トレイシー・ソーン『ラヴ・アンド・イッツ・オポジット』(Strange Feeling / Merge / Hostess)

|
5_TracyThorn_cover.jpg
"See? Hamster on my mouse mat. (Sounds like a morrissey title...)"

 これはトレイシー・ソーン本人による5月30日のツイート。きちんとTwitpicで写真も添えられている(マウスマットのうえ、PCのマウスの隣で餌を齧っているハムスターちゃん)。たしかに"Hamster on my mouse mat "はモリッシーのアルバムのソングリストに並んでいても収まりがよさそう(イヤーな感じの歌詞が目に浮かぶ......)。大好物のドーナッツやハムスターの話題を彼女はたびたび挙げている。

 一方で、少し遡って5月14日には、グリーン・ガートサイド(スクリッティ・ポリッティ)から作品を賞賛するメールが届いて冷静さを失っている様子もツイートされている。英ガーディアン紙に掲載されたインタビュー上においても、彼女のドライな筆致で記されるユーモラスな一面は" one of the most entertaining musicians on Twitter "と評されているが、それにしてもモリッシーにグリーンにトレイシー。なんと素晴らしい2010年っぷりだろう。ポストパンク・ジェネレーション万歳!

 そんな彼女のソロ名義としては2007年リリース『Out Of The Woods』以来三作目となる本作は、先述のチャーミングな姿が一見ウソみたいな、渋みと苦みに溢れたアダルト・オリエンテッドな内容に仕上がっている。そのタイトルからして重い。『愛とその裏側』。ことプライベートにおいては、かの偉大なるエヴリシング・バット・ザ・ガール結成以降、長年パートナーとして歩みを共にしてきた(2009年、ついに結婚!)ベン・ワットと、彼の病気など七難八苦こそあれど愛に溢れた生活を過ごしてきたイメージのある彼女の今作における作風は意外といえるし、実に興味深い。

 冒頭の「Oh! The Divorces」は離婚について歌い("次は誰? 次は誰の番かしら?")、次の「Long White Dress」ではマリッジ・ブルーを("それって私の勝手な思い込み?")、さらに三曲目の「Hormones」では母子の在り方の難しさを歌っている("あなたの場合は思春期の、私の場合は更年期のホルモン・バランス。あなたはトンネルに入ったばかりで、私はそこから抜けるところ")。独り者の集うバーで失った若さを嘆きながら手入れの行き届いた爪を見つめ、見通しの立たない救いを求める「Singles Bar」のような曲も収められている。トレイシー本人曰く「40歳を過ぎてからの人生についての作品」とのことだが、不安定な大人の現実がここではことさら厳しく率直に描かれている。

 プロデュースは前作に引き続きイワン・ピアソンが担当。デルフィックやM83『Saturdays = Youth』といった作品のプロデュースや多彩なリミックス・ワークでも知られる、本来はエレクトロニック畑の人物だが、本作では過度の装飾は控えられ、シンプルなSSW作品としての方向性が徹底されている。ホット・チップのアル・ドイル(ナード軍団のなかでは比較的マシなルックスの、ギター担当な人)をはじめとしたゲストも素朴なアレンジに華を添えている。メジャーを離れ、ベン・ワットのレーベル<Strange Feeling>からリリースされたのも功を奏しているのかもしれない(ちなみにアメリカではインディーの一大勢力として盛り返しつつある<マージ>から)。

 歌詞の世界観が過酷だからといえ、本作は心の傷口をライターの火で炙る類の作品では決してない。トレイシーの低く通った歌声は昔より丸みを帯びて慈愛の響きに満ちつつも、28年前の『遠い渚』から変わらず優しく寄り添ってくれる(国内盤でボーナス・ディスクとして収録された5曲入りのデモ音源は、彼女の表現がブレてないことの証明という意味でも聴き応えがある)。同じポストパンク世代であるフォールの新作における変わらぬ破天荒さも爽快だったが、年齢にふさわしい彼女の成熟も愛おしすぎるほどに愛おしい。そして本作にはきちんと救いも用意されている。最終曲の「Swimming」は厳しい世の中に生きる人々の心の闇をほんの少し照らしてくれるような内容になっている。

"Right now we are just keeping afloat
 But soon we'll be swimming,swimming"
("今はただ流れに身を任せ、漂っていればいい。
だけどもう少し、もう少しすれば泳ぐようになるから")

retweet