ザ・ブラック・ドッグ『ミュージック・フォー・リアル・エアポーツ』(Soma / Octave-Lab)

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 ブライアン・イーノが78年に創った『Music for Airports』はなだらかな漣のようなサウンド・レイヤーが醸す美しさを静かに付与し、当時では不明瞭とも言えたアンビエントという概念を定着させただけでなく、空港内で機能する音楽が決してラウンジ的なものばかりではない、ある種の弛緩への緊張を要求されるものだということをリプレゼントしたが、実際には空港利用者には批判を受け、タイトル通り、空港内で定着するには至らなかった。結局は、フュージョンとかイージーリスニングとか流れるように柔らかく人の耳に極力、残るようで残らない音楽があの喧騒の中には「馴染む」という事なのかもしれない。

 それでも、僕は空港に行った時に、そういった音楽よりも(嫌いではないが)、イーノのアンビエント作品が聴きたくなってしまうのは何故なのだろうか。それは、一つ言うならば、多くの言語や様々な人が行き交う場所からこそ、耳が鋭敏化してしまい、その耳に流し込むには逆に精緻に隙間を組み立てた音楽こそが安穏をもたらすから、とも置き換えられる。百貨店で流れるオルゴールのような音楽に辟易した人も居ると思うが、実は、喧騒には緊張で対応しないと、不快に感じてしまう要素因もあるのだ。

 06年に日本語書が出た、Peter Morvilleの「アンビエント・ファインダビリティ」という本はイーノのアンビエントからインスパイアーされた書で、見つけやすい環境とWEB社会の進化性を多角的に分析した本だったが、世の中のアンビエント化とfindabilityを結びつけ、アークテクトを描こうとする力技が過度に働いたが故に、散漫になってしまった。とはいえ、その後のハイエンドな仮想社会を可視するには良い見取り図を提示したかもしれないが、今現在、アンビエントという言葉を再定義するのは広義におけるイージーリスニング的な感覚から言葉を置く事は出来ず、混沌から行間を見出す導線付けを必要とする、と言えるならば、MySpace以降に散見されるエレクトロニカ、IDM紛いの設計図だけが綺麗に描かれて、その中身が空疎なアンビエント的な音楽とは実は、自閉の末に中毒状態になっている性質も感得出来るだけでもある。つまり、表現することの郵便的誤配を怖れる以前に、郵便的であることに関してさえ、無自覚な気味の悪さを孕んでいるケースの少なくない数の兆候化を示している。それは、そういった音楽のロールモデルとして必ず挙げられる、ポスト・エイフェックス・ツイン『アンビエント・ワークス』下の、クラークがふと見せる穏やかな表情、そして、近年のオウテカが何処までも沈み込むように見せる内省的な美しさに、近付く為の試行に見えて、ただの退行である。

 その「退行への対抗」として、UKインテリジェンス・テクノの始祖的存在でもあり、Plaidと暖簾を分け、今はSomaをベースに置くTHE BLACK DOGが3年間で200時間の空港でのフィールド・レコーディングを含み、ダブステップや最新鋭のビート・センスを混ぜ、冒頭に挙げたイーノの名盤のアップデイトをはかった『Music For Real Airports』が面白い。タイトル通りを想い聴くと、肩透かしを合うくらい、基本ビートレスでかなりドープなシリアスな内容になっており、空港でのレコーディングされた音も破片的に浮かびあがるだけで、かなり挑戦的な姿勢を貫いている。この作品が流れる空港こそ、想像さえ出来ないが、でも、今や空港とは誰かの移動の為のトランジションではなく、数多の人たちの不穏の折衷点でもあり、あらゆる恐怖が渦巻く明確なメタファーであるとしたならば、例えば、アドルノ言ったような、以下のようなレトリックが当てはまる。

 つまり、この音楽は、「音楽について語っているだけ」に過ぎず、しかしながら、対位法的な問いがもはや宙空化する「葛藤」を明顕しているような世界の状態性を均質化せしめる。生の硬直性が、不気味とも言える規範の抑圧からの避難を許すと人々が信じている領域を反照しているならば、音楽の中での生とは今や、こんなに混乱したものに「なる」ということだ。人々への音楽への約束が果たされるのは、彼らが期待するものを拒否することによってのみなのである訳で、空港やイーノをモティーフとしながら、異形のこういった音を作らないといけなかったUKインテリジェンス・テクノの旗手の20年のキャリアの積み重ねの果てのヘビーな心境を考えると複雑な想いにもなるが、これが「空港」という場所を経由して次へと繋がる一歩とするならば、この作品が提示するシリアスさは決して時代とずれていない。次の時代もクリアーにしない。ただひたすらに宙ぶらりんな現在形のクライシスを投げ掛ける。その投げ掛けられたクライシスにビートは必要なかったという訳で、だからといって、アンビエントといった概念もメタ的に回避するとしたら、この作品が本当に求められる場所は何処なのか。タイトルの"Music For Real Airports"の意味が錯綜する。

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