ジャン・リュック・ゴダール~『ソシアリスム』に向けて

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「なんという上演か。世界がそこに含まれている」。

 マラルメの言葉を借りなくても、1988年から10年以上もの歳月をかけて撮った『映画史』という作品には世界が「含まれている」。たった4時間半程の中に、チャップリン、ヒトラー、ロッセリーニなどの亡影が交錯して、ゴダールの子供時代の顔がぼんやり浮かび、ストラヴィンスキー、バルトークといった交響曲が、断続的に切り入れられる。開扉と回避。相対と総体。緻密な網の目から零れ落ちる映像が沈黙する瞬間さえ、歴史が映り込んでいる。戦後、既に撮られ尽くされてきた様々な映画に対してのメタ認知を行なうべく、ヌーヴェル・ヴァーグ期の映画監督たちは紆余曲折して、実験・試行して、その後、彼等はそれぞれの道を往くようになったのは周知だろうが、ゴダールは一番の「被害者」でもあったのはあまり知られていない。

「被害者」という表現に関しては、69年『東風』辺りからのジガ・ヴェルドフ集団期の何作かを想い出すと早いかもしれない。50年代末期から60年代の半ばにあった軽やかさはそこに全く無く、息苦しささえ漂う自家中毒的な状況がそのままに転がっていた。また、結局、お蔵入りした『勝利まで』という作品などはアジテート映画を創ろうとしてパレスチナまで行き、しかも、そのパレスチナでフィルムにおさめた戦士たちは全員、殺されてしまうというトラジェディーも生み出すという悲惨な結果さえも「巻き込んだ」。その戦士の一人一人の「死」と対峙する中で、1976年の『ヒア&ゼア』が現前化した。そのヒアが、何でゼアが何なのか、ここで語るまでもないが、ここで大事だったのは「&」なのは確かだ。左的なロマン主義へ純然と埋没する自分を高次でアウフヘーヴェンすべく、メディアの可能性的な溝を埋める為に「間」を置いた。その「間」を突き詰めた『映画史』はだからこそ、悲痛ではないし、その後のゴダールの完全なる復活の狼煙を立てるには余りある評価を付加した。ナチス・ドイツ-ユダヤ人、イスラエル-パレスチナ人の断線を執拗に彼は追い続け、映像に刻印して、20世紀を「なかったこと」には絶対しない。そこに鏤められる幾つものモティーフ、セルフ・パロディーはゴダール自身のスティグマをどう治癒するかどうかではなく、どう膿ませるかどうかの実験でもあったと言える。「1968年のレフト・アローン」という言葉が醸した「アローン」は結局、その字義通り、彼を一人にさせた。ただ、独りにはならなかったという訳だ。

 だから、2004年には『アワーミュージック』という傑作を上梓したのだ。「アワー」にはゴダールは含まれており、世界も含まれていた。ダンテの新曲をモティーフにしながら、「女の子」を撮りまくるというクールネス。セクシャルな映画であり、映画館で観た僕はゴダールのカタルシスのポイントがロマンティシズムとエロティシズム以外の何物でもないことを確信したという意味は大きかった。

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 クエンティン・タランティーノの一時期のプロダクションの名前は「A Band Apart」と言い、これはつまり、ゴダールの64年の「はなればなれに」(原題:Bande A Part)を英語読みした訳だが、兎に角、ゴダールを語るには映画内・内文脈の葉脈を考えると、眩暈を起こしそうになるくらい、複層的に入り乱れている。

「複層的にしてズレてゆくフィルム片」という概念で輻射してもいいと思うくらい、ゴダールほど、アフォリズムとスキゾ的なクールさと思考停止に塗れて、それでいて、しっかり評価された上で、神棚にも祀られない監督も珍しい。ゴダール節とも言えるシーン内で急に音楽が盛り上がり、突然で途切れたり、全く俳優陣と関係ない部分で船酔いのように揺れる効果音など、それはカット・アンド・ペーストが当たり前になったモダン以前に彼は行なっていて、初期の短編などは、彼は自宅のバッハやヴェートーヴェンのレコードを援用して勝手にカットアップを行なっている節がある。54年~58年の短編(『コンクリート作戦』、『コケティッシュな女』、『男の子の名前はみんなパトリッシュ』、『シャルロットのジュール』、『水の話』)に関しては音楽以外にもアイデア一発で創られており、習作の域は全く出ていないものの、何故かその後の奔放無頼な活躍を期待させる萌芽はある。その後に、すぐ例のヌーヴェル・ヴァーグの決定打と言える『勝手にしやがれ』が来る訳で、ゴダールは自分で自分を試していたのではないか、とさえ僕は邪推してしまう。つまり、ゴダールとはゴダール自身をメタ対象化するのが巧い映画監督なので、自分がどう撮るかよりも、如何に映像に自分が撮られるかを意識しているところはあり、結果的に彼のフィルムというのはいつも批評的になってしまうのはシビアな意味で言うと、他の映画監督と比して「中に入り込めない」からだとも言える。だから、1959年の『勝手にしやがれ』のあのジャン=ポール・ヴェルモンドとジーン・セバーグとの冗長なベッドでの会話シーンなどは意図ではなく、投企だろう。あれによって、ストーリー全体の間延びした感じに「退屈」というスパイスを加味する事が出来て、歴史の中でも燦然と輝く物憂い温度感を全体に焼き付けた。ジャンプカット、即興演出、瞬時の映像のアドリヴの際立ち。

『小さな兵隊』以後のアンナ・カレーナ期の作品はただ、女として彼女を押し出そうという明確な意味があったが故に、作品のレベルとしては傑出してはこないが、ミシェル・ルグランと組んだ1961年の『女は女である』はカオティックな美と破綻したストーリー、自棄気味な音楽の絡み合い方が高度に結晶化されており、大きなハーヴェストだった。1965年の『気狂いピエロ』は別格としても、そこから自家中毒の捻じれをもたらしていく方向性を進まざるを得なかったのは先に書いた通りだろう。モダンをブレイクスルーする為にはポストを置けなかった。だから、彼はモダンを遡及した。遡及していった結果、『新ドイツ零年』、『映画史』、『アワーミュージック』という作品をものにして、2010年の新作がなんと『ソシアリスム』というタイトルだ。

 この『ソシアリスム』は果たして、老境に差しかかったゴダールにとってどのような意味を持つのか、考えて身構えると、それに応じた充実した重みを与えてくれる訳では無く、ゴダールの被害者性が表象される内容になっていると察せられる。今のゴダールに対峙することは、モダンをどう越えるか、モダンの前で立ち止まるか、ポストモダン側からモダンを見返すか、なんていった、幾つかの事項を脱化してくるストレートな映画へのパッションと今のヨーロッパを巡る懐疑の想いが幾重にも重ねられたものになっているに違いない。ゴダールはおそらく、全部忘れないのだ。そして、観る側はいつもゴダールを忘失してしまう。その「間」の点で、ゴダールはまだ生き続けるのだと思う。ForeverとはFor everと分けられる。ゴダールもいつも「瞬間という永遠」でフィルムを廻し続けているのだ。この作品をして、ゴダールは漸く大衆的な映画監督としての椅子に座る事が出来るのではないだろうか。彼の前に神棚なんて元々無かったのを皆が気付きだしているタイドと呼応した上での、老境の彼のアンコール的に見えた本編としての本当の意味を想い知らしめるだろう。

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