アフィー『セックス・ドリームス・アンド・デニム・ジーンズ』(Because / Elektra / Warner)

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 昨今のSATCを巡る熱狂というのは奔放な女性(女の子ではなく)の人生を生きる事が出来ない女の子(女性ではなく)の生物的なフラストレーションが歪な形で爆発したというコンテクストを敷けばいいと思うが、勿論、そこには「男」は介在しないのが面白い。そもそも、韓流ブームにしても、婚活ブームにしても、実はそこに「実在の男」は存在しなくて、彼女たちが描く「在るとしての、男」が幻像的に揺らめくだけであって、人間しか残らないという考えを援用した上で、ハイデガー的な解釈論が必要になる。

 けれども、凡庸な男性/女性への彼岸の目だけでは掴めない。寧ろ、その男性の「生の事実」だって、ふだんは茫漠としたままになっているか(生の朦朧性)、あるいはそこに埋没した耽落(Verfallen)のままにあるというのが現代の陥落でもあって、死や否定や負といった回路をいったん媒介にして、「現存在」(Dasein)という新概念として、次に投入する必然性が女性側に求められているとしたならば、今とは、リトル・ブーツにしても、ラ・ルーにしても、女性の感度は弱くなっていると言わざるを得ないのだ。現在のリリーアレンだってそうだろう。何故なら、朦朧と存前する男性に翻弄されているのは逆説的に女性側だからだ。

 そういう意味で言うと、2006年から熱狂的に男性/同性からも愛され、ファッション・アイコンとしての存在も大きくなっていたアフィの存在とは「在る、女性」そのままだった。

 MySpaceで発見されたという意味ではリリーアレンには近い部分があるのだが、彼女の場合はもう少しクラブ寄りでスタイリッシュさがあり、サブカルチャー的な雰囲気を忍ばせていた。ミルウェイズ、セバスチャン、フェッズといったフレンチ・ハウスのブレインが彼女を固めたという意味もよりクールな度合いを強めていったのも大きいだろう。

 素晴らしいEPを発表しながら、また、それらが全てクラブでパワースピンされるという状況にありながら、フルアルバムに関してはなかなか出る気配が無かったが、今回満を持して、『SEX DREAMS AND DENIM JEANS』という彼女らしいタイトルの作品が届けられた。これまでのシングルも勿論、全部入っており(特に「Pop The Glock」はポップさとキュートさを併せ持ったエレ・ポップの名曲)、リード・シングルのファレルとの「ADD SUV」も3曲目に入っており、他にもスージー・アンド・ザ・バンシーズの「香港庭園」のカバーなど、ファーストにして彼女のポテンシャルがいかんなく発揮されたものになっている。いかんなく発揮されたということは、つまりは、もう曲の表情はバラバラで、エレ・ポップもあれば、マッシヴなダンス・チューンもあれば、ヒップホップまでスキゾなこの数年間の実験結果を詰め込んだというものになっているということだ。それなのに、ポップ・ミュージックを聴く時のような軽やかさが全体を通底しており、散漫な印象は全く感応出来ない。

 今や、「一定方向のコース」を懸命に走り続けるパラノ型の資本主義的人間類型は、デッドエンドを迎えるしかない。そのあとに来るべき、アフィとは、ありとあらゆる方向に逃げ散っていくスキゾ・ガールとしたならば、ハードな管理下で懸命に自分の存在を捉えさせないようにする絶滅危惧種とも言える、「女の子」なのかもしれない。そしてまた、制度的な〈大文字の他者〉はもとから〈象徴界〉の次元であったとして、〈大文字の他者〉を脱構築することは象徴交換のヒエラルキーなきゲームを可能とするのではなく、〈象徴界〉それ自体を無化してしまうことだとしたならば、その結果として〈想像界〉的なアイデンティティに沈み込む「居直った子供」が現れるのは当然なのだ。アフィの居直りと逃げ方は多くの人を救う可能性を秘めている。レディー・ガガのような振り切り方じゃなくても、こういった形でちゃんと「女の子」はスマートに時代を泳いでみせるのだ。今年のダンスフロアーで彼女の声を聞かない日はないのではないだろうか。キュートで好戦的な快作。

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