ケイナーン『トルバドゥール』(Octone / Universal)

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 07年だったか、クラブでディプロに影響を受けたという日本人のDJで踊っていた時に、クドゥルを知った。クドゥルとは、主にドラムン・ベース、ダブ・ステップからの影響を受け、アフリカのアンゴラから発生して、アンゴラ系の移民によってポルトガルに伝来したハイブリッドでラフなダンス・ミュージック。ブラカ・ソム・システマの野卑な音を想い出せば早いかもしれないが、そのクドゥルとバイレ・ファンキを混ぜ合わせて、トライバルに煮込んだ「Soobax」という曲がとても印象に残り、後で誰の曲かを彼に確認してみたら、ソマリアのラッパーのケイナーン(K'NAAN)というアーティストだという事を知った。ソマリ語と英語が行き来するライムに躍動感のあるバックトラックが鳴り、PVにはソマリアのモガディシオのストリートを行く彼の姿とそれを取り囲み踊る街の人たちが奔放に映っていた。

 ソマリアという国は91年以降、内戦が激化する中で無政府状態が続いており、治安も良くなく、世界最貧国の一つでもある。また、ソマリランドとプントランドが面するアデン湾は海賊行為の多発海域としても名が通っている場所であり、国際問題としても槍玉に挙げられる事が多い。そこで、78年に生まれたケイナーンは12歳の時、内戦の激化前に民間旅行機でニューヨークに逃亡し、その後、カナダのトロントに移住し、そこをベースにラッパーとしての活動を進めた。英語はそこで独学で習得したと言う。

 彼の名前が本格的に浮上したのは06年の『The Dusty Foot Philosopher』であり、07年リリースのコンピレーション『Urban Africa Club』だった。後者に関しては『ツオツィ』という映画に曲提供をしていたゾラ等に混ざって、彼の名前がクレジットされており、そのライムの巧みさとバックトラックの猥雑さに注目がいった人も多いと思う。そこから徐々に世界中に「発見」されていき、A&Mが目を付け、メジャー配給としての09年の『Troubadour』でブレイクすることになった。但し、このアルバムにはメジャー配給ゆえの規制が掛かったのか、ストリートやゲットーミュージックに根差したシビアさは抑えられ、エドワード・サイード的なオリエンタリズム的な要素因を含むようになってしまうことになった点は否めないものの、ソマリアの現実を切り取り、世界へ伝えたという側面は評価すべきだろう。「T.I.A.」という曲にはボブ・マーリィーの「Simmer Down」がサンプリングされていたり、一部、タフ・ゴング・スタジオで録られていたり、「グライム以降」の生命力が溢れた曲もあったり、モス・デフやマルーン5のアダム・レヴィーンが参加した曲などグローバル対応になっているものの、強烈にレベルの気配が充ち満ちており、彼の確たる意志が貫かれている。アフリカのリズム、エチオピア音楽のサンプルの仕方もなかなか巧妙だ。

 ただ、ここで先述した「グライム以降」という表現には注意が要るかもしれない。グライムとは00年代のUKのガラージの流れを組んだ音楽形態とも言えるが思想形態とも言えるからだ。サウンド・テクスチャーとしてはテンポを落とした低音を強くしたダウンビートにラップが乗るものを一般的には指すが、ディジー・ラスカルや初期のM.I.A.の音を想い出せばいい。そこから、インスト面が強くなる事でダブ・ステップに繋がってくる訳だが、ルーツ的には90年代の初期のレイヴから派生したという考えもあり、僕も06年くらいにグライムやダブ・ステップのパーティーに行った時には、2ステップやジャングルも混ざっていた記憶があるから、その論に賛同出来る部分がある。当時は、蛍光色の服に身を飾ったお洒落なニューレイヴと差異化されて、Tシャツ一枚で「ただ踊る為に、踊りに来る」トラッシュな人たちが溢れていて、その切実なまでの音楽に対しての希求の熱量が心地良かった。異性を口説く訳でもなく、ファッション的にクラヴィングを気取る訳でもなく、ただウィークエンドで溜まった鬱積した感情を昇華する場所にグライムやダブ・ステップの低音は効果的に響いており、スクワット・パーティーすれすれの清冽なヴァイヴがあった。SkreamやDigital MystikzやBurialや、ふと混ざるマッシヴ・アタックのマッド・プロフェッサーがリミックスしたアルバム『No Protection』からの曲など独特の禍々しい麗しさが通底していた。そこではクールとは程遠いが、優美なダンスをアフォードされている人たちの姿はまるで、自分が辿り着けなかったウェアハウス的なユーフォリアも包含していた。その波を受けた形で、クドゥルとバイレ・ファンキのバイタリティと猥雑さを取り込んだのがケイナーンの音楽であり思想という訳だ。

 しかし、それが皮肉にも今年の南アフリカのW杯の某グローバル企業のオフィシャルのキャンペーン・ソングに搾取される形になってしまったのは何とも言いようがないところがあるが、ケイナーン自身が見据える視線にはいつかのボブ・マーリィーに似た透き通ったものはあるのは確かでもあり、「ONE LOVE」へ向けての祈念がある。今夏のサマーソニックで初めて日本に来るが、必ず素晴らしいパフォーマンスをしてくれる事だろうと思う。彼は時代の要請としてワールドワイドに「なった」のではなく、なる「べき」方向を選ばざるを得なかったという意味で、ソマリアの現状やゲットーミュージックの強度をこれからも伝道していくに違いない。ここには掛け声だけのラブ・アンド・ピースはない。

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