリット・ポップは完全に終焉を迎えており、彼等自身の役目も終える事となった顛末は周知だろう。

 その後、クリスピアンは3ピース・バンドで簡素なロックンロールを鳴らすザ・ジーヴァスを結成したり、他メンバーもバンド活動を行なうようになり、元々構成されていたクーラ・シェイカーとしての4人は離散することになった。

 しかし、まさかの06年の再始動、その年のフジロックでの鮮やかなパフォーマンス、レイドバックはしたものの、バンド名義としての手触りがしっかり感じられる07年のサード・アルバム『Strangefolk』は軽やかだった。セッションを楽しむような通気性の良さだけが刻印され、バンドとしての上昇気流も闇雲なヴァイヴも、もうそこにはなく、オーガニックで有機的な音楽を続けて行く、という意志に満ちていた。そのフェイズは更に推し進められ、今回の新作『Pilgrim's Progress』にも継承されている。ただ、これが決して悪くないのだ。「Hey Dude」、「Tattva」はおろか、ドライヴするロックという要素因さえないのに。

 このアルバムを聴いていると、70年代初頭のブリティッシュ・フォーク・トラッドのムード、また、フェアポート・コンヴェンション、スティーライ・スパン、ペンタングル、リンディスファーン、インクレディブル・ストリング・バンド、ドノヴァン、などの音が自然と想い浮かぶ。そこに、シタールやタブラといったインド風のまろやかなサウンドが加えられ、全体的に力が抜けており、エッジはない。ふと気付けば口ずさんでしまうような伝承歌のような可愛いらしいメロディーが並び、楽器にしてもチェロ、サントゥール、パイプオルガンやマンドリンなど多数を使いながら、基軸はアコースティック。かといって、ザ・コーラル辺りがふとみせるディープなサイケデリアもなく張り詰め方もなく、森の中で輪を囲んで楽しくセッションをしているような内容を喚起せしめる。実際、ベルギーのアルデンヌ・フォレストの中に建てたスタジオで余計な情報を遮断して、これらの音を一から固めていったのだという。

 ロック・バンドには、色んな転がり方がある。ずっとエッジを尖らせ、ラジカルに方向性を進めていくものもいいし、形態を変えながら、それでも、初期衝動を忘れないでゆくのもいい。但し、彼等のように、「緩やかに円熟してゆく」というのも一つの正解なのだと思う。遠景にモリコーネの影が視え、ジョージ・ハリスンの笑顔が浮かぶ。こんなに誰も非難せず、「仲間を要求する」音楽には久し振りに会った。

 ちなみに、スクリャービンの話に戻ると、彼は若い頃には後年の作品からは想像が付かないほどロマンティックな美しいピアノ曲を書き、一時は"ロシアのショパン"と呼ばれていた。逆に、クリスピアン・ミルズの書く曲がここに来て、もっとも美的な閃きが高いようなものになっているのも非常に興味深い。柔らかい質感にも芯が通った佳作だ。

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