ジェイミー・リデル『コンパス』(Warp / Beat)

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 2008年に昼下がりのフジロックで見たジェイミー・リデルのパフォーマンスには本当に驚かされたものだ。(おそらく)本人の資質以上に、過剰なほどエンターテイナー然としたパワフルなソウル・アルバム『Jim』の世界観そのままに、締まりのきいたバック・バンドの演奏に合わせて感情豊かに歌いあげたかと思うと、ラップトップをいじくりだしてバンドの演奏や自らの声を取り込み分解・再構築し、電子音とともにループさせながら放出。小気味いい音の刻みは観客を熱狂させた。<ワープ>の誇る鬼才がどういったセンスの持ち主なのかをショーケース的にも魅せる、圧巻のステージング。この人は何でも出来てしまうんだな、と関心させられた。

 テクノ畑からR&B的な歌ものに転向し異色の道を歩んできた彼は、この2年で更なる変化を迫られたようだ。大きかったのはパリからNYへの転居、そしてベックが最近熱心に取り組んでいるRecord Clubのレコーディングへの参加。その光景はベック自身のホームページで観ることが出来るが、たった一日でクラシックな名盤を丸ごと再現するこの企画は、ジェイミーに限らず参加しているどのミュージシャンもそのセッションを心底楽しんでいる様子が印象的だ。その経験がよほどのインスピレーションを生んだのだろう。彼はそのとき組んだミュージシャンと共に自分の変化を表現することを選んだ。

 既に各メディアで報じられているように、本作『Compass』においてはベックやジェイミー作品の常連メンバーであるチリー・ゴンザレス(むしろ、本当はこの人こそがもっと語られるべきだと僕は思うけど)の他に、レスリー・ファイスト、ウィルコのパット・サンソーンといったRecord Club人脈でもある豪華ミュージシャンの参加が話題となっているが、サウンドの肝となっているのはドラムのジェイムス・ガドゾン(かつてクインシー・ジョーンズのバンドにも参加、過去にはマイケル・ジャクソンやマーヴィン・ゲイともプレイ)と、ベースのダン・ラスチャイルド(シェリル・クロウやMIKA等のライブで演奏)が主に担っているボトム・ラインだろう。

 前作『Jim』が軽快で晴れやかなソウル・サウンドなら、本作の前半に収録された楽曲はねちっこくディープなファンク的要素が滲み出ている。太く柔軟な音の出せるリズム隊とブレイク・ビーツに支えられ、奇抜でハイファイなエレクトロ・サウンドと卓越した生楽器の演奏が飛び出し、そして表現力を増したジェイミーの歌声がもつ存在感は、さながら過去のレジェンド・シンガーのそれに匹敵するようですらある。白眉はやはり、ジャクソン・ファイヴへの露骨なリスペクト精神みなぎる「Enough's Enough」だろう。イントロのひしゃげたキーボードの音色はある種のノスタルジーを喚起させ、ファイストとニッカ・コスタによるコーラスは楽曲にチャーミングな幅をもたせている。最高にファニーな一曲だ。

 アルバムの後半における暗く静謐で、ときにフォーキーなナンバーからは、これまた本作の制作に参加しているグリズリー・ベアーの面々からの影響が色濃く反映されている。既に<ワープ>の20周年BOXにおいてもジェイミーは彼らの「Little Brother」をリミックスしてその愛を表明していたが、ここまで影響を受けるとは正直、意外だった。前作までのファンは、あまりにも赤裸々な彼の姿を前にして、ここで一度面喰ってしまうかもしれない。

 2年間のあいだに彼に訪れた最たる変化が「愛する女性との別れ」であることは容易に検討がつく。この、人間の制作意欲を最も駆り立てる普遍的なテーマは、作中の歌詞においてところどころ匂わせられている。たとえば、先行シングルでもあるエレクトロ・ソウル「The Ring」では"She is just a dream, he is just a dreamer"と身も蓋もないフレーズが何度もリフレインされる。日本国内のメディアの一部は「最高のエンターテイメント」といった賛辞をところどころ寄せているようだが、本作はそういった単純明快な類のものでなく、(青臭い表現を許してもらえば)深く悲しい困難と対峙したジェイミーが、自らの心が次に赴くべき行き先への道しるべとなる「コンパス」を探し求めるあいだの葛藤を複雑なサウンドで描いている。娯楽として楽しむにはやや重苦しくプライベートな作品だ。

 そういう流れがあるにせよ、僕個人としては(クレジットはジェイミー本人になっているが、実質上の)ベックのシリアスすぎるプロデュースは、先にリリースされたシャルロット・ゲンズブールのアルバム『IRM』に引き続き、少し生真面目すぎる気がしないでもない。シャルロットの作品でも彼女及び彼女の父親であるセルジュ(特にベックが無人島レコードと位置付ける名盤『メロディ・ネルソンの物語』)への偏愛ぶりは過剰なほど伝わってきたが、もう少しポップに消化・発露できたのではないかという不満は残った。ここ最近のベックの活動で、かつて「何でも出来てしまった」頃の彼が溢れんばかりにもっていたユーモア・センスがいささか減退傾向にあるのは正直、寂しく思う部分もある。

 とはいえ、ジェイミーの真摯な姿勢には心から拍手を送りたい。一か月の短いスパンでほとんどの楽曲が収録されたとは俄かには信じがたい、緻密でダイナミック、そして彼にしか表現できないハイブリッドな音世界がここでは展開され、さらに今後のさらなる成長をも予感させる。一曲目の「Completely Exposed」で彼は自らの心を(その曲名どおり)完全に曝け出すことを決心し、最終曲の「You See My Light」で愛という名の光明をもう一度見つけなおしてアルバムは幕を閉じる。強い既視感を覚える成長物語ではあるが、だからこそなんとも素敵じゃないか。

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