PERFUME「不自然なガール/ナチュラルに恋して」CDS(Tokuma)

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 90年代に見せた小室哲哉のプロデュース作品の持っていた躁的なムードと市場での受容のされ方は、経済学的に言うと「失われた10年」という記号と共振するところがあって面白く、それは日本のガラパゴス化が既にその頃から始まっていた証左だと思う。金太郎飴のようなエレクトロ・サウンド、15秒のサビに全てを掛けた構成、大きい文字の羅列の歌詞、あらゆる要素が「自意識」のソトで鳴り響いてしまうという皮肉を内包していたが故に、その後の小室哲哉の衰微と比して、ミスチルが「自意識」のウチで勝ち続けたという事は象徴的かもしれない。

 ポスト・モダンからロスト・モダン、そして、パスト・モダンへ。

 過去を振り返る為に「近代」があるとした時期に、中田ヤスタカはブレイクしたと定義付けるなら、大胆な80年代的なニュー・オーダーに代表される薄いサウンド・レイヤー、ダフト・パンク的なコンプがかかった意匠、露骨なハウスの元ネタへのオマージュを「メタ」に再構築して、一気に時代の寵児になり、街中にこれの過剰なまでの情報量の多いサウンドが溢れさせる事にした時代の要請とは僕は逆に漸く、日本は「戦時中」だという事を無意識裡にでもインストールさせたのか、と思った。

 それは例えば、『地獄の黙示録』の船で「王国」を目指すべく、川を昇る時にラジオから流れるローリング・ストーンズの「サティスファクション」と、プライマル・スクリームが00年と共にケミカル・ブラザーズと組んだアシッドな「Swastica Eyes」のPVに出てくる次々と衣装(意匠)を変え、挑発的な女性の持つ蠱惑性と僕の中では繋がってくる。そこを汲み取り、08年から急激にポップ・イコンとして地表化したPERFUMEの三人の持つ完全なパフォーマンスと中田ヤスタカの嬉しい誤算は演繹出来るだろう。

 免疫学的に女性は「存在」として認知出来るが、「男性」は現象でしかない。だからこそ、女性はリアルを生きる。男性はロマンを生きる。中田ヤスタカのロマンの中でリアルに三人の女の子がリアルに踊る、そこにセルジュ・ゲンズブールとフランス・ギャルの関係性を見た僕のような人間が居てもおかしくない気がする。

 そして、10年代に入り、中田ヤスタカのロマンがついに女の子のリアルに回収されてしまったのが、この「不自然なガール/ナチュラルに恋して」の二曲と いえる。「不自然なガール」はMEGの「甘い贅沢」や彼女たちの「love the world」辺りを彷彿させるアッパー・チューン、「ナチュラルに恋して」は「I still love U」系の80年代のブラコン風。ただ、そこで出てくるマーケティングされた「女の子像」は素直な乙女心の揺れ動き、「婚活」というターム以降の感性論で語る事が出来るというのが、とてもシミュラークル的で興味深い。

「いないのに、いる」女の子、「いるのに、いない」男の子、その深い溝を埋める術はあるのかどうか僕には分からない。でも、愈よPERFUMEという大きな「自我」が暴走し始めた作品としてこれは分水嶺になるのではないだろうか。

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