June 2010アーカイブ

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いわゆる「同人音楽」もしくは「ZINEの精神を持つ音楽」に関してレポートするこのコーナー、実はすでに2本の取材(インタヴュー)が終わっており、第3弾として誰にインタヴューするかも決まっています。

取材済のものに関して言えば、第1弾はマルチネ(maltine)・レコーズ、第2弾はツイットゲイザー(もしくはツイーツゲイザー:Twitsgeizer)のみなさん。

「Coming Soon」状態で、すみません...。なる早で、がんばります!

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メディアに掲載される文章には、さまざまな意味がある。クッキーシーンのようなメディアであれば、当然「(音楽をはじめとする、いい表現に出会ったとき、それを)紹介(しないではいられない衝動を、ある種の客観性とともに提示する)」というスタンスが最初に来る(べき)なのだが、それがある種の「批評」的な形をとることも必然的にありえる。そしてクッキーシーンは、こんなスタンスをとっている。もし理想的な「批評」が存在するとすれば、そこはほかの誰かの「考察」に役立つべきであり、それが「議論」に結びつけばばさらに嬉しい。

というわけで、このコーナーがスタートしました。わりと「論議」を呼びそうな文章は(ほかのコーナーではなく)ここに掲載します。

それらに対する、あなた自身のご意見(別に「反論」じゃなくてもいいですよ:笑)も求めています。

このコーナーに掲載されたもの以外の文章に対するご意見ご感想も、もちろん常時募集しています。でもって、それをこのコーナーに掲載させていただく可能性アリ! ってことで...!

しょっぱなの今回は(ぼくが見る限り)誰もが絶賛している、小沢健二のライヴに関する、松浦氏の文章です。これを読んで、あなたはどう思われたか? 知りたいです...。

FEEDBACKコーナーから、是非。

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THE DRUMS

美しくシンプルなメロディとリリック
この組み合わせに勝るほどパワフルなものはないよ


この夏を彩るとびきりなファースト・アルバムのリリース直後という、絶好すぎるタイミングで初来日を果たしたザ・ドラムス(The Drums)。一般的なインディ・バンドにないクールな雰囲気を漂わせながらも、愛するバンドの話題となると目の色が変わる彼ら。大盛況だったライヴの翌日、ヴォーカリストのジョナサンとドラマーのコナーに、レコードでのイメージを覆す「熱い」パフォーマンスから、「ザ・ドラムス以前」の過去、音楽的なバックグラウンドに至るまでの話を聞いた。

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ALL photos by Kenji Kubo

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 軽快に跳ね回るメロディに、複雑な展開をするメロディ、ファルセットのヴォーカルと整ったハーモニー――アート・ポップ×プログレと表現されるその音楽性は、膨大な情報量とキャッチーさを同居させている。しかも、韻を踏んだり、ダブル・ミーニングを込めてみたりしたりした歌詞にはヴァンパイア・ウィークエンドもかくやの知性の高さとユーモアを感じるし...この「Schoolin'」という曲を形容するのに僕はほとほと悩んでしまう。それほど、オリジナリティがあるのだ。

 ビートルズやスミス、それにレディオヘッドやクラフトワークにスティーヴ・ライヒといった実験的なアーティスト、更にはマイケル・ジャクソンやRケリー、ビヨンセといったメインストリームまでを並列する影響源には驚くが、楽曲を聴くとなるほど、納得してしまう。このマンチェスターの4ピース、エヴリシング・エヴリシングはそんなバンドだ。

 これまでに4枚のシングルをリリースしただけのニュー・カマーだが、本国UKでの話題は凄いことになっている。毎年、その年のヒットを予測するBBC SOUND OF 2010にノミネート。また、参加したバンドはほぼ特大のブレイクをしていくNMEレーダー・ツアーではヘッドライナー、今後絶対無視できない存在であることは明白だ。

 1stアルバム『Man Alive』は秋のリリース予定。だが、その前に彼らを知るのに最適な日本企画盤EPがこの作品だ。冒頭に上げた最新シングル「Schoolin'」を筆頭に、『Kid A』時のレディオヘッドを思わせる「Making Some New Sense」やフューチャーヘッズばりに突っ走る「DNA Damp」など粒ぞろいの楽曲を収録。デルフィックやハーツ(Hurts)と並び、マンチェスターの新世代を担うこのバンド、サマソニのステージは絶対見ておいたほうがいい。
(角田仁志)

*日本盤は7月7日リリース予定。【編集部追記】

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 スクリャービンの音楽に対する神秘主義に依拠した思想にこういったものがある。「音楽とは単なる娯楽ではなく、世界の背後に存在する神の智恵の表れであり、だからこそ、これを使って人々を法悦の境地へ導き、神との合一を経験させ、通常の人間を超越した存在へと解脱させることができる」。何とも、昨今のスピリチュアリズム界隈の気配とリンクしてくるものさえ感じるが、実際に生まれた彼の作品における交響曲第4番「法悦の詩」での調性の超越や交響曲第5番「プロメテウス--火の詩」では、鍵盤操作に応じて7色の光をスクリーンや合唱団員の白い衣装に映し出す「発光ピアノ」を考案するなど果敢なトライアルをしたのも事実で、加えて、とても光彩豊かな音を放っていた。特にスケールの大きさ故に、未完に終わった「神秘劇」では、さらに踊りやお香も加える構想でもあった。

 スクリャービンを参照にするまでもなく、スペクタクル、神秘主義とスケールの混ぜ合わせた大文字の音楽への希求を目指したバンドには枚挙にいとまがないが、ブリット・ポップと言われるムーヴメントの中で華麗に現れたクーラ・シェイカーはその一つだろう。

 ここで、ブリット・ポップについて補足説明をするに、狭義として93年~96年に起こったブリティッシュ・ビート懐古主義的なムーヴメント(でも、確かに95年8月のブラー「カントリー・ハウス」対オアシス「ロール・ウィズ・イット」シングル同時発売とかUKの公共放送でも流れていたので、やっぱり「社会現象」なんだろう。)を指す。

 とはいえ、ブリット・ポップを「音楽面」としてだけ捉えるのは浅愚というもので、アート・カルチャー側からのルネッサンスの様相もあった訳でもある。ただ、日本のバブルの時のように「何も残らなかった」現象性の高さ(その裏で秀逸な作品もあまた出たが)について、僕は蜃気楼のようなものを感じてもしまう。

 作品的には、94年のオアシス『Difinitely Maybe』、ブラー『Palk Life』、95年のパルプ『Different Class』、ザ・ブー・ラドリーズ『Wake Up!』、96年のザ・ブルートーンズ『Expecting To Fly』辺り、その他、ジーン(GENE)やシェッド・セヴン(SHED SEVEN)とかスリーパー(SLEEPER)などが犇き合っていたが、その狂騒の中で、燦然と96年のクーラ・シェイカーの『K』があった。クリスピアン・ミルズのスマートなルックス、アロンザのベースやインド文化や仏教のエッセンスを程良く入れながらも、シンプルなギターロックを鳴らす様など、全てが眩いまでに、格好良いロック・バンドとしての基準を整えていた。ディープ・パープルの「Hush」のカバーも手堅かったが、クリスピアンの神秘主義への傾倒、物議を醸した幾つもの発言、そして、バンド総体の不調和、セカンド・アルバムで膨大な制作費を投じた結果に辿り着いた表層的なサイケデリアの頃には、ブリット・ポップは完全に終焉を迎えており、彼等自身の役目も終える事となった顛末は周知だろう。

 その後、クリスピアンは3ピース・バンドで簡素なロックンロールを鳴らすザ・ジーヴァスを結成したり、他メンバーもバンド活動を行なうようになり、元々構成されていたクーラ・シェイカーとしての4人は離散することになった。

 しかし、まさかの06年の再始動、その年のフジロックでの鮮やかなパフォーマンス、レイドバックはしたものの、バンド名義としての手触りがしっかり感じられる07年のサード・アルバム『Strangefolk』は軽やかだった。セッションを楽しむような通気性の良さだけが刻印され、バンドとしての上昇気流も闇雲なヴァイヴも、もうそこにはなく、オーガニックで有機的な音楽を続けて行く、という意志に満ちていた。そのフェイズは更に推し進められ、今回の新作『Pilgrim's Progress』にも継承されている。ただ、これが決して悪くないのだ。「Hey Dude」、「Tattva」はおろか、ドライヴするロックという要素因さえないのに。

 このアルバムを聴いていると、70年代初頭のブリティッシュ・フォーク・トラッドのムード、また、フェアポート・コンヴェンション、スティーライ・スパン、ペンタングル、リンディスファーン、インクレディブル・ストリング・バンド、ドノヴァン、などの音が自然と想い浮かぶ。そこに、シタールやタブラといったインド風のまろやかなサウンドが加えられ、全体的に力が抜けており、エッジはない。ふと気付けば口ずさんでしまうような伝承歌のような可愛いらしいメロディーが並び、楽器にしてもチェロ、サントゥール、パイプオルガンやマンドリンなど多数を使いながら、基軸はアコースティック。かといって、ザ・コーラル辺りがふとみせるディープなサイケデリアもなく張り詰め方もなく、森の中で輪を囲んで楽しくセッションをしているような内容を喚起せしめる。実際、ベルギーのアルデンヌ・フォレストの中に建てたスタジオで余計な情報を遮断して、これらの音を一から固めていったのだという。

 ロック・バンドには、色んな転がり方がある。ずっとエッジを尖らせ、ラジカルに方向性を進めていくものもいいし、形態を変えながら、それでも、初期衝動を忘れないでゆくのもいい。但し、彼等のように、「緩やかに円熟してゆく」というのも一つの正解なのだと思う。遠景にモリコーネの影が視え、ジョージ・ハリスンの笑顔が浮かぶ。こんなに誰も非難せず、「仲間を要求する」音楽には久し振りに会った。

 ちなみに、スクリャービンの話に戻ると、彼は若い頃には後年の作品からは想像が付かないほどロマンティックな美しいピアノ曲を書き、一時は"ロシアのショパン"と呼ばれていた。逆に、クリスピアン・ミルズの書く曲がここに来て、もっとも美的な閃きが高いようなものになっているのも非常に興味深い。柔らかい質感にも芯が通った佳作だ。

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 安全なロックってどうなのよ! なんて感じながら、良くも悪くも当たり障りのない、このロック・ミュージックを聴いていて思うわけです。が、しかし、同時に、「これ、かっこいいじゃないか」と、思ってしまうのも確かで、全然好きじゃないよ、こんな音楽、などと毒づきながらも、なぜだろう、どうしよう、聴いちゃうんです。悔しいけど。

 ザ・ストロークスやベックと比べられているらしいけど、なるほど、確かに初めて聴いたときはストロークスに似ている、であるとか、ベックの『Modern Guilt』っぽいところもあるよなあ、と、僕も思った。けれども、ストロークスほど遺脱したロックではないし、ここ数年のベックほど作り込んでいない。ニューヨーク出身、ダーウィン・スミスのソロ・プロジェクト、ダーウィン・ディーズの『Darwin Deez』、これは良い。

 何が良いって平和的。高らかに不満をぶちまけるわけでも皮肉を発するわけでもなく、終始和やかに奏でられる音の全ては決して敵を作らないやさしさに満ちている。いわばこの音楽は無敵である。敵を作らなければ無敵なのです。ロックがカウンター・カルチャーである時代は終わったのです。なんてことを思わされ、気持ちが広々としたまま一気に聴ける本作。実にグッドじゃないですか。そもそもがシンガー・ソングライターである彼の紡ぐメロディは繊細で、ぶっきらぼうなところはなく、あくまで丁寧。エレクトロニック音やギター・サウンド、渋みのある歌声もやはり丁寧。時々見せるファルセットもまたしかり。アルバム全体の表情は豊かとは言えないけれど、1+1を4や5にするのではなく、1+1を2にすることの足し算の正当性をきっちりやり続けている真面目さがあって、良い意味で優等生的な音楽になっている。かつ、シンプルなロック&ロールへの敬意がうかがえるサウンドは清々しい心地に溢れ、だから聴いてしまうのだった。やはり、これは、良いのである。

 ただ、だからこそシンプル性で勝負してほしかったなと思ったのも事実。歌声にエコーを効かせ、大胆にハンド・クラップをサンプリングし、遠近感を巧く使ったミックスも功を奏しているけれど、それはアニマル・コレクティヴや他のバンドにも共通するもので、他のアーティストと比べた場合、埋没してしまう可能性も孕んでいる。今後は自分のアイデンティティは何なのかを探り、それを深く追求することが課題になるのではなかろうか。しかしそれを差し引いても良い出来。ダーウィン・スミスによるギター一本の弾き語りも聴いてみたくなった。きっと素晴らしいに違いない。とにもかくにも、まずは本作を堪能しようじゃないか。一曲目だけ聴いてストロークス・フォロワーなどと言う輩がいようものなら、ドロップキックをお見舞いさせて頂きます。

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 NYの不良達がロックンロールを燃料に縦横無尽と転がっている。4ピース・バンド、エレクトリック・ティックル・マシーンの記念すべきデビュー・アルバムからは、ヘッドフォンやスピーカーからはみ出すような熱気や奔放さが伝わる。骨太にギターが掻き鳴らされ、トーマス・オリビエが飛び跳ねるような声を張り上げるロックンロールもあれば、古き良き時代を継承した、サイケデリックでメロウなメロディラインが響く楽曲も垣間見える。吐き捨てるようなロックというよりは、馬鹿騒ぎに近いか。

 アルバムを通して聴いた後の気持ちよく汗をかいたような爽快感は、全力疾走後の余韻に酷似している。ボーナス・トラックのガス欠っぷりがまさに象徴的でたまらない。テンポ的には早い曲は多くないのだが、その勢いと躍動さから、どの曲も爆走しているような錯覚を体感する。その律儀で不器用なまでのストレートさを武器にして、どこまで飛躍できるか、これから非常に楽しみである。それはすなわち本作がアルバムとしての完成度が高いだけでなく、今後の更なる進化を期待せざるを得ないアルバムにもなっているということであろう。

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 シカゴを拠点に活動する宅録系シューゲイザー・バンド、パンダ・ライオット。本作は、2007年に自主レーベルPanda Riotからリリースされたファースト・アルバム『She Dares All Things』から、およそ3年振りの新音源(5曲入りミニ・アルバム)である。元々は2005年、マルチ・プレーヤーのブライアンとレベッカ(ヴォーカル)により結成されたユニットで、今作からはジャスティン(ベース)とメリッサ(パーカッション)も加入し男2女2のバンド編成となった。とは言え、基本的なサウンド・プロダクションに大きな変化なし。アルバム・クレジットを見ると、相変わらずシカゴの自宅スタジオにて録音からミックスまで、全てを本人たちが手がけているようだ。

 彼女たちの特徴は、なんといっても清廉で無垢な楽曲にある。ハーモナイザーで加工したと思しきレベッカの声が、ポップで耽美的、かつオリエンタルな風味も散りばめられたメロディに乗って、ふわふわと天上を舞う。さらにエンジェリックなコーラスが幾層にもレイヤーされていく、この世のものとも思えぬような多幸感は、コクトー・ツインズやラッシュ、最近ではスクール・オブ・セヴン・ベルズ辺りを彷彿させるものだ。タイトなリズム・マシンと流麗なシンセ、ファズやコーラス、リヴァース・リヴァーブなど様々なペダル・エフェクターを組み合わせた、ノイジーなグライド・ギターの組み合わせも心地良い。この辺りのサウンド・センスは、先に挙げたスクール・オブ・セヴン・ベルズはもちろん、M83やマップスらとの共通点も見出せるはずだ。

 捨て曲なしの名盤だが、中でも最終トラック「16 Seconds」は白眉。トレモロ・アームによって歪められた、たった3〜4コードの上でコロコロと展開していくメロディが聴き手を白昼夢へと誘う。

 昨今、絶賛リヴァイヴァル中のネオアコにも通じる清涼感あふれるサウンドは、うだるような暑さが続く、これからの季節にピッタリだ。

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 こんなこと、レビューで書くのはあまりにも当たり前すぎるし、何だか言い訳じみて聞こえてしまうのだが、やっぱりバンドは見た目じゃない。例えばザ・ドラムスの格好があまりクールじゃなかったとすれば「もったいない」と思うかもしれないが(実際は激クール)、バンド・オブ・ホーゼズの場合、彼らのような「冴えないアメリカン」がやっているからこそ信用できるということもあるのだ。音楽的には前作とほとんど同じ牧歌的なフォーク・ロックだが、それらは一層深い深い悲しみを湛えていて人々の心に染み込んでいく。「Is There A Ghost?」という大アンセムが一際光っていた前作と比べ、全体の楽曲のクオリティも格段に進歩している。「良いけど印象に残らない」という声を完全に払拭した傑作だ。ふむ、やはり音楽がパソコンやiPodで聴かれる時代になろうとも、みんな温もりを求めているんだね。「角の立っていないフリート・フォクシーズ」では失礼になってしまうか。「アメリカのコールドプレイ」ではどうだろう。これは決して揶揄なのではなく、(私がコールドプレイの大ファンであるという事実も踏まえながら)最大限の賛辞として彼らに送りたい。
(長畑宏明)

*日本盤は7月7日リリース予定。【編集部追記】

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 紛らわしいので最初に説明しておこう。このリッシーというアーティストは、昨年デビューEP『Self-Taught Learner』が話題を呼んだNYのモデル兼SSWとは一切関係ない。

 本名はリッシー・モーラス、カリフォルニアのSSWだ。だが、同じくSSWといっても、音楽性は全然別。こちらはカントリーやフォークなどとロックのヴァイブをあわせたサウンドが特徴的だ。

 デビューEP『Why You Runnin』は、バンド・オブ・ホーセズのベーシストであるビリー・レイノルズがプロデュース。スティーヴィー・ニックスやシェリル・クロウを引き合いに出される、たくましさと麗しさを兼ね備えたサウンドにブロガーが反応、話題を巻き起こしてきた(特に、レディ・ガガ「Bad Romance」のカヴァーは必見!)。そして、この1stアルバム『Catching A Tiger』が到着した。トム・ウェイツやキングス・オブ・レオンを手がけたジャクワイア・キングがプロデュースし、全体的にはワイルドでトラディショナルな彼女の魅力が光る出来になっている。シングルとなった「In Sleep」では、広大で岩がちなLAの大自然が眼前に広がるようだし、ゴスペルの要素を取り込んだ「Bully」では彼女の力強く澄んだ歌声を聴くことができる。気高く、美しい作品だ。

 00年代にはニーコ・ケースやジェニー・ルイスがいた。そして、始まったばかりの10年代、僕らを魅了するアメリカーナの候補はこのリッシーだろう。ピアノ1本で広大な自然について歌いあげる、ラストの「In Mississippi」を聴くにつけ、豊かな金髪と青く澄んだ瞳のこのSSWに僕は期待してしまうのだ。
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