June 2010アーカイブ

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 心配御無用。安心すべし。もはやフィード・バック・ノイズの奏での中で、浮遊感のあるメロディと歌声を軸とする音楽性が定型化し、その音楽性を絵に描いたように押し出すバンドが溢れかえっていようとも、海外でも活動し評価を高めている日本の5ピース・バンド、コーカスがいれば大丈夫なのだ。コーカスもまた同じような音楽性だが凡庸なところはなく、これからのフィード・バック・ノイズ・ミュージックとでも言うべきサウンドを、新たな次元へと昇華するであろうと、彼らの「Going For A Lonesome Dream」EPを聴いて、僕はガッツ・ポーズをとったのだった。

 このバンドのサウンドを聴いたのは本作が初めてという腑抜けな僕だが、だからこそ衝撃度が高かった。懐に切り込むノイズ。かと思えば頭上でノイズが渦を巻く。しかもそのノイズの質感といったら無添加無農薬の野菜のようにサッパリとしていて、少々不格好な味がある。格好付けるのもいいのだが、やはり、不格好なロックは燃えるよねと、本作を聴いた僕は言う。英語を日本語のように平らな発音にした上手く使った歌声が功を奏し、すっと胸に沁み入って溶け込んで、僕はそのセンスの良さと清々しさに心打たれた。なおかつ、ときどきおどけた表情を見せるヴォーカルの余裕にニヤリとなり、「してやられた」と舌を巻く。静かに燃えるサウンドにユーモアを交えるという巧妙な「Going For A Lonesome Dream」EPは、フィード・バック・ノイズを武器とする多くのバンドの中にあって異彩を放っている。

 録音にROVOや大友良英を手掛けた近藤祥昭を起用。ミックスとマスタリングは藤井真生ということもあり、サウンドの質感、構築法に関して巧妙でエスプリが効いている。初めて聴いてもビュンと突き抜けるサウンドの心地良さは、じわじわと、ではない。瞬時に伝わる。それでもぜひ何度も聴き込んでほしいと思う。音の一つひとつが練られているのだ。

 音楽性は全く異なるけれども本作を聴いたとき、僕はザ・バーズのファースト・アルバムを聴いたときの気持ちになった。これから何か新しいことが始まる予感。未来はきっと輝いているだろう。そんなふうに思ったのだった。いや、きっと聴き手にこの作品はそう思わせてしまう力があるのだ。未来は「今」という無数に訪れる瞬間の連続によって成り立っている。だからこそコーカスは「今」を楽しませる。「今」の気持ちを豊かにする。しかして希望を感じさせる。僕は言いたい。この作品を「今」聴こう。「今」を聴き続けよう。

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 2010年は、USのインディ・ロックにおいて記念すべき年になるのではないだろうか? なぜなら、USのインディをメインにしたがるピッチフォークでベスト・ニュー・ミュージックを獲得する作品が続出しているから。それに、ヴァンパイア・ウィークエンドやMGMTといった事前に大きな期待を集めてきたバンドがクオリティの高い新作を発表し、チャートでも大成功を収めている。だが、まさかこのバンドもここまで凄いことになるとは僕はまったく予想していなかった。そのアルバムとは、ブルックリンを拠点とする5ピース、ザ・ナショナルの5枚目となるアルバム『High Violent』だ(この作品もピッチフォークでベスト・ニュー・ミュージックに選ばれている)。

 ザ・ナショナルの特徴を簡単にいうなら、ポスト・パンクの鋭角的なビート×ゴシックな雰囲気。それは『High Violet』でも存分に発揮され、漆黒の闇が作品のなかに広がっている。また、このアルバムでは、スフィアン・スティーヴンス(前作『Boxer』に続く参加)やボン・イヴェールなどのゲストミュージシャンが参加、非ロック的な楽器を導入することでカントリーやフォークなどのルーツ・ミュージックの深みを取り込み、オーケストラによってサウンドスケープのスケールをぐっと増している。いわば、アーケイド・ファイアとウィルコが一緒になり、ジョイ・ディヴィジョンの曲をプレイしているようなもの。間違いなくこれはアメリカ人にしかできないものだろう。

 加えて特筆すべきなのは、暖かい人肌の温もりだ。それを生み出しているのはリリックと歌声だろう。レナード・コーエンとトム・ウェイツ、ブルース・スプリングスティーンからの影響を感じられる、ロマンスやシニカルなユーモアを綴った文学的な歌詞は、ヴォーカルのマット・バーニンガー(Matt Berninger)のペンによるもの。『High Violet』でも、マットは溢れんばかりの感情が詰まったバリトンで高らかに歌い上げ、ハーモニーがそれを優しく包み込んでいる。

 アルバムは、穏やかなイントロから滑り出し、ダイナミックなドラマツルギーがほとばしる「Terrible Love」でスタートする。その後の曲もドラマツルギーに満ちたものばかりだ。うなるようなキーボードから一転、静寂をへてオーケストラとファズ・ギターがぶつかり合う「Little Faith」や、シングルにふさわしい力強いビートや高揚感がありアンセミックな「Bloodbuzz Ohio」、脈打つようなドラムが印象的な「Lemonworld」などが続く。そして、「England」でクライマックスを迎え、「Vanderlyle Crybaby Geeks」にて厳かにエンディングとなる。すべての曲をつなぐものこそ何もないが、このアルバムはまるで1本の映画。それも、摩天楼の一夜を描いたようなスペクタクルな内容で、ただただ気高く美しい。

 この『High Violet』は世界中の音楽メディアから大絶賛で迎えられた。しかも、セールスにおいてもビルボード総合チャート初登場No.3に輝くという快挙を成し遂げた。確かに、3rd『Alligator』(2005年)とそれに続く『Boxer』(2007年)では英米の音楽メディアでその年の年間ベストを総ナメにしていた。とはいえ、この快進撃には驚くばかりだ。結成から10年あまり。長いキャリアをかけてザ・ナショナルがたどり着いた、ひとつの到達点となるこの作品は、2010年のUSを代表する1枚になるはずだ。

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 このメイル・ボンディング(Male Bonding)はイギリスはダルストンの3ピースで、現在ザ・ビッグ・ピンクでドラムを担当しているアキコ嬢がかつてヴォーカルを務めていたバンド=プレ(PRE)の残りのメンバーによって結成されたバンドだ。

 だが、残り物というなかれ。2007年に活動を開始して以来、ペンズ(Pens)やダム・ダム・ガールズとのスプリット・シングルをリリースしたり、ヘルスやザ・スミス・ウエスターンズ(The Smith Westerns)、ザ・ソフト・パックなどとツアーを行なったりしてきた実力派だ。

 と、ここで「ん!?」と感じた方もいるかもしれない。そう、上記のバンドはすべてUSのバンド。このメイル・ボンディングはいつしか本国UKよりUSでの人気が高まってきた珍しいバンドだ。というのも、彼らの音楽を簡単に言ってしまえば、グランジ・リヴァイヴァルだからだ。ハスカー・ドゥやダイナソー・Jr.を思わせるジャングリーでノイジーなギターと、ラモーンズやバスコックス譲りのポップなコーラス&フックの効いたメロディのサウンドはUKよりUSのほうがしっくりくるし、USでは名門サブ・ポップと契約しているのも納得がいく。

 そんな彼らのデビュー・アルバムがこの『Nothing Hurts』。全13曲ながら、30分にも満たない長さだ。ギタリストでシンガーのジョン・アーサーは「長い曲は好きじゃない」とコメントしているが、まさにその通り。3分を超える曲は一切なし。直線的でポップなメロディが一気に駆け抜けていく。

 ザクザクと切り刻むようなギター・リフの「Year's Not Long」でアルバムはキック・オフ。以降、地響きのようなドラムがこだまする「Franklyn」、歌うようにメロディックなギターとツイン・ヴォーカルの「Weird Feelings」、ヴィヴィアン・ガールズをフィーチャーした「Worse To Come」など、ノイズと2分間の制約がありながら収録曲は非常にヴァラエティ豊かだ。歪んだ轟音が鳴り響くサウンドは、まるで90年代のシアトルにタイム・スリップしたように感じられる。決して斬新ではない。だが、人をひきつけられずにはいられないパワーと魅力がメイル・ボンディングにはある。

 自国びいきでイギリスのバンドには辛口評価のピッチフォークがこのアルバムをベスト・ニュー・ミュージックに選出。このままアメリカのインディ・キッズを熱狂させてほしいと願うばかりだ。

補足:日本盤は6月16日リリース予定となっています。

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 アップルズがSpaceとTimeをTravelするのだから、期待通りの直球アルバムであった。彼らが本来備えていたポップさが、電子音を介することによってよりカラフルに彩色されており、潔いほどの直接さが伝わる。車内のラジオで流れでもしたら、それだけでもうドラマティックな雰囲気を演出できるだろう(高速道路推奨)。

 甘酸っぱいメロディセンスや、ロブ・シュナイダーのハイトーンな声という要素らは、良い意味でAORを彷彿とさせる。曇りのない曲達はしかし、夢と希望だけを詰め込んだ理想世界を能天気に紡ぐわけではない。シニカルさというか、酸いも甘いも含ませたポップ感とでも表現し得るのか、馬鹿騒ぎに耽っているわけではない。考えてみれば、メンバーらも若くはない(ロブの声と外見のギャップをとやかく言うつもりはない)。直球サウンドであってもそこに簡素という文字はないのだろう。

 冷たいコーラや窓から注ぐ風のような、気持ちの良いアルバムだ。ここにきてキーボーディストを導入する創造への探求心にも頭が上がらない。ポップとは? という命題に対する一つの理想的な解答である。

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 90年代半ば頃からヴァージニア州フレデリックスバーグで活動をしていたスカイウェイヴのポール・ベイカーとジョン・フェドウィッツが、グループ解散後に結成したバンドによる約3年振りのセカンド(スカイウェイヴのもう1人のメンバー、オリヴァー・アッカーマンは、現在ア・プレイス・トゥ・ベリー・ストレンジャーズ<以下APTBS>のメンバーとして活動中である)。

 前作『Disapear』では、鼓膜を破壊するようなフィードバック(というよりハウリング)・ノイズにまみれたダークで不穏なシューゲイジング・サウンドを展開し、APTBSとの共通点を随所に感じさせた彼らだが、スクリーン・ヴァイナル・イメージやセリーヌ、ヴァンデルスらが所属するニューヨーク拠点のSAFRANIN SOUNDから、サウンドプールらを擁するボストン拠点のKiller Pimpにレーベルを移籍して作られた本作では、そこから一歩踏み出したサウンドスケープの構築に成功している。

 例えば冒頭曲「Stars Fall」では、フロントマン2人のハモリを強調し、続く「Never Make You Cry」ではJ−ポップも顔負けの哀愁メロディを披露。タイトな打ち込みビートとシンプルな循環コード、キャッチーな旋律やギター・リフがジーザス&メリーチェインを彷彿させる「Marianne」「It's Too Late」など、全体的にメロディの際立つ楽曲が並んでいるのだ。

 スカイウェイヴ譲りの爆音ギターも健在で、「Don't Leave Me Behind」では"アンプがふっ飛ぶんじゃないか?"と思うくらい歪みまくったギターを幾層にもレイヤー。ファズ、ディストーション、ワウの応酬はAPTBSとタメを張るほど凄まじい。

 この辺りのサウンドは、ニューヨークやロンドンでの人気に比べると日本での評価はまだまだ低いのが残念。特にペダル・エフェクター好きのギター・キッズにとっては、たまらなくツボなサウンドのはずなので是非チェックして欲しい。

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 本年度上半期、情けない男NO.1認定でございます。何なのこの情けないヴォーカルは! きらめくギター・サウンドは! まるで透明度の高い地下水脈を眺めているようだ。いまにも消え去りそうなファルセット。触れれば割れてしまいそうなガラスの歌声。哀感たっぷりのメロディ。言ってしまえばザ・スミスみたいな音楽なのだけど、だからといって素通りしてしまうのはもったいない。このバンドは弱々しい。だが、強気である。

 僕らは好むと好まざるにかかわらず、弱さを感じる音楽に惹かれてしまうところがある。実際、エリオット・スミスを代表に、弱々しさや情けなさが自然と滲み出てしまい、それが良さだと捉えられているアーティストは多い。しかし弱々しくもデンマーク出身の5ピース・バンド、ノーザン・ポートレイトのデビュー・アルバム『Criminal Art Lovers』は、開き直っていると言ってもいいんじゃないか。「俺たち弱々しいんだよ!」という逆ギレに似た男気を僕は感じてしまったのだった。もはや男気という言葉が仁義の世界でしか使われなくなってしまった時代にあって、情けなさというものを男気として押し出すこのバンドから僕は少しおかしな新世代感を覚えるのである。

 それが良い方向に働いているというのも、これまたおかしな話ではあるけれど、実際、サウンドの弱々しさが力強いというパラドックスがあり、「情けない音楽を作ろうとしている気迫」という男気を感じる。その気迫が生むサウンド・アンサンブルが絶妙で、繊細な美しさを持ち、するすると胸に沁みこむ音楽であるにもかかわらず、逆にスカッとするところもあるから不思議だ。本作の音が流れれば、曇り空など吹き飛んで、晴天と化すであろう。憂鬱などというものも吹き飛んで、瞬時に笑顔になるであろう。その爽やかなギターや決して肩がこらないリズム隊の清々しさといったら木漏れ日に文字通り力強い光を感じたときの気持ちになんだか似ている。

 男として生まれたからには堂々と生きたいものである。『Criminal Art Lovers』がまさにそうなのだ。ノーザン・ポートレイトは泣き出しそうな歌声で、情けなさを確信犯的に武器にする。ためらいなく武器にする。弱々しさを音楽性として捉えているそのさまの、開き直っている感じは堂々としていて新鮮だ。「情けなくて何が悪いんだ」とこのバンドは言っている。その強気な姿勢をこれからも貫き通せ。それが彼らの生きざまだ。ただ、ともすればザ・スミスそのまんまだと捉えられそうな音楽性は、もうちょっと薄くした方がいいと僕は思うよ。

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 地味ながらもいつも素敵な歌を届けてくれるシアトルのシンガー・ソングライター、ダミアン・ジュラード。最新作となる本作は、本国でのレーベル・メイトでもあるポップ職人、リチャード・スウィフトとの共同作業により制作された。これまでもケン・ストリングフェロー(ポウジーズ他)やデイヴィッド・バザン(元ペドロ・ザ・ライオン)などとのコラボレーションにより、様々な魅力を引き出してきたダミアンだが、本作でも新鮮な一面を覗かせている。

 ニール・ヤング直系の素朴なアコギの弾き語りを基調に、フィル・スペクター風のウォール・オブ・サウンド的なアレンジを大胆に導入し、フリート・フォクシーズやボン・イヴェールにも通じる美しいコーラス・ワークが効果的に挿入され、これまでの彼の作品の中でも最も洗練された手触りのサウンドに仕上がっている。

 マグリノリア・エレクトリック・カンパニー〜ソングス:オハイア、マーク・コズレック(レッド・ハウス・ペインターズ、サン・キル・ムーン)、ヘイデンといったアコースティックなSSWもののファンのみならず、普遍性を持ったポップ・ミュージックとして多くの人の耳に触れてほしい一枚。

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 音響、アンビエント、ミニマル・テクノ、ドローンなどあらゆる音楽ジャンルの垣根を自由自在に行き来し、エクスペリメンタルでフィーチャリスティックなサウンドを構築するブルックリンのユニット、グロウイング(Growing)が、早くも8枚目となるアルバムをリリース。しばらくデュオで活動していましたが、2009年の初来日ライヴではI.U.D.(ギャング・ギャング・ダンスのリジーとのユニット)やボアドラムとしても活躍する女性メンバーのセイディ・ラスカも加わって新生トリオとなって登場。デュオ当時の清涼的なアンビエンスやギターとエフェクターを駆使して生み出されるグルーヴとカラフルな音色にプラスして、ミニマルなリズム・マシーンとエフェクト・ヴォイスが効果的に入り混じり、更にとんでもないサウンドの極地へと到達して魅せてくれました。トリオ編成となって初のアルバムとなる今作は正に待望、そして期待通りの逸品。無数のエフェクトを駆使してサウンドを構築していくそのライヴ感と、更に強靭に磨き上げられたグルーヴィーなリズム・ワークで、もう完全ノックアウト。リズムを強くしたことによって、全体的にグロウイング史上最もポップな作品となり、もう病み付き系です。要ご注意を!

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14_TheHundredInTheHands_cover.jpg 洋服を選ぶセンスというものがあるように、今はもう、情報を選ぶセンスを持っていなければならないのだなと思う。音楽にも同様に言えて、いわゆる、おもちゃ箱をひっくり返したような音楽にしても、その箱に「何が入っているのか」が重要なわけなのだ。思うに、なんでも詰め込めばいいってもんじゃあない。そこにおいてNYはブルックリンの男女2人からなるユニット、ザ・ハンドレッド・イン・ザ・ハンズの顔見せ的EP「This Desert」がWarpから発表されたのだが、いや、これ、すげえ、いいじゃねえか、と、なってしまったのだった。ほんとうに、センスが良いものしか詰め込んでいない。

 一口に言ってしまえばエレクトロ・ポップスで、もうひとつ言うならばブロードキャストのビートを強くしたような作品なのだけど、澄ました顔で風を切って歩くようなスマートなその音楽性は、選びに選び抜いた高級ブランドのスーツやら時計を身にまとっているみたいな、とでも言うか、エレクトロニック音も、ダブも、高級感を感じさせる部分のみを抽出し、取り入れ、エコーを効かせ、つまりはエレガント・ポップスここにあり、なのである。エレノアが時々歌うウィスパー・ヴォイスも確信犯的なエレガンスがあり、悔しいほどスタイリッシュ。ギター・リフはソリッドだが、あくまで聴きやすく熱を抑制している。アナタちょっと格好付け過ぎでしょうよ、というところもあるがそれがいい。

 そもそもNYはヴェルヴェット・アンダーグラウンドやテレヴィジョンなど、アートの匂いがするバンドを生みだした場所でもある。中でもアート文化が盛んなブルックリンにあって、ザ・ハンドレッド・イン・ザ・ハンズはアートの匂いがするもののみ、自らの審美眼で選び、取り入れ、たちまち泥臭さなど微塵も感じさせないアーティスティックな佇まいの音楽を作ってしまう。同じくWarpのナイス・ナイスの新譜がおもちゃ箱になんでもかんでも詰め込んだ音楽だとしたら、ザ・ハンドレッド・イン・ザ・ハンズはバッグに香水やら趣味のいい財布を入れてる感じ。タイム感も抜群で、最近の流行の、あるいは話題のものを取り入れる。他のバンドを横目でにやりと笑いながら、さりげなく胸ポケットからサングラスを取りだす感じなんである。実際にサングラスかけてるし。

 とはいえ、秋に発表されるアルバムではメンバーのジェイソンいわく「僕たちの全体像が見える作品になっているはずだよ」とのこと。要はこのEPは彼らのひとつの側面に過ぎないわけだ。しかし、ここまで格好付けているからには、アルバムでは田村正和ばりに気取ってほしい(嫌味ではなくて)。さて、アルバムではどんなオシャレ・サウンドを詰め込んでくれるのか楽しみだ。スマートな音楽に違いはないのだから(嫌味じゃなくて)。

 ただ、ひとつふたつ言いたいのは、流行を追うだけのユニットには、なってほしくないし、ベックのセカンド・アルバムがそうであったようにダサおしゃれな一面も見てみたい。というか見たくてしようがない。しかしそれすらも難なくやってのけてしまうんじゃないかというエリート気質すら窺える。こんな良質なのに聴いていると悔しくなってくる音楽なんて中々ないよ。

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 まず、この変わったバンド名に驚き、引いてしまう人もいるかも知れない。恥ずかしながら筆者自身が実はそうで、名前は知っていたがしばらく彼らのことを敬遠してしまっていた。しかしジャパニーズ・シューゲイザー界隈での評価はすこぶる高く、その存在は気になる一方で、あるとき本作を偶然手にしてからというもの、今はことあるごとに聞き返してしまうほど中毒的にハマっている。

 死んだ僕の彼女、あるいはmy dead girlfriend(大阪のシューゲイザー系レーベルに所属するboyfriend's deadとは別)という名で活躍している彼らは、男3女2で構成されたバンドである。08年にNATURAL HI-TECHからリリースされた、少女スキップとのスプリット・アルバム「Sweet Days And Her Last Kiss」には、cruyff in the bedroomのハタユウスケ(ヴォーカル&ギター)がプロデュースを手がけた4曲が収録されているが、本作は、そんな彼らのファースト・ミニ・アルバムだ。

"イシュタム"と発音するアルバム・タイトルは、マヤ神話に登場する同名の「自殺を司る女神」から取ったものだろう。だとすれば、「死んだ僕の彼女」が「どのような死を遂げたのか」も否応なく想像出来てしまう。しかも本作の歌詞を見てみると、「腐乱した君の死体 最後の夜だとしても 一緒にいれてよかった」("WATASHI NO AISHITA MANATSU NO SHINIGAMI")、「汚れた 水の中 浮かんだ 右足」「浮かぶ死体 つまずいた」("12GATSU, POOLSIDE, UKABU SHITAI")など、不穏でグロテスク、一縷の救いも希望もないようなフレーズが並んでいる。

 だが、ひとたびアルバムを再生してみると、拍子抜けするぐらい穏やかで暖かなサウンドが流れ出す。ざらついたコード・バッキングとキラキラしたアルペジオが、ゆったりとしたリズムの上で混じり合う様子は、まるで春の木漏れ日のように心地良い。シューゲイザーだけでなく、ギャラクシー500やマジー・スターら、ヴェルヴェッツ直系のサイケデリアからの影響も強く感じさせる。男女混成ヴォーカルによって甘く囁くように歌われるメロディも、一度聴いたら病みつきになるほどポップだ。

 絶望的な歌詞と、夢見るようなメロディ。しかしこの組み合わせが実は曲者で、油断しているとまるで体に毒が回っていくように聴き手の希望を奪いさる。気付けば黄泉の淵で1人呆然と立ち尽くす自分がいる。永遠と続く死の世界で流れ続けているのは、きっとこんな音楽なのかもしれない。

 レコーディングとミックスを手がけたのは、元スパイラル・ライフの石田ショーキチ。彼らの類い稀なるポップ・センスを見事に引き出している。
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