ホール『ノーバディーズ・ドーター』(Mercury / Universal)

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 コートニー・ラヴという人は本当に! スキャンダラスな話題ばかりを振り撒いて、すっかりゴシップクイーンに成り下がってしまったかと思っていたら、いつのまにこんなアルバムを作っていたのか! しかも12年ぶりのホールの新作とは! 曲作りをしている、レコーディングをしているという話だけは伝わってきていたが、ホール復活どころか再び歌ってくれるのかどうかすらわからなかったこの数年、彼女の声を待ち侘びていた者としては、どんなに悪い噂が彼女を取り巻こうとも手放しで迎え入れたい気持ちだ。

 なのに、首から下のマリー・アントワネットの肖像といい、「ジェーン・グレイの処刑」の画といい、随分と不吉な暗喩を含んでいそうなジャケットには、華々しいカムバックの雰囲気は感じられない。昨年末にカートの忘れ形見フランシスの親権を再び剥奪されるという、最近で一番悪いニュースであったに違いない事件の後に『Nobody's Daughter(親なき娘)』というタイトルを冠してしまうなど、この作品には悲痛で哀しい彼女の数年が刻み込まれているのだ、ああどれほどつらい日々を送って来たのか、と私は思った。実際、前作『Celebrity Skin』を包み込んでいた、ロサンゼルスの波のようにキラキラとした希望の光は見当たらず、どこか陰欝で暗い雰囲気が漂い、コートニー独特のポップさも派手さも鳴りを潜めている。意外にもファースト・インプレッションは暗く哀しい作品というものだった。

 しかし、シンプルなギターのストロークと彼女の声がいつまでも耳に残る。ヘッドフォンを外しても頭の中で彼女が叫ぶのだ、「あたしは生きる、あんたはどう?」と。昔と少しも変わらない、ハスキーで投げやりにも思える歌声には随所に彼女の鼓動が息づいていて、咆哮とも叫びともつかない生への渇望に満ちたその声が、これまでのどの作品よりも生々しく、そして痛々しく私達に届く。無駄なものを一切入れずストレートに作られたサウンドは、より彼女の声を引き立たせてリアルなものにし、心の深いところに容赦なく真っ直ぐに入ってくる。美しい言葉とスラングが混在した歌詞には絶望や希望が交差し、混沌としながら愛を欲する彼女の内面がとても私的に記されている。タイトルトラックである「Nobody's Daughter」はコートニーの手を離れてしまったフランシスのことだとすぐにわかるし、「Honey」にはカートへの想いが綴られている。「Samantha」で娼婦に自身を重ねつつも、「Letter To God」では"Can you help me?"と神に救いを求める。その叫びは痛々しくこそあれ、弱さは少しも感じられない。これは哀しい作品なんかじゃない。生きようとする強い意思の表われた、まさに復帰にふさわしい作品だ。これこそが彼女の傷だらけの生き方なのだ。悲劇のヒロインなどコートニーには似合わない。

 コートニー・ラヴという人を知ってから15年近く経つ。彼女の声が好きで、ルックスが好きで、破天荒な生き方が好きで、ずっと彼女を追いかけてきた。しかしここ数年、耳に入ってくるのは心配なニュースばかり。ゴシップやトラブルにまみれ、彼女の姿は見えなくなりかけていた。私の好きなコートニーはどこかへ行ってしまったのか...と思いかけた時、この力強いアルバムとともに彼女は戻ってきた。苦しい時ほど歌えと言わんばかりに。見失いそうだった彼女は今しっかりとここで歌っている。失って失って傷つけ傷ついてきた彼女は、それでも生きるのだと再び前を向くことを選んだ。そして今の彼女にはホールという居場所がある。支えてくれるメンバーがいることで、もっともっと自由に歌えるはずだ。コートニーにはソロアーティストとしてよりも、もちろん女優やパーティーに顔を出すセレブとしてなんかよりも、バンドを率いるフロントマンとしてステージに立つのが似合っている。下着のようなドレスから白く長い手足を放り出して、ギターを掻き鳴らしがなる姿はこれからもずっと私の憧れだ。

 彼女を好きじゃない、むしろ嫌いだという人は多いかもしれない。ほとほと愛想を尽かしたという人もいると思う。けれど自分にまとわりつく数々の雑音を、ここまで力強いパワーで跳ね返せる人はそうはいない。どうか彼女の外側で起こる出来事に目を向けるのではなく、内側から生み出される力を感じてみて欲しい。私達が思っている以上に必死に、一生懸命に、純粋に生きているのがわかるはずだから。

 PLAY THIS RECORDING VERY VERY LOUD PLEASE. - 彼女がこうライナーに記した通り、ぜひ大音量で彼女の鼓動を聴いて欲しい。

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